雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

小さな小さな物語 ・ 表紙

2011-07-20 15:02:27 | 小さな小さな物語 第五部~第八部
       小さな小さな物語 第五部




        No.241 から No.300 まで収めています
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さな小さな物語 ・ 目次

2011-07-20 15:01:29 | 小さな小さな物語 第五部~第八部

   小さな小さな物語 ・ 目次 ( No.241~No.260 )


    241  認定トライ
    242  忘れられないものと生きる
    243  インフルエンザ・パンデミック
    244  善意の形
    245  額に汗する 


    246  鼎の軽重を問う
    247  二月は面白い
    248  百千鳥
    249  知人の知人
    250  建国記念の日


    251  手足と足手
    252  ストレス解消法
    253  正義とは
    254  懸命に生きる
    255  平気で生きる


    256  生きていること
    257  生きとし生ける物
    258  偽計業務妨害ですか?
    259  めぐり来る日々
    260  お見舞い申し上げます
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

認定トライ ・ 小さな小さな物語 ( 241 )

2011-07-20 15:00:24 | 小さな小さな物語 第五部~第八部
冬のスポーツ花盛りといった季節です。
駅伝にマラソン、ラグビーにサッカーにアメフト、スキーにスケート、楽しみなスポーツが盛り沢山です。
残念ながら、私はどれもテレビで観戦するだけのファンなのですが、いずれも迫力があるものばかりです。


ところで、ラグビーに「認定トライ」というルールがあるのをご存知ですか。この競技に興味のない方に説明するのは難しいのですが、守備側にその反則がなければ当然トライ出来たと思われる場合、主審の判断でトライが成立したものとして、『認定トライ』が宣せられ、しかもその反則場所に関わらず、攻撃側の最も有利なゴールポスト下にトライされたものとされるルールなのです。
故意の反則を防止するために考え出されたルールですが、激しいぶつかり合いがある競技ですから、反則か否かの微妙な場面も少なくありません。単に攻撃権が相手に渡るのではなく得点に直結しているわけですから、主審の冷静で公正な判断がこのルール運用上の絶対条件となります。


サッカーには、これと同じようなルールはありません。ペナルティーキックが与えられる場合などは若干類似していますが、根本的には別のものだと思われます。
現に、サッカーでも、これと同じように『認定ゴール』というルールの設定が検討されているようです。
確かに、明らかにゴールが決まったと思われた時、守備側のキーパー以外の選手が手でボールをはじき出すシーンは時々見ることがあります。たまたまではなく、明らかに手を使ってゴールを防いでいることがあるのです。それも、町内会の試合ならともかく、国際大会で活躍しているような選手が、実際に行っているのです。
私は、サッカーにも『認定ゴール』というルールを設置すべきだというのに賛成なのですが、どうでしょうか。


スポーツの場合には、『認定トライ』を宣告する審判を、絶対的な権限者として認め合うことから競技が成り立っています。
しかし、これが、社会生活となれば、なかなか難しくなってきます。
わが国の裁判制度においては、「疑わしきは罰せず」というのが基本原理となっています。「疑わしい証拠や証言は、被告人の有利に」という考え方です。
わが国に限らないことですが、法の裁きというものは、時の権力者に歪められることが多く、無実の罪に泣く弱者が少なくなかったことを踏まえて考えだされた、人類の知恵だと思うのです。
しかし、法治国家だと考えられている現在のわが国においても、依然、権力者と言われる人々や、それにつながる人々が、見事なまでの知恵や手段を使って合法的とされている事実は少なくないように思われてなりません。
「疑わしきは罰せず」という原則を踏みにじるようなことがあっては絶対にいけませんが、明らかな犯罪人を合法としてしまう何らかの力に対して、水戸の黄門さんが印籠をかざすように、『認定トライ』を宣言してくれるような制度は作れないものでしょうか。

( 2011.01.15 )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忘れられないものと生きる ・ 小さな小さな物語 ( 242 )

2011-07-20 14:58:55 | 小さな小さな物語 第五部~第八部
昨日、一月十七日は阪神淡路大地震から十六年目にあたり、被災地を中心に各地で追悼儀式が行われました。
「光陰矢の如し」などと言う言葉は、本当にうまい表現だと感心するばかりですが、大きな被害を受けた方々にとっては、あの悲惨な思い出は、矢の如く遠い過去に飛ばしてしまうことなど出来るものではないでしょう。


