【お祝いを伝えられない寂寞よ…】元気で旺盛に曲を書いていたら【作曲家・三田村真さん】は8月24日〈今日が誕生日〉でした・・・

三田村さんと知り合ったのはわたしのSNS(ブログ・FACEBOOK)で【Virtual書き下ろ詞】を見つけ、ある日の投稿のコメントで絶賛、過分の連絡をいただき、わたしの作詞、三田村氏の作曲・編曲で作品づくりのタッグを組んでほしいと持ちかけられ、わたしも精力的に詞を書きメロ先の曲にもイメージを自由にふくらませ書いてきました。そんなふうにして「詞(うた)書きvs曲つくり」が始まったのは2018年7月。以後途切れなく60篇以上を作り2020年の年初には互いに、これぞ!という作品をチョイスし歌手を選定しCD化を計画、ホリプロ所属時代の幹部や、作曲家・水森英夫氏とはまだ無名だった頃からの旧知の間柄、編曲やスタジオ、発売委託等に根回しし作業を進めていたさなか、三田村 真さんは2020年3月6日に逝去されました。実をいうと三田村さんには健康面にいくつか不安材料を抱え病院通いをしていることは本人から早くに聞いていました。そういったジレンマもあって自らの足跡を形にしたいのだろうと感じ取っていました。 しかし・・・
わずか20ヶ月の二人のタッグでした・・・ その後のわたしの2020年は《無常》に苛まれた9ヶ月でした。
三田村さんは北原じゅん先生のお弟子からスタートし、
GS(グループサウンズ)ザ・ジェノバで
「サハリンの灯は消えず」「帰り道は遠かった」などのヒット曲を出し、ソロ歌手になってからは

「酒と薔薇の日々」「酒季の歌」「男道」などがあります。




出来上がった60数曲の書き下ろ詞と曲を聴くとたいそう辛く残念、心が痛く、悔しさと空虚な想いがいまだ増すばかりです。
されど三田村さん、お誕生日おめでとう!
お祝いと追悼を表しながらも三田村さんの分までわたしのキャッチ【いつも心に詞(うた)を置いて!】で頑張ります。


三田村さんと知り合ったのはわたしのSNS(ブログ・FACEBOOK)で【Virtual書き下ろ詞】を見つけ、ある日の投稿のコメントで絶賛、過分の連絡をいただき、わたしの作詞、三田村氏の作曲・編曲で作品づくりのタッグを組んでほしいと持ちかけられ、わたしも精力的に詞を書きメロ先の曲にもイメージを自由にふくらませ書いてきました。そんなふうにして「詞(うた)書きvs曲つくり」が始まったのは2018年7月。以後途切れなく60篇以上を作り2020年の年初には互いに、これぞ!という作品をチョイスし歌手を選定しCD化を計画、ホリプロ所属時代の幹部や、作曲家・水森英夫氏とはまだ無名だった頃からの旧知の間柄、編曲やスタジオ、発売委託等に根回しし作業を進めていたさなか、三田村 真さんは2020年3月6日に逝去されました。実をいうと三田村さんには健康面にいくつか不安材料を抱え病院通いをしていることは本人から早くに聞いていました。そういったジレンマもあって自らの足跡を形にしたいのだろうと感じ取っていました。 しかし・・・
わずか20ヶ月の二人のタッグでした・・・ その後のわたしの2020年は《無常》に苛まれた9ヶ月でした。
三田村さんは北原じゅん先生のお弟子からスタートし、
GS(グループサウンズ)ザ・ジェノバで



「酒と薔薇の日々」「酒季の歌」「男道」などがあります。




出来上がった60数曲の書き下ろ詞と曲を聴くとたいそう辛く残念、心が痛く、悔しさと空虚な想いがいまだ増すばかりです。
されど三田村さん、お誕生日おめでとう!
お祝いと追悼を表しながらも三田村さんの分までわたしのキャッチ【いつも心に詞(うた)を置いて!】で頑張ります。
