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❤いつも心に詞(うた)を置いて🎤あの歌手あのartistに【new!Virtual書き下ろ詞】

2438篇超の演歌・歌謡曲 J-POPの私の書き下ろ詞!ほぼほぼ毎日【new!Virtual書き下ろ詞】

「東日本大震災から10年」 ~29篇の《勇気歌》に心をこめて~

2021-03-11 | 東日本大震災 勇気歌
前向き
東日本大震災から10年、忘れてはいけない日がまためぐって
きました。 被災をまぬがれた者として、何が出来るか、何をしなければいけないか 発生から今日まで折に触れ、一モノ書きとして《東日本大震災 勇気歌》と題して、心ゆさぶり湧きあがる
思いを詞句(ことば)にかさね29篇の《Virtual書き下ろ詞》をのべ5年にわたり書いてきました。そのたびにいろいろなコメントや反響をいただいた。 今日、このブログやFACEBOOK、Twitterなどを
見てくれる人たちと今一度それらの詞をとおして、未曽有の大震災で亡くなった多くの人々への哀悼の気持ちを第一に、震災後、孤立し忸怩たる思いで亡くなっていかれた高齢者、働き盛りの世代が
いまだ確固たる生計を立てられず苦悩する現実、かさ上げした街には住民が戻らず空き地が広がり戻りたいと思わないという人たちとのギャップ。 さまざま状況をしっかり受けとめ、他人事ではないと自覚し皆と共有の日にしたいと思います。
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残された人たちの、亡くなってしまった人への言いつくせない思い 
答えのない問いかけ・・・ 10年という風は人々の心に何を届けた
ろうか 無言のままならば、それはいつまでも忘れるな、というMessageでもあろう  風は今日も死者を弔い、海は不明者よ戻れと、すべての人の心に寄り添う・・・


2021.3.11勇気歌A 2021.3.11勇気歌B
2021.3.11勇気歌C
(画像をお借りしました)

「5年という風」 3.11東日本大震災に思いを寄せて

2016-03-11 | 東日本大震災 勇気歌
もう5年たったね 人は言う
まだ5年だよ
たった5年だよ
残された わたしたち

なぜ 父さんだったの
なぜ 母さんだったの
どこからでもいいから 早く帰っておいでよ

なぜ ぼくが残ったの
なぜ ぼくだけが生きているの

 なにもかもなくなってしまった
 小高い丘のあちこちで
 枯れ枝を風がゆらしている
鳥
5年という風は
木々にとまる鳥の声さえも止め
埃りくさい風は 花も咲かせない

5年という風は
海だけをおだやかにして 青い
海2
まだ5年だよ
たった5年だよ


ひとこと:東日本大震災から5年、忘れてはいけない日がきた。
被災をまぬがれた者として、何が出来るか、何をしなければいけないか
発生から今日まで、物書きとして、折に触れ
東日本大震災 勇気歌と題して、言葉に思いをかさね
26篇の詞を書き下ろしてきた。その間いろいろコメントや反響をいただいた。
今日、このブログを見てくれる人たちには
今一度26篇の詞と今日新たな書き下ろ詞をとおして、哀悼の気持ち、
復興への願いを共有したいと思う。
 残された人たちの、亡くなってしまった人への言いつくせない思い
 答えのない問いかけ・・・ 5年という風は無言のまま今日も被災地に吹く・・・
                       (画像をお借りしました)