幸い私は、建物に若干の被害を受けた程度で済みましたが、知人などの被害や、その後の凄まじい生活環境や職場環境は、今でも時々鮮明に思い出すことがあります。
神戸を中心とした辺りでは、この数日あの大地震に関する報道がなされていましたが、全国的に見れば、確実に過去の出来ごとになりつつあるのでしょうね。
神戸市でも、中心地の建物群を見る限り、被災のおもかげなど全く見つけることなど出来ません。報道についても、今日からは極端に少なくなっていき、来年の応答日近くまではそのような状態が続くことでしょう。


阪神淡路大地震に限らず、大きな災害や事故などについて、決して忘れてはならないということがよく言われます。
過去の不幸をしっかりと記憶にとどめ、次の世代に生かすことはとても大切なことです。しかし、同時に、人の記憶というものは、時間とともに薄れていくことも事実です。
いくら大きな不幸であっても、いつまでも記憶にとどめていれば次の一歩は踏み出せない、という人もいます。立派なご意見だと思うのですが、他人のことであれば、誰でもそうすることが出来るのではないでしょうか。


「忘れるということは、神様が私たちに与えてくれた大きな才能の一つだ」と、かつて、ある先生が私に教えてくれました。ずっと昔のことですが、今も私の知恵の一つになっています。
しかし、私は、この才能にはムラガあることも知りました。私たちは、「忘れることが出来るものは忘れられるが、忘れることが出来ないものは絶対に忘れられない」ということです。
結局は、私たちは、忘れられない思い出と仲良く付き合いながら生きていくことが大切なのではないでしょうか。
阪神淡路大地震の犠牲者の方々に、合掌。

( 2011.01.18 )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インフルエンザ・パンデミック ・ 小さな小さな物語 ( 243 )

2011-07-20 14:57:42 | 小さな小さな物語 第五部~第八部
二十世紀に、私たち人類はインフルエンザ・パンデミック(大流行)を三度経験したそうです。
一度目は1918年のスペイン風邪、二度目は1957年のアジア風邪、三度目が1968年の香港風邪だそうです。
そして、これらのパンデミック(大流行)が起きると、何故か古いウイルスは駆逐されるそうです。スペイン風邪のウイルスはアジア風邪に駆逐され、アジア風邪のウイルスは香港風邪に駆逐されたのです。
ところが、1978年1月にわが国に上陸したソ連風邪は、大流行はしたもののインフルエンザ・パンデミックという現象までには至らず、香港風邪のウイルスを駆逐するまでにはならなかったのです。その原因は、ソ連風邪のウイルスはスペイン風邪の子孫らしく、それが研究室から漏れ出したものらしく免疫を持つ人が多かったためらしいのです。
そのため、香港風邪のウイルスもソ連風邪のウイルスも現在に生き残っているわけです。


今世紀最初のパンデミックと考えられる新型インフルエンザは二シーズン目に入っていますが、わが国でも患者が増え続けています。
最近検出されているウイルスは八割が新型で残りがA香港型、Aソ連型はほとんど検出されていないそうです。
今、私たちは、新しいウイルスが古いウイルスを駆逐する現場を見ていることになるのです。
(以上は、1月17日付の毎日新聞「余禄」欄からその内容を引用させていただきました。)


さて、新しいウイルスが何故古いウイルスを追い払ってしまうのか、そのメカニズムはよく分かっていないようですが、不思議な気がします。
しかし、考えてみますと、この現象は何もウイルスの世界に限られたことではないように思われます。
たまたま、新しく「ナスカの地上絵」が発見されたというニュースがありましたが、古代文明が突然姿を消したと思われる現象は数多くあります。もし、その現場に立ち会っていれば、決して突然でもなく、また納得出来る原因があるのかもしれませんが、繁栄を謳歌していたものが消えていくのは、何も「驕る平家は久しからずや」に限ったことではないのかもしれません。


良貨も悪貨に駆逐されると言いますし、あの恐竜さえも突然に絶滅しているのです。
「かつて、日本という栄えた国家があった」と言われるようになるのを一日でも先に延ばすためには、今、私たちには何が出来るのでしょうか。

