【気ままに特集シリーズ】『改名した歌手』第2弾です!
6月19日に記事投稿UPした第一弾が好評をいただき感謝です!

芸能人(ここでは歌手)が改名する第一の理由としては“再スタート”や
“心機一転”を図るためでしょうか。単純に言えば低空飛行を続ける自分を
変えるためであり、消えかかっているとするなら起死回生のためでも
あるでしょう。 ●雑学的ウンチクを滔々と言いつらねてもウザイでしょうし、知ってる人は知ってる部分もあるでしょうからごくごく簡潔にまとめました。

【城卓矢】さんが改名して1966年「骨まで愛して」を発売した時、何が驚いたってそのタイトル!このときの作詞、作曲の表記は別名ですが実は
作詞はあの川内康範さん、作曲は城さんの実兄、北原じゅんさんと知ったときは二度驚いた。この大ヒットで紅白出場、映画化で一躍脚光。しかし川内先生、恐るべし!持ってますねぇ、1967年にはあの水原弘さんを再浮上、大ブレイクを仕掛けるんですから。

【箱崎晋一郎】さんは改名とするにはちと迷う。たしかにいっとき表記を《普一朗》としたが1988年亡くなる前に再びもどしているから。
私の作詞の《奥美濃ブルース》をアルバムでカバーして唄った時期は
《普一朗》だった。「抱擁」「熱海の夜」で大ヒット歌手の仲間入りを
するまでには雌伏の時期があったが最期まで歌に人生を賭けた
ひたむきな歌手だった。

【美樹克彦】さんは今でこそ作曲家、ときどき歌手で知られているが子役時代から逆算すると芸歴は長い。学生の頃、付き合った彼女が美樹克彦の歌ファンで新曲が出るたび私の買うレコードと貸し借りして互いに歌謡曲を楽しんでいた思い出がある。(どうでもよくてスミマセン)

【真咲よう子】さん、本名の紅谷洋子でデビューしたときはアイドル路線だった。演歌に転向したのは1981年。彼女も歌手生活46周年になった。
私の作詞の「越冬酒場」ももはや過去の遺物と化した。

【夏川りみ】さんが1989年キャニオンレコードからデビューした頃、私はキャニオンにいた。「しほり」はいい楽曲だった。夏川りみで再デビューし「涙そうそう」でブレイクしなかったらどうなっていたろうと余計な
ことをときどき思ってしまうことがあった。

【丘みどり】さんがまだ無名だった頃すでに知り得ていたのは「演歌百撰」のアシスタント司会をしていたから。ローカルアイドルグループの
一員で超ミニスカートのイメージしかなかった彼女がゆめゆめ紅白にまで出るヒット歌手に成長するとは・・・ あな恐ろしきは歌謡界!

如何でしたか?皆さんよく知っている歌手ばかりでも人って変わるもんですねぇ~。大して変わらない人、別人かと思わせる人、紆余曲折を、
軌道修正を、しみじみ感じます。
ちょっと意外性のない記事でしたが次回をお楽しみに!
6月19日に記事投稿UPした第一弾が好評をいただき感謝です!

芸能人(ここでは歌手)が改名する第一の理由としては“再スタート”や
“心機一転”を図るためでしょうか。単純に言えば低空飛行を続ける自分を
変えるためであり、消えかかっているとするなら起死回生のためでも
あるでしょう。 ●雑学的ウンチクを滔々と言いつらねてもウザイでしょうし、知ってる人は知ってる部分もあるでしょうからごくごく簡潔にまとめました。

【城卓矢】さんが改名して1966年「骨まで愛して」を発売した時、何が驚いたってそのタイトル!このときの作詞、作曲の表記は別名ですが実は
作詞はあの川内康範さん、作曲は城さんの実兄、北原じゅんさんと知ったときは二度驚いた。この大ヒットで紅白出場、映画化で一躍脚光。しかし川内先生、恐るべし!持ってますねぇ、1967年にはあの水原弘さんを再浮上、大ブレイクを仕掛けるんですから。




【箱崎晋一郎】さんは改名とするにはちと迷う。たしかにいっとき表記を《普一朗》としたが1988年亡くなる前に再びもどしているから。
私の作詞の《奥美濃ブルース》をアルバムでカバーして唄った時期は
《普一朗》だった。「抱擁」「熱海の夜」で大ヒット歌手の仲間入りを
するまでには雌伏の時期があったが最期まで歌に人生を賭けた
ひたむきな歌手だった。


【美樹克彦】さんは今でこそ作曲家、ときどき歌手で知られているが子役時代から逆算すると芸歴は長い。学生の頃、付き合った彼女が美樹克彦の歌ファンで新曲が出るたび私の買うレコードと貸し借りして互いに歌謡曲を楽しんでいた思い出がある。(どうでもよくてスミマセン)


【真咲よう子】さん、本名の紅谷洋子でデビューしたときはアイドル路線だった。演歌に転向したのは1981年。彼女も歌手生活46周年になった。
私の作詞の「越冬酒場」ももはや過去の遺物と化した。



【夏川りみ】さんが1989年キャニオンレコードからデビューした頃、私はキャニオンにいた。「しほり」はいい楽曲だった。夏川りみで再デビューし「涙そうそう」でブレイクしなかったらどうなっていたろうと余計な
ことをときどき思ってしまうことがあった。


【丘みどり】さんがまだ無名だった頃すでに知り得ていたのは「演歌百撰」のアシスタント司会をしていたから。ローカルアイドルグループの
一員で超ミニスカートのイメージしかなかった彼女がゆめゆめ紅白にまで出るヒット歌手に成長するとは・・・ あな恐ろしきは歌謡界!


如何でしたか?皆さんよく知っている歌手ばかりでも人って変わるもんですねぇ~。大して変わらない人、別人かと思わせる人、紆余曲折を、
軌道修正を、しみじみ感じます。
ちょっと意外性のない記事でしたが次回をお楽しみに!