さあ、皆さま!いよいよ今年も残り2日! 年末の慌しい今日この頃に
SNS(ブログ、FACEBOOK)など見てられるか、と拒絶されそうですが
この投稿が記事としては今年最後!お許しを!
12月のメイン・テーマは『2018/この1年 SNSカテゴリーおさらい月』作成したカテゴリーの整理を兼ねて有効活用すべく、記事や書き下ろ詞でいろいろ趣向を凝らしてUPしています。

例年TVでは『年忘れにっぽんの歌』なる長時間特番が放送されるので
今日選んだカテゴリーは「心にのこる この歌1曲」で〆たいと思います。このシリーズは記事をUPするたび多くのアクセスがあり
今も《今日の人気アクセス記事 BEST50!》に10種の記事がランクイン
しています。楽曲・歌手・作家を含んでの不定期シリーズですが今回で#28 紹介するのは愛称は「おはまさん」の愛称で知られた
「国民歌謡」の歌手、渡辺はま子さん! 彼女にスポットを当てたもう一つは明日12月31日は1999年に89歳で亡くなった彼女の命日でもあるからです。

さて彼女の経歴や代表曲を列記するより選んだこの2曲を語りましょう。
1.「桑港のチャイナ街」(1950年11月発売)

作詞:佐伯孝夫、作曲:佐々木俊一
曲紹介などでは「シスコのチャイナタウン」とか
「サンフランシスコのチャイナタウン」が通常でわかりやすい。
桑港(サンフランシスコ)のチャイナタウン
夜霧に濡れて
夢紅く誰を待つ 柳の小窓
泣いている 泣いている おぼろな瞳
花やさし 霧の街
チャイナタウンの 恋の夜
カラオケでオープニングに唄うにはもってこいでイントロからして
チャイナの雰囲気と小気味良いリズムとメロディが流れます。
昔の歌はイントロ(前奏)や間奏だけでも一曲成り立っているほど
聴き応えがありました。サビの「泣いている~」で
おはまさんの鶴のひと鳴きのような歌唱が独特です。
2.「あゝモンテンルパの夜は更けて」(1952年9月発売、共唱:宇都美清)

作詞:代田銀太郎、作曲:伊藤正康
モンテンルパの 夜は更けて
つのる思いに やるせない
遠い故郷 しのびつつ
涙に曇る 月影に
優しい母の 夢を見る
フィリピンの日本人戦犯が作詞作曲した曲「あゝモンテンルパの夜は更けて」を渡辺がレコード化。日本国政府の厚生省復員局と渡辺の奔走で
モンテンルパ市のニューピリビット刑務所へ慰問コンサートが実現。
フィリピン政府当局に減刑、釈放を嘆願し、当時のフィリピンの首長であったキリノ大統領に日本人戦犯の釈放を決断させ、全員の日本への帰国が実現したことは、渡辺の歌手人生におけるハイライトとされている。 (この項Wikipediaより引用)
★記事が長ったらしくなるので割愛するが紹介したい楽曲はほかにも
「愛国の花」「支那の夜」「蘇州夜曲」など多くある。

SNS(ブログ、FACEBOOK)など見てられるか、と拒絶されそうですが
この投稿が記事としては今年最後!お許しを!


例年TVでは『年忘れにっぽんの歌』なる長時間特番が放送されるので

今も《今日の人気アクセス記事 BEST50!》に10種の記事がランクイン
しています。楽曲・歌手・作家を含んでの不定期シリーズですが今回で#28 紹介するのは愛称は「おはまさん」の愛称で知られた
「国民歌謡」の歌手、渡辺はま子さん! 彼女にスポットを当てたもう一つは明日12月31日は1999年に89歳で亡くなった彼女の命日でもあるからです。

さて彼女の経歴や代表曲を列記するより選んだこの2曲を語りましょう。
1.「桑港のチャイナ街」(1950年11月発売)

作詞:佐伯孝夫、作曲:佐々木俊一
曲紹介などでは「シスコのチャイナタウン」とか
「サンフランシスコのチャイナタウン」が通常でわかりやすい。
桑港(サンフランシスコ)のチャイナタウン
夜霧に濡れて
夢紅く誰を待つ 柳の小窓
泣いている 泣いている おぼろな瞳
花やさし 霧の街
チャイナタウンの 恋の夜
カラオケでオープニングに唄うにはもってこいでイントロからして
チャイナの雰囲気と小気味良いリズムとメロディが流れます。
昔の歌はイントロ(前奏)や間奏だけでも一曲成り立っているほど
聴き応えがありました。サビの「泣いている~」で
おはまさんの鶴のひと鳴きのような歌唱が独特です。
2.「あゝモンテンルパの夜は更けて」(1952年9月発売、共唱:宇都美清)

作詞:代田銀太郎、作曲:伊藤正康
モンテンルパの 夜は更けて
つのる思いに やるせない
遠い故郷 しのびつつ
涙に曇る 月影に
優しい母の 夢を見る
フィリピンの日本人戦犯が作詞作曲した曲「あゝモンテンルパの夜は更けて」を渡辺がレコード化。日本国政府の厚生省復員局と渡辺の奔走で
モンテンルパ市のニューピリビット刑務所へ慰問コンサートが実現。
フィリピン政府当局に減刑、釈放を嘆願し、当時のフィリピンの首長であったキリノ大統領に日本人戦犯の釈放を決断させ、全員の日本への帰国が実現したことは、渡辺の歌手人生におけるハイライトとされている。 (この項Wikipediaより引用)
★記事が長ったらしくなるので割愛するが紹介したい楽曲はほかにも
「愛国の花」「支那の夜」「蘇州夜曲」など多くある。