( 2011.01.21 )

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

善意の形 ・ 小さな小さな物語 ( 244 )

2011-07-20 14:55:55 | 小さな小さな物語 第五部~第八部
群馬県のランドセルに始まったタイガーマスク現象が、大きな波紋を描いています。
いやなニュースや腹立たしい事件が多い中で、何だか救われた気持ちにさせてくれました。
最初にランドセルを贈った人は、まさかこれほどの反響を考えていたわけではないでしょうが、結果として、本当にすばらしい一石を投じてくれたものです。


タイガーマスク運動などと表現する報道がある程の広がりを見せている出来事ですが、例によって、手放しで喜んでいられるようなことではないとのご高説を述べられる人もいます。
曰く、「偽善が垣間見られる事例がある」「政治の貧困の表れでしかない」「調子に乗り過ぎ」「本当に必要なものを送るべきだ」等々・・・。


善意をどのような形で表現すればよいのか。これもなかなか難しいものです。よく言われるように、日本人は特にその表現が下手だと言われています。
電車で席を譲る時の若者のぎこちないそぶり。そして、時にはそれを素直に受け取らない老人とおぼしき人物。
善意とおぼしき行為に対して、必ずと言っていいほど「偽善だ」と感じたり発言する人物がいること。
私たちの殆どは、何かの時には、義理でも打算でもなく、素直に手助けをしたいと思うことがあります。しかし、その一歩はなかなか踏み出せないものです。


善意にはいろいろな形があるのではないでしょうか。タイガーマスク現象に感動しながらも、とてもそれに相乗りする勇気がないのは私だけではないと思うのです。
しかし、私たちは、人と人とがぶつかりあうようにして生きている限り、何かの時には、可能な範囲でいいので善意を示す必要があるのではないのでしょうか。
「いいカッコしようとしている」と思われないか、「出しゃばり」だと思われないか、そのような重しがあるのは確かですが、善意には決まった形などないと思うのです。それが、きっと、ほんの僅かであるとしても社会の潤滑油となるのではないでしょうか。
それで、「お前は何をしているのか」ですか? さあ、それがつらいところです。考えてみると、それらしいことは何もしていないんですよね。まあ、あえて言えば、たまに宝くじを買って地方公共団体の財政に役立っているくらいですかねぇ・・・。少し反省はしています。

( 2011.01.24 )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

額に汗する ・ 小さな小さな物語 ( 245 )

2011-07-20 14:54:49 | 小さな小さな物語 第五部~第八部
氷河期とも、超氷河期とも言われるそうです。
働く者にとって厳しい時期が続いています。特に新卒者をはじめ若い人で職を得られない人が多いということが深刻な社会問題として浮かび上がってきています。


かつて、働く人の姿を表現する代表的なものとして「額に汗する」という言葉がありました。この言葉が現在でも通用するものなのか、すでに死語の部類に入れられているものなのか知りませんが、あまり目にしなくなっていることは確かです。
村の鍛冶屋さんが、額に汗を浮かべて「トッテンカン、トッテンカン」と鉄を打つ姿が、小学唱歌に歌われたように勤勉を代表するような光景だったのは、何百年も昔のことではありません。


しかし、現在の社会においては、「額に汗する」仕事は、労働の中のごく限られた分野になっています。この種の業務の多くは、すでにわが国では採算をとることが難しく海外へ流出してしまいました。
働く側も「額に汗する」を選ぶ人が減っていき、「汗を絞るより知能を絞る方が優れていると考える」ようになり、企業側も「可能な限り少人数で付加価値の高いものを求める」ようになり、そして、双方の思惑通りの現在に至ったのでしょうか。
ほんの二、三十年ほど前までは、若者にとって就職できないなどということは全くの想定外でした。
わがまま放題の若者も少なくなく、企業側が労働力としてこの層に幻滅を抱いた面もあるかもしれません。あるいは、わが国の経済発展の大きな流れとして、避けることの出来ない時代を迎えているのかもしれません。


しかし、一つだけはっきりしていることがあります。
いろいろな理由や要因はあるのでしょう。それらの全てが正しいとしても、「働く意欲のある若者に働く場所を提供できない国家」など、一人前の国家などと呼べないことだけは確かなことだと思うのです。
幸いわが国には、立派な経済団体がいくつもあります。政治などに任せていないで、その団体に加盟している企業がひと踏ん張りして、せめて若年層に働く場所を与えるぐらいのことは出来ないのでしょうか。

