恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第五章 心の曇りをとるための反省
反省してはじめてわからせていただいた母親の愛
先の続き・・・
この母の大きな愛に対して幼い私が大きな嘘をついてだましている。
そして母の愛を裏切っているこの姿を見た時、
「ああ、痛かったやろうなあ。
かわいそうになあ。つらかったやろう」
「友達のお母ちゃんはなんであんばいしてくれんじゃったろう」と
言ってくれたそのことを、ずっと反省させていただきました。
不思議なもので、三日も四日も一つのことを追求し続けていくと、
その時の場面が本当にそのまま出て来るのです。
足の肉が裂けた時の感覚がはっきりと再現されます。
真剣に反省に取り組めば、その当時の状況が詳しく思い出され、
肉体の感覚までありありとよみがえってきます。
相手の立場に立つということは、
この場合、母の立場に立って自分の行為を反省してみることですが、
まず母は幼い我が子に対してどのように思ってくださったか追求します。
母は足の怪我を見た時、すぐに友達の家で怪我をしたのでは
ないことくらいはわかったはずです。
血止めの草をすりつけた足の傷をボロ布で巻いているのですから、
これはおかしいなと思ったことでしょう。
にもかかわらず、
そんなことよりも「ああ痛かったやろうな。かわいそうになあ」と
いう思いのほうが強いのです。
私のついた嘘を取り沙汰して善悪の理非を正すより、
母親の愛のほうが偉大であったとわかりました。
間違いを犯した時に叱って云い聞かせる厳しい父性愛とは違って、
お母さんの愛というのは、たとえ口では小言を言ったとしても、
赦しの心でやさしく包んでくれます。
煩悩を戒め、降魔の剣で厳しく断ち切ってくださる忿怒相
(怒りの表情)の不動明王に対して、
衆生の悩み苦しみの声を聞いて救ってくださるご慈愛深い
観世音菩薩のような役割です。
その神様のような観音様のような愛を持ったこの世でたった一人の母に対して、
私は嘘をついて畑に行かず遊びに行ってしまったうえに、
粗相をしでかして大怪我をし、親に心配をかけている。
七歳の当時のその自己の心と行いの姿をよく見つめ直した時に、
「ああ、本当に申し訳ないことをした。
お母さんの愛を裏切って幼い頃から嘘をついてきた私を
どうぞ赦してください!」と、
泣いて泣いてお詫びさせていただきました。