恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第三章 天上界への道
◆宇宙を動かす力とつながる心の内奥◆
先の続き・・・
それまでは想念の厚い雲が実在界より来る神様の光を遮っていたわけですから、
この曇りがなくなれば現象界のほうにまでその光が届き、差し込んできます。
霊魂の器の内部に神我はあります。
表面意識のほうから見れば、いちばん内奥にある意識です。
想念の曇りを除きつつ奥に分け入ってはじめて到達できるのが、
潜在意識の最深部にある
神の分け御霊としての神我であり、キリスト意識であり、
宇宙意識です。
ところで、私たちの命のふるさとは、
個別の霊魂の容器の彼方に無限に広がる大宇宙体を
つかさどる一つの偉大なる意識のほうにあります。
コップの口のあいたほうです。
肉体の五感に影響された理性、知性、本能、感情などから見て、
神社仏閣や教会やお墓や
仏壇などを死後の世界とイメージで結びつけたがるのは、
単なる習慣上の思いにすぎません。
まったく想念が浄化され、なんのとらわれもない
自在無礙の空そのものの意識になってしまいますと、
仕切り板がなくなったコップを常に神様から来る光が
サァーッと突き抜けいく状態となります。
その時、この世の現象界にまであの世の実在界の光が完全に通り、
すでに心は自由にこの世とあの世とを往還できるようになっています。
この世に肉体がありながら、もはや心は肉体の五感にとらわれずに、
自由自在に意識を働かせ、
宇宙大に意識が拡大しています。
こういう方を如来と呼びます。
如来という言葉には、「来るが如し」という意味があります。
それは、今説明させていただきましたような、
あの世の実在界のほうから来た神の光その
ままであるということなのです。
つまり、この地上にあっても、肉体の五官に振り回されずに、
神様の御心を行いに具現し、
その存在自体が神の御姿を如実に示し現わすことができたなら、
その時その人の心は如来の心と言えます。
又、神人とも言えます。
心の奥にある神我に到達せんと心を磨き、
少しでも如来に近づく努力をしていこうとする人が増えれば増えるほど、
この地球世界は実在界の写しのような大調和した理想世界となってきます。
仏国土、ユートピア、神の国、地上天国などと呼ばれる世界です。