( 2011.01.27 )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鼎の軽重を問う ・ 小さな小さな物語 ( 246 )

2011-07-20 14:53:55 | 小さな小さな物語 第五部~第八部
「鼎の軽重を問う」(かなえのけいちょうをとう)、この言葉は、日常の会話で使われることなど殆どありませんが、中国の故事からきた言葉の一つです。
広辞苑などによりますと、「鼎」というのは、食物を煮るのに用いる金属製の容器で、普通は三本足です。(本来は祭器であり、帝位の象徴として言われることもある。)
中国周の時代、楚の荘王が周王室の宝器である九鼎の大小、軽重を問うたという故事から生まれた言葉で、「支配者を軽んじてその地位を奪おうとする野心があること」あるいは「ある人の実力を疑って、その地位を覆そうとすること」などの意味として使われます。また、単に「その人の能力を疑う」という意味にも使われます。


「鼎」は、普通三本足ですから、安定しているものの喩えとされることがあります。
例えば、机を考えてみた場合、一本足ではよほど太いものでなくては立ちませんし、二本足だと立てることさえ困難で、そのような机の場合は足というより板状のものになっています。
四本足は、机やテーブルなどで最も多くみられる形状です。三本足よりずっと強度が増します。足の数を増やしていけば、さらに強度が増すことは多分確かなことでしょう。
しかし、安定という観点から見ると、足の数が多くなるほど問題が発生します。私たちが日常用いることの多い四本足のテーブルが、ガタガタすることがあることはよく経験するところです。
三本足の場合は、そのようなことは起こりません。少しくらい足の長さが違っても、置く場所が少々歪んでいても、三本足の机がガタガタすることはありません。
足も四本程度なら調整するのはそれほど難しくありませんが、十本ともなれば、かなり難しくなってきます。一本や二本は地面に着かない状態になりがちです。
その点、ムカデ(百足)はすごいものですね。百本の足を巧みに使って、素早く走り回るのですから、神様がお作りになった物の中の最高傑作品の一つなのでしょうね。


さて、これが人間となるとなかなか難しいですよね。
二本足で歩くということでは人間もそうレベルの低い方ではないと思うのですが、何人かが集まって一つの神輿を担ぐということになりますと、なかなかうまくいきません。
一人では難しいし、それに寂しいです。二人だけというのもなかなか根性がいるものです。
三人というのは、のけ者を作る最初の人数ですし、四人になると派閥が生まれ始めます。
十人ともなれば、担ぎ棒に手を当てていても全く力を入れない輩が出てきますし、もう少し増えると担ぎ棒にぶら下がる者まで登場します。難しいものです。


国のあり方についても同様のようです。
独裁政治や専制政治を嫌って、やっと辿り着いた政治形態が民主政治と呼ばれるものだそうですが、これが、そうそう簡単に動いてくれるものではないようです。民衆の全てが参画することが出来るのが民主政治の根幹だと思うのですが、衆愚政治だと揶揄される一面を完全否定できないところがつらいところです。
政治を支える人が増えるということは、神輿を担ぐ場合と同じように、手を抜いたりぶら下がったりする者が出てくることをなかなか防ぐことが出来ません。百人が百人とも力を尽くす体制があれば、微力な者の集まりでもそこそこの前進がみられるのでしょうが、そうは簡単にはいきません。私たちに、せめてムカデの能力の半分でもあって足並みをそろえることが出来れば、もう少し良い社会になるのかもしれませんが、これは、「無いものねだり」ということなのでしょうかねぇ。

( 2011.01.30 )


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二月は面白い ・ 小さな小さな物語 ( 247 )

2011-07-20 14:52:43 | 小さな小さな物語 第五部~第八部
今日二月二日は、旧暦の十二月三十日、つまり大晦日にあたります。
今時、旧暦を持ち出して何になるのかと言われますと、まあ、その通りなんですが、私たちの生活、意外に旧暦の影響を受けていることもあるんですよ。
例えば、年賀状の冒頭に「初春のお祝いを申し上げます」などといった文章が使われることがあり、またそれを見ても大して違和感を持たないのも、その影響ともいえます。
旧暦の正月というのは、極寒の時期を過ぎてぼつぼつ梅の蕾が膨らむ頃ですから、人々は春を感じたのでしょうね。