駒幸夫🎤「三陸遍路みち」 🎼【東日本大震災 勇気歌】【Virtual書き下ろ詞】

2015-03-11 | 東日本大震災 勇気歌
駒幸夫

春まだ浅い みちのくに
誰を偲ぶか 路傍の花よ
今は会えない 父 母の
あの日の涙を 心にきざみ
歩く 三陸 遍路みち

波路をはるか ゆく船に
思いめぐらす 惨禍の日々を
遠く離れた 友なれば
互いに気付いた 命の重さ
抱いて 三陸 遍路みち

出会いが人の 縁(えにし)なら
人は一生 明日への旅よ
巡る札所で 合掌(あわ)す手の
小さき祈りが 絆をむすぶ
ここは 三陸 遍路みち


ひとこと:東日本大震災から4年。多くの一般人、団体、
歌手、俳優など有名、無名にかかわらず今も被災地を訪問、
慰問のボランティア活動をしている人たちがいることを忘れない。
その中の一人、三味線奏者の駒幸夫サンが三陸沿岸の寺など
60ヶ所を巡る「津波霊場 三陸遍路みち」のルート地図を作る
活動に邁進している、という新聞記事を読んだ。
150305_090738
駒幸夫サンはもともとは歌手でクラウンレコード時代には
『女のきずな』などを発売していてこれがまたとてもいい曲。
女のきずな
三味線奏者に転向してからは米国各地で公演するなど
活動も盛んで震災後は三味線を携えて被災地を訪れ、
慰問演奏で460ヶ所を回っている。
岩手県岩泉から釜石、陸前高田、気仙沼を巡り宮城県南三陸町まで
9市町330キロの遍路みちを犠牲者を悼みつつ、多くの方々に
歩いてほしいとのこと。
私のこのブログでは2011年3月の東日本大震災直後から
『東日本大震災 勇気歌』のカテゴリーで24篇を、想定した歌手に
書き下ろ詞を心を込めてUPしてきた。
仮設に住む約10万人の方々の住まいの移行や約27万人いると言われる
避難者数の救済などまだまだ困難な状況の中、復興への長い道のりを
覚悟しながらも必死にがんばっている人が
たくさんいることを4年を経過した今日、
改めて心を寄せていきたいと思う。
*タイトル画像お借りしました

「イチゴ畑のお元気さん」 宮城県亘理町のお年寄りに。

2014-06-14 | 東日本大震災 勇気歌
イチゴ畑に 朝風吹けば
一人 二人と あつまる笑顔
 草をむしるは わたしの役目
 土をおこすは おいらの仕事
  みんな仲間だ ありがとう
  元気が一番 ありがとう

イチゴ畑も 昼ともなれば
これが楽しみ 採れたてご膳
 じっとしてたら 足腰弱る
 役に立ちましょ 動けるうちは
  食べて しゃべって 大笑い
  楽しいもんだ と 大笑い

イチゴ畑は 寄り合い所帯
芋はごろごろ 青菜も伸びる
 孫も可愛いが 畑も可愛い
 世話に励めば どんどん育つ
  負けちゃられねぇ がんばるさぁ
  よっこらどっこい がんばるさぁ


ひとこと:『しあわせ小箱』と銘打って夕刊に5日続きで掲載された『九州から被災地へ』は
NPO法人「ロシナンテス」の大嶋一馬サンらの奮闘ぶりを紹介した記事。
 震災後、話し相手もなく、元気がなくなり、仮設住宅にこもりがちだった高齢者らに
 気力を取り戻してもらおうと「健康農業 亘理いちご畑」を始めた大嶋サンは
 自分に役割があり、誰かの役に立っていると実感できることが、これほど人を元気づけるのか
 と語っている。
そんな人らに触発されて、お年寄りたちの心根と頑張りをお年寄りが共に歌える
歌謡曲調の書き下ろ詞です。
いちご畑
(画像をお借りしました)

なお、このブログで、似たように夕刊記事からinspireされて書き下ろしたものに
「三杯までよ」「人生 道化でいきましょう」
「花咲くオジジたち」をUPしています。
そちらもぜひ見てください。

東日本大震災から2年 に寄せて ~26篇の勇気歌~ 

2013-03-11 | 東日本大震災 勇気歌
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東日本大震災から2年、忘れてはいけない日がきた。
被災をまぬがれた者として、何が出来るか、何をしなければいけないか
発生から今日まで、物書きとして、折に触れ
東日本大震災 勇気歌と題して、言葉に思いをかさね
26篇の詞を書き下ろしてきた。
ブロガーからはいろいろコメントや反響をいただいた。
今日、このブログを見てくれる人たちには
今一度26篇の詞をとおして、哀悼の気持ち、復興への願いを共有したいと思う。


「どうするの」 森昌子
「mahaloふくしま」 渚ゆう子
「恵み花」 野中彩央里
「三月、母に詫びて」 門倉有希
「約束」 AAA(トリプルA)
「男トラックまっしぐら」 西方裕之
「幸せのつくり方」 太田裕美
「心の明かりを消さずにおいて」 和田アキ子
「三陸水仙」 伍代夏子
「そして涙のかわく朝」 森口博子
「ぶどうの花、咲く頃は」 クミコ
「つながり」 香西かおり
「前向き上向き未来向き」西田敏行
「陸前愛歌」 千昌夫
「女川港」 冠二郎
「偲び桜」 都はるみ
「ふるさと北港」 岸千恵子
「いつの日か」 新沼謙治
「君がおしえてくれた」 ゆず
「蹴球少年の夢」 森山直太朗
「夢しるべ」 細川たかし
「Forty Generation ~40世代」 近藤真彦
「僕は信じているよ」 工藤慎太郎
「心かさねて] 八代亜紀
「生きる」 北島三郎