緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

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才気煥発な人

2019年04月02日 | 話題
4月から、健康と医療について学ぶ教室に一年間、通う予定です。

ところが入学式の案内を見て考えてしまいました。
入学式で記念の講演を行う大学の先生が、若い頃何度か講演を聞いて良い印象を持てなかった人なのでした。
入学式自体、出ても出なくてもよいのですが、今回は講演が始まる前に帰ることにしました。

私にはどうも受け入れ難いタイプなのですが、エッセイでも、講演でも、対談や座談会での発言でも、人の言葉尻を巧みに捉え、悪い意味での「常識」をバックにして、特定の人に対し、面白おかしくレッテル貼りして、聴衆や読み手の受けを狙う、そういうタイプの著名人がいるのです。

そんな人、本当にいるのかと思われそうですが、よくいますし、人気もあります。
口が上手いというか、レトリックが上手くて、嫌味にとられないのだと思います。

たとえば、まだ20代の頃、伊丹十三の「女たちよ!」というエッセイを読んだことがあります。
その中に、彼の学生時代の野球部員のことが書かれていて、たいした根拠もなく「頭が悪い」と断じていました。
とても上手く書いてあったので、たいていの人にとっては面白いエッセイなんだと思います。
(伊丹十三はエッセイの名手だと言われています。)
実際に、野球の強い高校は頭が悪い生徒が行く高校だという俗説もあって、そういう「常識」という名の予断と偏見に則っての記述だったと思います。

実は、それについては、何を隠そう私は当事者で被害者だったのです。
というのも、私の出身高校は近辺では有名な進学校ですが、私が20代の頃、たまたま2年続けて甲子園に出場し、そこそこ良い成績を残したのです。
当時、就職の面接を受けに行って、面接官は私の履歴書を見て、高校がその出場校だと気が付くと「野球の強い高校は馬鹿が行く高校だと相場は決まっているもんだ」と私に言ったものでした。
私は自分が賢いとは思わないですが、そんなふうに言われて面白い筈もありません。
もちろん、就職は不採用でした。

どんな偏見であれ偏見というものは広めてほしくはないのです。
というのも、どんな人でも何らかの当事者であったり、一般には知られていないことについて、とても詳しかったりすることがあるからです。
そうでなくったって、書かれていることが明らかに差別的な言辞と理解できることもあります。

取り上げている事柄が自分がよく知っていることだと、その論者の底の浅さや愚劣さが嫌でも目についてしまうのです。
そういうタイプの人は例外なくとても賢い、いわゆる才気煥発な人でもあって、話が面白いので人気もそこそこあるのです。
伊丹十三などはまだ可愛いのかもしれません。私が込められている悪意のレベルが本当に酷いなと思ったのは作家の橋本治でした。
(私って、とんでもない文章を、いつもたまたま読んでしまう人なのかもしれませんが・・・。)

今回の講演者の場合、文章ではなく、対談や座談会でそういうことをやってしまっていた人です。
私が見聞きしたのは20年以上前の話ですから、齢をとって、そういう態度はもう改まったかもしれません。
相手を馬鹿にしながら聴衆を笑いの渦に巻き込むその手腕は、ある意味物凄い才能だったと思いますし、結果、人寄せパンダよろしく、あちこちで引く手あまただったのも頷けます。
私も彼女の言い方に思わず吹き出してしまったことがありますし、その時、笑いの対象とされた人の驚いたような、傷ついた表情もまだ覚えています。

今、考えてみると、その種の才気煥発な人が馬鹿にするのは、自分が理解できない事や下らないに違いないと思っている事に一所懸命になっている人だったと思い当たります。
自分が理解できないことに一所懸命な人なんて、誰にでもいます。
それが受け入れられないだけでなく、そういう人を受け狙いに利用してしまうところが頭の良い人達の悲しい性だったんだなぁと今では思うばかりです。