緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

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高齢者相手のボランティア

2018年08月16日 | ボランティア
書き始めていて、途中でしんどくなって、そのままになっていた記事を書いてみます。私がかつて1か月ほどやって辞めたボランティアのことです。
ある意味、挫折体験なのですが、当時、私でもできるようなボランティア活動を探していて、幾つか行った一つです。

私がやっていたのは総合病院に入院中の高齢者を相手にしたボランティアでした。
その病院は先進的な試みを行っていて、それもその一つでした。
そうした試みは先進国の病院でも行われているもので、日本でも幾つかの病院で行われているものです。

最初に、午前と午後のほぼ一日かけて、そのボランティアのレクチャーを受けました。
病院の担当者の話によれば、高齢者が病気で入院すると、入院の原因となった病気は治っても、身体や精神の様々な機能が低下してしまうことがよくあるのだそうです。
たとえば、よく聞く話ですが、入院前はそうでなくても退院する頃には認知症を発症もしくは悪化してしまうというような。

そのボランティアは、ボランティアする人が患者に働きかけを行うことで入院中の高齢者の様々な機能低下を防ぐものだったのです。
具体的にはお話相手になったり、その日の新聞や雑誌を読んであげたり、カセットを流して唱歌や童謡などを一緒に歌ったり、あるいは車いすに乗せて病院内を散歩に行ったりです。
病院の看護師さん達は忙しくて、とてもそこまでは手が回らないので、ボランティアがやるわけです。
もちろん、ボランティアは介護や看護に類する行為は一切やりません。

一日かけてのレクチャーはそれ自体、とても勉強になり、細かい事なので書きませんが納得できることばかりでした。
ただ、その日のプログラムの中にはリーダー格の先輩ボランティアの話を聞くこともあったのですが、それには引っ掛かりました。
話をされた女性は、絵に描いたように典型的な下町のおばちゃんタイプの人でした。
その女性曰く、自分はおしゃべりが大好きで、このボランティアではおしゃべりがいっぱいできる、楽しくて楽しくてしかたがない。うんぬんかんぬん・・・。

聞いていて私は『???!!!』でした。
私だっておしゃべりは嫌いではないのです。
でもそれは気の置けない友人相手の話。
入院中の高齢者相手にくっちゃべって楽しんで、それってどうなんだと。
今さっき聞いたレクチャーでは自分本位のおしゃべりはNGだった筈なのに・・・。

その日のプログラムは、実際に病院内を移動する車いすの扱い方やロールプレイもあって、てんこ盛りだったので、引っ掛かったことは、それはそれで終わりました。

そしていよいよ実践です。(もちろんレクチャーを受けた日とは別日)
最初の3回(3日間)は先輩ボランティアが付きますが、それ以降は一人でやってもらうという話でした。
看護師さんが選んだ6人くらいの患者さんの所に順番にお伺いします。
選ばれている患者さん全員を相手にする必要はありません。
患者さんの情報も最初に頂きます。
それを見ると最初の患者さんは私と同じ齢でアルコール依存症の人。
その時点で『ええーっ!?』って感じ。
このボランティアはアルコール依存症の人も対象にするの??

病室に行ってもその人はいません。
病院の人に居場所を聞くと「〇×さんならさっき向こうで看護師さんに殴りかかっていたよ」という返事。
私は
先輩ボランティア(レクチャーで話した人とは別人)に「大丈夫なんでしょうか」と聞くと「大丈夫。私の亭主もアルコール依存症だったから」と 
確かに、会った時には興奮から覚めて反省していたのか妙に大人しかったですが。
そういうわけで、私は最初からイメージと違うことにモヤモヤ。

少しやってみて、分かったことは、高齢者へのアプローチの仕方が一緒に歌を歌うということにパターン化されていること。
人によっては、「足浴しませんか」と誘って、足を洗ってあげながらお話することもあるのですが、それって介護・看護に類することになるのでは、とそれもモヤモヤ。
もちろん、一緒に歌を歌うと、とても喜んでくれる患者さんもいました。
一方、明らかに不快そうで断る人もいました。

3回目から自分一人でやり始めたのですが、私が一番困ったのは、一回で6名くらいの患者さんが選ばれているのですが、内4、5名が眠っている事。
それも普通の眠り方ではなく、文字通り爆睡している事です。
少しくらい声を掛けても起きません。
仕方なく次の患者さんに移るのですが、それで良いのか悶々としました。

というのも、高齢の患者さんの場合、昼間寝てしまって夜眠れずに起きている人が多いのだそうです。
そうなると「ここはどこなの?」といった感じの譫妄状態に陥って、騒ぐ人もいるとか。
一人が騒ぐと周囲も起きてしまいます。
ただでさへ夜間は看護師さんが少ないのに、対応が大変な患者さんが何人も出てくることになります。
もちろん昼夜逆転は認知症の発症や重症化の契機にもなります。
このプログラムの何よりの目的は、高齢の患者さんの意識レベルが低下して譫妄状態に陥ることを阻止することなのです。

睡眠薬を使って夜眠らせるという方法もあるのでしょうが、睡眠薬は逆に酷い状態をもたらすこともあるようです。
(母の介護で経験がありますし、私は若い頃入院していて同室の高齢女性が睡眠薬の副作用で再入院したのも見ています)
私のやっていたボランティアは、昼間、そうした高齢者に介入して刺激を与えることで、夜に眠れるようにする意味が大きかったのです。

では実際に爆睡している高齢の患者さんを揺り起こして「さあ、一緒に歌を歌いましょう」と言えるかというと、少なくとも私は言えなかったのです。
爆睡している高齢者を顔も知らない他人が揺り起こしても、かえって混乱させることになりかねないし、そもそもボランティアを受け入れるかどうかは認知症であってもなくても本人の自由で、押し付けられることではないと考えるからです。
たとえば私が看護師で、患者に注射を打たなければならない立場なら、なんの躊躇いもなく叩き起こして注射するでしょうけど。

他の先輩ボランティアはどうしているか活動記録のノートを見ると、寝ている患者さんの傍で楽器を弾いて「聞いてくれてるようでした」などと書いています。
それに対する担当看護師のコメントは「きっと喜ばれていますよ」みたいな文面。
正直『ほんまかいな』です。要するにボランティアの自己満足ではないかと思えたのです。

その病院には、昼間ちゃんと起きていて、意識レベルもしっかりとした高齢の入院患者はいないのかというと、そういう患者さんももちろんいました。
ただ、そういう患者さんは夜間に問題行動を起こすこともないので、看護師さんはボランティアの働きかけの対象には選ばないみたいなのです。
実は最初のレクチャーの時にもらった冊子によれば、ボランティアの介入は早ければ早いほど良いとも書いてあったのですが、実際には状態が悪化してからでないと介入はされないようでした。
理由として、介入できるボランティアの数の問題もあったのでしょう。

私は寝ている患者さんにどう働きかけするのが良いのか、本当に悩んでしまいました。
先輩ボランティアのやり方には疑問がありましたし、私自身新参者で、あれこれ言える立場でもありませんでした。
考え続けて、その結果、私自身が夜眠れなくなりました。
ボランティアで眠れなくなるほど悩むなんて、私の本意ではありませんでした。
そこまで無理して続けるべきではないと思い、結局、そのボランティアをやめることにしたのです。
現金なもので、やめると決めると途端によく眠れるようになりました。

ではそこでは、自分がレクチャーを受けて、納得して思い描いていたような活動はできなかったのかというと、一度だけ当初のイメージ通りの活動ができたことがありました。
それはホスピス病棟の患者さんへの働きかけを頼まれた時です。
(ホスピス病棟の患者さんを相手にすることが稀にあることは最初に聞かされていました。)

ホスピス病棟の気持ちの良い応接室で、私が「若い頃、どんなお仕事をなさっておられたんですか」とお聞きすると、その方は生き生きとした様子で若い頃の仕事の話をされました。
私は時折相槌をうって聞くだけでした。
その方のお話や様子は今でも私の脳裏に残っています。

後にこの話を友人にしたところ、「みどりさんは〝傾聴〟のボランティアの方が向いていたんじゃない?」と言われました。
そうだったのか、たまたまの偶然だったのか分かりません。
その病院でのボランティアは、私には荷の重すぎたボランティアだったとしか言いようがありません。

入院中の高齢者への働きかけ自体は、とても重要なことだと思います。
このボランティアの後に兄が難病で入院しました。(私がボランティアに行った病院ではありません。)
その時につくづく働きかけの重要性を感じました。
働きかけをするのが家族では、患者がわがままになったり遠慮なしに感情を出してしまったりであまり良くはないのです。
ボランティアでなくても患者の友人や知人のお見舞いでも良いのです。
普通に気を遣うくらいの関係の人とのやり取りが、社会性を目覚めさせ、患者の意識レベルの低下を防ぐ助けになります。

兄の時は、同じ病室の入院患者全員がカーテンを締めきっていたこともあって、半数くらいの見舞客が来た事をメモ書きで残すこともなしに帰っていたことを後に知って閉口しました。
寝ている患者に話しかけることは本当に難しいらしいのです。