ここだけの話(笑)、この曲が発売されて聴いたときはさして〈心にのこる〉ほどのものは何も感じなかった。ところが後日2つのきっかけからすっかり〈沁みる一曲〉になった。
「銀のライター」唄:森昌子
作詞:阿久悠. 作曲:猪俣公章. 編曲:斉藤恒夫 発売日:1989年01月21日
お前が大きくなったなら
恋人同士になろうねと
冗談みたいにあのひとが
私にこっそりいったのは
五年も前の秋のこと
私が十五になった頃 (以下略)

きっかけ① 森昌子さんが鳴り物入りでポニーキャニオンに移籍したのは1979年。当時の私は作詞が某レコード会社からレコード化し始めたのを機に長年勤めたポニキャンを辞めて東京に出てきていたのと入れ違いの頃だった。あるとき同じセクションに居た知人に会う機会があって、聞けばなんと「あれからディレクターになって今、森昌子を担当してる」と言った。驚くやらうらやましいやらで、その時の最新盤が「銀のライター」だった。

きっかけ② シングル盤といえどもモノ書きの習性か、ジャケットを見ながら、詞はもちろん作家陣までくまなく見て頭の中のデータバンクに詰め込んでいた。そして作曲が猪俣公章さんだと知った。幾度か聴いていたにもかかわらず、阿久さんのピュアな詞におおよそド演歌っぽくない清楚なメロディが猪俣さんとはすっかり失念、見逃していた。というのも猪俣さんの作品は100曲ほど収集して音源造りにしていたが印象が薄かったのは否めない。余談ながらアレンジがオールマイティだった斉藤恒夫氏にもちょっと意外!(何をチェックしていたのやら)
僭越だが大ヒットするには、という楽曲だったが聴けば聴くほど〈沁みる一曲〉になっていったのは当時の自分もまだそんなピュアな部分を持ち合わせていたからだろう、と赤面している。 (画像をお借りしました)

作詞:阿久悠. 作曲:猪俣公章. 編曲:斉藤恒夫 発売日:1989年01月21日
お前が大きくなったなら
恋人同士になろうねと
冗談みたいにあのひとが
私にこっそりいったのは
五年も前の秋のこと
私が十五になった頃 (以下略)



きっかけ① 森昌子さんが鳴り物入りでポニーキャニオンに移籍したのは1979年。当時の私は作詞が某レコード会社からレコード化し始めたのを機に長年勤めたポニキャンを辞めて東京に出てきていたのと入れ違いの頃だった。あるとき同じセクションに居た知人に会う機会があって、聞けばなんと「あれからディレクターになって今、森昌子を担当してる」と言った。驚くやらうらやましいやらで、その時の最新盤が「銀のライター」だった。



きっかけ② シングル盤といえどもモノ書きの習性か、ジャケットを見ながら、詞はもちろん作家陣までくまなく見て頭の中のデータバンクに詰め込んでいた。そして作曲が猪俣公章さんだと知った。幾度か聴いていたにもかかわらず、阿久さんのピュアな詞におおよそド演歌っぽくない清楚なメロディが猪俣さんとはすっかり失念、見逃していた。というのも猪俣さんの作品は100曲ほど収集して音源造りにしていたが印象が薄かったのは否めない。余談ながらアレンジがオールマイティだった斉藤恒夫氏にもちょっと意外!(何をチェックしていたのやら)