二月のことを、「きさらぎ」と呼びますが、「如月」という漢字をあてるのは、中国から来たものだそうです。わが国固有のものとしては、「絹更着」「衣更着」「生更ぎ」などが充てられるようですが、このうちの前の二つは、まだまだ寒さが厳しいので、「衣を更に着る」という意味からきています。
私たちの祖先たちは、旧暦の二月に対して、春の息吹を感じるとともに、さらに厳しい寒さも当然のこととして受け入れていたのでしょうね。
つまり、旧暦二月は大変微妙な季節感が私たちを包む季節だったのでしょうね。


現在私たちが生活の基盤としている暦においても、二月は特別な月です。
ひと月は、三十日、あるいは三十一日で構成されているのに、何故か二月だけは二十八日です。そうなった理由としては、ローマの初代皇帝となったアウグストゥスが自分の生れ月である八月を、それまで三十日であったものを三十一日としたため、その一日を二月から奪ったのだそうです。当時の暦では、三月が年の初めであり、二月は最後の月であるからそこから減らしたというのです。
それにしても、一日取られて二十九日というのなら分からないでもないのですが、もともと少なかったというのもどうも理解に苦しみます。
その後長い歴史を積み重ねていながら、未だに二月を三十日にしようという運動は起こらないのが不思議です。


その代わりというわけではないのでしょうが、閏年にあたる時には、一日おまけがついて二十九日になります。それでも他のどの月よりも少ない日数ということには変わりません。
さらに、おまけが付けられる結果、年によって日数が違う唯一の月でもあります。
さて、この日数の違いは私たちにどのような影響を与えているのでしょうか。月給制の人は得した感じでしょうし、支払う側は損した気持ちかもしれません。「ニッパチ」といって、昔から二月と八月は商売の成績が良くない月とされていますが、二月についていえば、日数が少ないことも影響していることでしょう。
まあ、いずれにしても、二月は他の月とは違っていて、面白い月です。取りあえず、二日分程度はへそくりを作りたいものですね。

( 2011.02.02 )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百千鳥 ・ 小さな小さな物語 ( 248 )

2011-07-20 14:51:39 | 小さな小さな物語 第五部~第八部
一月はどの地域も大変厳しい寒さに襲われました。
特に、日本海側を中心に雪の多い地方は大変な積雪量だそうで、心よりお見舞い申し上げます。
また、九州南部では火山の爆発という災害も発生、テレビでの報道を見るだけでも自然災害の恐ろしさが感じられます。
私たちの国は、あらゆる地域といっていいほど火山が多く存在していて、いつどこで火山の爆発が起こっても、ニュースとしてはそれほど驚くことはないのですが、いざ、その災害に直面した時の恐怖は想像を超えるものなのでしょう。


幸い当地は、それらの災害には直接的な影響は受けておらず、ありがたいことだと思っていますが、寒さということに関しては、当地も例年にない厳しい寒さに襲われました。
わが家の被害は、水道ホースの散水口破損という程度ですが、何メートルという雪に覆われていたり、次々と降り注いでくる火山灰などの恐怖に襲われている地域の人たちには、まことに申し訳ない気持ちです。


『百千鳥(モモチドリ)』を辞書で調べますと、「多くの鳥・いろいろな鳥」「千鳥の異称」「鶯の異称」と説明されていますが、俳句では春の季語として、多くの、あるいはいろいろな鳥が群れてさえずる様子を表す言葉のようです。


当地は、厳しい寒さを抜け出したらしく、まるで立春を待っていたかのような穏やかな天候に恵まれています。
わが家の小さな庭にも、わずかな青菜を求めてか、雀たちが数羽にぎやかに飛び跳ねています。
関西では、「お水取りが終わるまでは寒い日がある」と言われます。寒さはまだまだ続きますし、雪の多い地方の方々のご苦労もまだ先の長いことでしょう。
しかし、「名のみ」といっても春は春です。厳しい気候の方々に改めてお見舞い申し上げますとともに、垣間見られる春の姿を探してみたい気持にもなっています。

( 2011.02.05 )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする