今回はちょっとシリアスなテーマです。
野田聖子総務相が、2月2日の衆議院予算委員会で立憲民主党の阿部知子氏が性犯罪被害者への対応を尋ねたのに対し、性犯罪被害ではないが、自らも小学1年の時に誘拐されそうになったことを語ったとのことです。
「50年たった今でもいろんなことを覚えている。嫌な気持ちになることがある」と述べたとか。
私は政治的に野田聖子総務相に与しているわけではありません。そういう思想信条とは全く無関係に彼女の発言に注目しました。
というのも、私も小学3年生の時に誘拐されかけたことがあったからです。
50年以上たった今でも、色んなことを鮮明に覚えています。
私の場合は巻き添え誘拐で、誘拐そのものより、未遂に終わったその事件を周囲の大人たち(特に母!)に訴えた時の反応の酷さが後々まで私に影響を与えていました。
巻き添え誘拐とはどういうことかというと、その事件は私がM子ちゃん(と仮にしておきます)という友達と2人で遊んでいた時に起こり、犯人の目的は私ではなくM子ちゃんだったのです。
簡単に書くと、M子ちゃんと外で遊んでいると、若い男が近づいてきて小学校はどこにあるか私達に聞きました。
当時、道を尋ねられたら親切に答えなくてはいけないと学校でも言われていたので学校の場所を教えると、男は分からないから一緒についてきて欲しいと言いました。
で、M子ちゃんと私は男と一緒に歩いたのですが、当時は広い人気のない原っぱのような場所が残っていた時代で、男はこっちに来てと言ってそんな中に私達を誘いこみました。
そしてセイタカアワダチソウで周囲からは見えない場所まで来ると「目を閉じて座ってほしい」と言いました。
大人の男にそんなふうに言われると言うことを聞かざるをえない感じになり、言う通りにしたのですが、まずM子ちゃんがキャーと言って逃げ出し、私も直ぐM子ちゃんの後を追って逃げました。
この異様な出来事を、私とM子ちゃんは家に帰って当然のことながらお互いの母親に訴えたのですが、私の母は「嘘つきの友達と遊んだら、あんたまで嘘つきになるんやな」と言ったきり全く無視。
実はM子ちゃんは虚言癖や盗癖のある所謂問題児でした。
その時も、色々と脚色して大人たちに訴えていて、私は『それは違うと思う』と内心思っていて、ちょっと困っていました。
でも私はM子ちゃんとは違って嘘なんか滅多につかないのに、私の言うことまで信用しないのかという感じでした。
その後、M子ちゃんは引っ越して転校し、私はM子ちゃんにはそれまで振り回されていた部分もあったので、別の子達と遊ぶようになって楽しくやっていました。
ある日母が私に「M子ちゃんが新聞に載っている」と言いました。
見ると大きな見出しで「M子ちゃん無事!」みたいなことが書かれていました。
事件はこういうことでした。
M子ちゃんのお父さんには愛人がいて、お父さんはその愛人と別れたものの、そのことを恨んだ愛人が暴力団の男を雇ってM子ちゃんを誘拐したと。犯人は逮捕され、事件は解決したのです。
頭の良くない私でもすぐに気が付きました。かつて経験した異様な出来事は誘拐されかけたんだと。
その時は成功しなかったけれど、その後にM子ちゃんは本当に誘拐されたのだと。
私の母がそのことに気がついたかどうかは分かりません。
母は基本、君臨すれども統治せずを貫く子供には無関心な人でしたので。
私も母とその件について話すことはその後も一度もありませんでした。
母の態度は『母に言っても無駄』という思いを強く私に持たせました。
この事件には更なる後日談があります。
何かあっても母が頼りにならないことがよく分かった以上、私は自衛しなくてはなりませんでした。
私が何より反省したのは、犯人の男に原っぱの中に連れ込まれた時、相手のいいなりになって逃げようと考えなかったことです。M子ちゃんの方がよほどしっかりしていました。
その後、私もまた引っ越しし、転校しました。新しい場所で小学5年生の時でした。
大通りから一筋置いた人気のない道を一人で歩いていると男が一人近づいてきて学校はどこか私に聞きました。
学校はすぐ近くでしたのでその事を教えると分からないから一緒についてきて欲しいとのこと。
その言いぐさ、全く同じパターンでした。周囲に人はおらず私はどのようにしてこの状況から抜け出すか考えました。
男は有無を言わせず私の手を掴んで酒屋の倉庫の中に入りました。
倉庫の中ほどで、男は私にそこにいるよう言って、倉庫の出口に行って(たぶん)人の気配を確認したり、また戻ってくるともう一度出口に行ったりを何度か繰り返していました。
その間、私は逃げるスキを必死で探っていました。
そして男が倉庫の出口ではなく、倉庫の奥に行った時、私は『今だ!』とばかりに走って逃げたのでした。
その時、男が私に掛けた言葉はあまりにも人を馬鹿にしていて今でも忘れられない。
「気をつけて帰りなさいよ」と言ったのです。
この出来事も私は長い間、誰にも話したことはありませんでした。
ただ2回も誘拐されかけたことに猛反省しました。
ボーッとした顔をしてるから狙われるのだ思い、意識してキツイ表情をするようにしました。
ですから叔母(母の妹)が家に来た時、母に向かって「みどりちゃん、何かあったの。優しい顔した子だったのに今日見たら恐い顔して」と言っているのを、ふすま越しに隣の部屋で聞いた時は、思わず『やったー!』って思いました。
ここまで読まれた方は察しがつくと思いますが、2度目の出来事は誘拐ではなく性犯罪目的だったと思われます。
それに気づいたのは20歳くらいの頃で、子供の頃の私は以前と同じ誘拐だと思いこんでいました。
私の家は身代金目当てに誘拐するほど金持ちではないし、父親から捨てられた愛人もたぶんいなかったので誘拐は考えられないのです。
皮肉なことかもしれませんが、二度目に上手く逃げられたのは一度目の経験があったからです。
もし、小学3年の時に誘拐未遂に巻き込まれていなかったら、小学5年生の時に逃げられず、性被害を受けていた可能性があります。
子供の頃に性被害を受けていたら、私という人間はまともな大人になれなかったかもしれないです。
さらに、30代40代になって、私自身色々考えたり、色んな話を聞いて、当時問題児だと言われていたM子ちゃんの問題行動とは、実は両親の欺瞞と葛藤に満ちた家庭環境に原因があったと考えるようになりました。
M子ちゃんは私と同じ年だから今60代。どんな人生を送ったか、そして自身の経験した誘拐事件をどう心の中で咀嚼したのか、もし会うことがあれば聞いてみたいものです。
でも、たぶん、思い出すことも、話すことも嫌なことだと思います。
さて、冒頭に話を戻すと、阿部知子氏の質問に対し野田聖子総務相は次のように答えています。
「私自身は性暴力ではなかったが、そういうときはどうしていいか分からない。ワンストップの支援センターを全国各地に整備して、性犯罪、性暴力の被害者を支援する体制を構築することが重要だ」
私の例からも分かるように誘拐と性犯罪は微妙に重なり合っています。
子供の被害者の場合、そもそも被害にあわないようにするにはどうするか、あった時にはどう未遂に終わらせるか、周囲の大人たちへの啓発と実効的な教育とが必要でしょう。
いずれにしても小学生の女の子を、過酷な現実に一人で立ち向かわせるようなことだけはしないで欲しいのです。
野田聖子総務相が、2月2日の衆議院予算委員会で立憲民主党の阿部知子氏が性犯罪被害者への対応を尋ねたのに対し、性犯罪被害ではないが、自らも小学1年の時に誘拐されそうになったことを語ったとのことです。
「50年たった今でもいろんなことを覚えている。嫌な気持ちになることがある」と述べたとか。
私は政治的に野田聖子総務相に与しているわけではありません。そういう思想信条とは全く無関係に彼女の発言に注目しました。
というのも、私も小学3年生の時に誘拐されかけたことがあったからです。
50年以上たった今でも、色んなことを鮮明に覚えています。
私の場合は巻き添え誘拐で、誘拐そのものより、未遂に終わったその事件を周囲の大人たち(特に母!)に訴えた時の反応の酷さが後々まで私に影響を与えていました。
巻き添え誘拐とはどういうことかというと、その事件は私がM子ちゃん(と仮にしておきます)という友達と2人で遊んでいた時に起こり、犯人の目的は私ではなくM子ちゃんだったのです。
簡単に書くと、M子ちゃんと外で遊んでいると、若い男が近づいてきて小学校はどこにあるか私達に聞きました。
当時、道を尋ねられたら親切に答えなくてはいけないと学校でも言われていたので学校の場所を教えると、男は分からないから一緒についてきて欲しいと言いました。
で、M子ちゃんと私は男と一緒に歩いたのですが、当時は広い人気のない原っぱのような場所が残っていた時代で、男はこっちに来てと言ってそんな中に私達を誘いこみました。
そしてセイタカアワダチソウで周囲からは見えない場所まで来ると「目を閉じて座ってほしい」と言いました。
大人の男にそんなふうに言われると言うことを聞かざるをえない感じになり、言う通りにしたのですが、まずM子ちゃんがキャーと言って逃げ出し、私も直ぐM子ちゃんの後を追って逃げました。
この異様な出来事を、私とM子ちゃんは家に帰って当然のことながらお互いの母親に訴えたのですが、私の母は「嘘つきの友達と遊んだら、あんたまで嘘つきになるんやな」と言ったきり全く無視。
実はM子ちゃんは虚言癖や盗癖のある所謂問題児でした。
その時も、色々と脚色して大人たちに訴えていて、私は『それは違うと思う』と内心思っていて、ちょっと困っていました。
でも私はM子ちゃんとは違って嘘なんか滅多につかないのに、私の言うことまで信用しないのかという感じでした。
その後、M子ちゃんは引っ越して転校し、私はM子ちゃんにはそれまで振り回されていた部分もあったので、別の子達と遊ぶようになって楽しくやっていました。
ある日母が私に「M子ちゃんが新聞に載っている」と言いました。
見ると大きな見出しで「M子ちゃん無事!」みたいなことが書かれていました。
事件はこういうことでした。
M子ちゃんのお父さんには愛人がいて、お父さんはその愛人と別れたものの、そのことを恨んだ愛人が暴力団の男を雇ってM子ちゃんを誘拐したと。犯人は逮捕され、事件は解決したのです。
頭の良くない私でもすぐに気が付きました。かつて経験した異様な出来事は誘拐されかけたんだと。
その時は成功しなかったけれど、その後にM子ちゃんは本当に誘拐されたのだと。
私の母がそのことに気がついたかどうかは分かりません。
母は基本、君臨すれども統治せずを貫く子供には無関心な人でしたので。
私も母とその件について話すことはその後も一度もありませんでした。
母の態度は『母に言っても無駄』という思いを強く私に持たせました。
この事件には更なる後日談があります。
何かあっても母が頼りにならないことがよく分かった以上、私は自衛しなくてはなりませんでした。
私が何より反省したのは、犯人の男に原っぱの中に連れ込まれた時、相手のいいなりになって逃げようと考えなかったことです。M子ちゃんの方がよほどしっかりしていました。
その後、私もまた引っ越しし、転校しました。新しい場所で小学5年生の時でした。
大通りから一筋置いた人気のない道を一人で歩いていると男が一人近づいてきて学校はどこか私に聞きました。
学校はすぐ近くでしたのでその事を教えると分からないから一緒についてきて欲しいとのこと。
その言いぐさ、全く同じパターンでした。周囲に人はおらず私はどのようにしてこの状況から抜け出すか考えました。
男は有無を言わせず私の手を掴んで酒屋の倉庫の中に入りました。
倉庫の中ほどで、男は私にそこにいるよう言って、倉庫の出口に行って(たぶん)人の気配を確認したり、また戻ってくるともう一度出口に行ったりを何度か繰り返していました。
その間、私は逃げるスキを必死で探っていました。
そして男が倉庫の出口ではなく、倉庫の奥に行った時、私は『今だ!』とばかりに走って逃げたのでした。
その時、男が私に掛けた言葉はあまりにも人を馬鹿にしていて今でも忘れられない。
「気をつけて帰りなさいよ」と言ったのです。
この出来事も私は長い間、誰にも話したことはありませんでした。
ただ2回も誘拐されかけたことに猛反省しました。
ボーッとした顔をしてるから狙われるのだ思い、意識してキツイ表情をするようにしました。
ですから叔母(母の妹)が家に来た時、母に向かって「みどりちゃん、何かあったの。優しい顔した子だったのに今日見たら恐い顔して」と言っているのを、ふすま越しに隣の部屋で聞いた時は、思わず『やったー!』って思いました。
ここまで読まれた方は察しがつくと思いますが、2度目の出来事は誘拐ではなく性犯罪目的だったと思われます。
それに気づいたのは20歳くらいの頃で、子供の頃の私は以前と同じ誘拐だと思いこんでいました。
私の家は身代金目当てに誘拐するほど金持ちではないし、父親から捨てられた愛人もたぶんいなかったので誘拐は考えられないのです。
皮肉なことかもしれませんが、二度目に上手く逃げられたのは一度目の経験があったからです。
もし、小学3年の時に誘拐未遂に巻き込まれていなかったら、小学5年生の時に逃げられず、性被害を受けていた可能性があります。
子供の頃に性被害を受けていたら、私という人間はまともな大人になれなかったかもしれないです。
さらに、30代40代になって、私自身色々考えたり、色んな話を聞いて、当時問題児だと言われていたM子ちゃんの問題行動とは、実は両親の欺瞞と葛藤に満ちた家庭環境に原因があったと考えるようになりました。
M子ちゃんは私と同じ年だから今60代。どんな人生を送ったか、そして自身の経験した誘拐事件をどう心の中で咀嚼したのか、もし会うことがあれば聞いてみたいものです。
でも、たぶん、思い出すことも、話すことも嫌なことだと思います。
さて、冒頭に話を戻すと、阿部知子氏の質問に対し野田聖子総務相は次のように答えています。
「私自身は性暴力ではなかったが、そういうときはどうしていいか分からない。ワンストップの支援センターを全国各地に整備して、性犯罪、性暴力の被害者を支援する体制を構築することが重要だ」
私の例からも分かるように誘拐と性犯罪は微妙に重なり合っています。
子供の被害者の場合、そもそも被害にあわないようにするにはどうするか、あった時にはどう未遂に終わらせるか、周囲の大人たちへの啓発と実効的な教育とが必要でしょう。
いずれにしても小学生の女の子を、過酷な現実に一人で立ち向かわせるようなことだけはしないで欲しいのです。