ミロク文明

新しき[神]の国の写し絵、天国地の上に現す
ミロクの世 ミロク文明人 大和ごころを志しての旅は・波・∞無限大∞

般若心経とミロク心呪・中編-7

2016-06-28 00:36:47 | 般若心経とミロク心呪
空不異色「1
振動論。神様の物理学 

 
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私の大和ごころを志しての旅は「ミロク文明」ミロクの世を地の上に現す方向性。
*般若心経(はんにゃしんぎょう)ガイド Heart sutra
   http://sutra.lightswitch.jp/?eid=8 
空不異色(くうふいしき)
空不異色は、「実体がないからこそ一時的な形あるものとして存在するもの」という意味です。


*私訳の参考資料
密教(みっきょう)の視点、観点での・・・空不異色(くうふいしき)

顕教(けんぎょう)の視点、観点では、凡夫の理解を超えているという点で「秘密の教え」であるということが密教の密教たる所以だともいう。「秘密」ではない。貴方が理解できるか、否かかの違い。

密教(みっきょう)とは、「秘密の教え」を意味し、一般的には、大乗仏教の中の秘密教を指し、「秘密仏教」の略称とも言われる。
真言宗においては、伝統的には「密教」とは顕教と対比されるところの教えであるとされる。
インドの後期大乗仏教の教学(顕教)と後期密教とを継承したチベット仏教においても、大乗を波羅蜜乗(顕教)と真言乗(密教)とに分けるという形で顕密の教えが説かれている。密教の他の用語としては金剛乗(vajrayāna、ヴァジュラヤーナ)、真言乗(mantrayāna、マントラヤーナ)、秘密真言金剛乗などとも称される。
 


空(くう)
空は、サンスクリット語で、シューニャという言葉の訳語です。
空虚、空っぽ、空間とは意味が異なります。

空の意味は難しいのですが...
ものごとは条件によって成り立っていて、
誰かが「ある」と思っているものは、条件によって成り立っているもので、
そのもの固有の実体は「ない」のだということを表しています。
空は「本質的なものではない」という意味になります。

空(くう)の空間には波動、振動が存在する・・観点の参考資料


*まるぞう備忘録 (まる(=・3・=)ぞう)
  http://blog.goo.ne.jp/ohisama_maruzo/d/20150103
振動論。神様の物理学。2015-01-03 記事全文
お正月ですからレンタルDVDを借りている方もいらっしゃるかもしれません。
さてこのDVDの中には時間があるのでしょうか。ないのでしょうか。
ストーリーの始まりから、中盤、そしてクライマックスまで同時にこのDVDの中に存在しています。
つまり過去と現在と未来が同時に1枚のDVDとして存在しています。
プレーヤーにかけたら時間の経過として私達は認識しますが、そうではない常態としては過去も現在も未来も同時に一枚の盤として存在しています。

おそらく私達の宇宙と呼ばれるのもこの大きなDVDのようなもので過去と現在と未来が同時に存在していると言えるのでしょう。
ただ人間が作り出したDVDと異なり、宇宙のDVDは「二度と同じストーリーが存在できない」という公理があるのです。
どういうことかというと、人間が作ったDVDは当然いつも同じストーリーです。
同じ二人が出会い、同じ二人が愛しあい、そして殺人の真犯人はいつも彼です。

しかし宇宙のDVDでは過去と現在と未来が同時に存在しているにも関わらず、瞬間瞬間そのストーリーが変わっており、二度と同じ形態をとることはない。という不思議な不思議なDVDであるようです。

宇宙にはただ一つの不変の性質で貫かれているようです。
それは「同じ常態が一瞬たりとも続かない」という「不変の法則」です。
「変わらずにはいられない」という性質のみが、ただ一つの「変わらない」性質です。

一見矛盾した二つの事象が同時に存在するというのが「神様の物理学」のようです。
かつて光は「波動」なのか「粒子」なのかという大論争が物理学で巻き起こりました。
ニュートンは光は「粒子」だと唱え、ホイヘンスは「波動」だと唱えました。

「粒子」とは鉄砲の玉のようなものです。光が届くというのは光の粒子が届くということです。
「波動」とは海の波のようなものです。普遍的な媒体が宇宙に遍在していて、その媒体の濃い薄いという密度の強弱が届くということが、光の波動が届くということです。

「粒子」と「波動」は全く正反対の性質も持ちます。
しかし現在の物理学では、光は「粒子」と「波動」の正反対の性質を同時に持つものとしか言い様がない。という結論になっています。


物理学が神様の域に近づいていけば行くほど、私達の日常の感覚では理解しがたい宇宙の姿が一つ一つ証明されていくようです。
私達の常識では正反対と思える二つの事象は「実は一つで同じものである。」と考えるだけで、それはもう一つの「神様の物理学」の発見であると言えるかもしれません。

正反対な二つとはどんなものがあるでしょう。
「善」と「悪」もあります。
「陰」と「陽」もあります。
「誠実さ」と「裏切り」もあるかもしれません。
「創造」と「破壊」かもしれません。
「生」と「死」もそうです。
まだまだいろいろあるでしょう。読者の方もどうぞお考えください。

そしてこれらの二つが
「実は同じものの裏表である」とか「同時に存在する」とか「同時に生み出される」などなど正反対のものが同じであるという考えが「神様の物理学」へのアプローチであると思います。


おひさま、ありがとうございます。
 振動論。記事つづく


『般若心経』は効能書きで、唱和する事で呼吸が調い気持ちが安らぐ・・・だけかも。
第四の観点で正しい視点、正しい観点の実行は覚醒はでき無い。
私が般若心経を縁あるグループと唱和する事があれば最後の「マントラ」はこうなります
   羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶
原語は「ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー」


「有音、縁者との唱和・・ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー ヒイ(陽の意に乗り和ス)
此処からは完全呼吸法とミロク心呪、無音で心の中で唱えるヒイ ナアモウマハア マヒトラアヤ スバハヒイ ナアモウマハア マヒトラアヤ スバハヒイ」・・・繰り返し~第四の観点で正しい視点、正しい観点の実行を志す、結果幸運を創造して行く事に成る。
 

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つづく


生【イ】かして頂いて ありがとう御座位ます【ス】

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