恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第一章 或る愚か者の生涯
◆高橋信次先生との邂逅と天職を見出すまで◆
先の続き・・・
昭和四十五年に癒しが始まった後、四十九年に高橋先生にお会いし、
太陽のような与えっ放しの「無償の愛」を学びました。
又、「今世、天下った光の天使は宗教でめしを喰っているような者は
一人もありません。
神はそれだけのものは与え給います」という教えを守っています。
昭和五十三年四月から鍼灸専門学校に二年間通い、
昭和五十五年に国家試験に合格して
資格を取得し、職業的な治療家の道に進むことになっていきます。
昭和五十七年には織物業を止めることになりました。
癒しを始めた当初は一日に五人から十人くらいの方が治療に
いらっしゃいました。
癌であと三カ月の命と宣告された方が御縁があって来ているうちに、
完全に病巣が消えてしまって、もう帰ってよろしいと医者に言われた方とか、
女性の方の子宮筋腫がすぐに消えたりするなどのケースは
枚挙にいとまがありません。
こういう不思議な力がいったいどこから来るものかもわからず、
いろいろな宗教の門を叩きました。
求道者のようにあちこちに足を運び、質問したりしましたが、
納得することも、
これはといった師にめぐり逢うこともありませんでした。
そして、とうとう高橋信次先生との邂逅とも言うべき運命的な出会いの
御縁をいただいたのでした。
そこから学んだ無償の愛というものを実践させていただきました。
初期の頃には大阪近辺でお話させていただいていたのですが、
昭和六十二年からは遠い招請を受けまして、
枯野に火が燃え広がるような具合で全国各地へと活動範囲は広がりました。
海外での奉仕活動もやはりこの頃から始まりました。
そもそもの動機は、故高橋信次先生の「正法は必ず全世界の人々に
伝わるべきものである」
と言われたその遺志を受け継いで、法の灯を絶やすことなく
海外にもお伝えしたいという願いからです。
しかし、それも仕事を持っていたからこそ、人様に対して
無償の奉仕ができたのだと思っています。
最初は無償で感謝箱だけ置いてありました。
汗水流して一生懸命に癒させてもらっていますと、
「ハイ、お賽銭です」と十円入れていかれる方もあれば、
ティシュにティシュをくるんだものを
御礼の代わりに入れられる方もおられたりと、
実に様々な方がお見えになります。
たいへん心の勉強になりました。
ときには、お金に困った方はそこから持っていってください、
と感謝箱からお金を持って
いってもらうこともありました。
その後、数年前からは治療券を受け取っていただくことにしました。
隣の部屋で若いマッサージの先生たちに治療してもらってから、
私が祈ります。
すると、十年以上ものあいだ無料で治してもらうのを
当然のように考えて見えていた方が、
ある日突然にみなさんが治療券を受け取っているのに気付かれて、
「えっ、ここはタダじゃなかったんですか」と驚いて聞かれたのです。
これには私の方がびっくりさせられました。
十年間も無料で治療を受けられていたそうです。
感謝箱を設置したのも、癒しは商売として始めたわけではありませんから
神様への感謝を忘れないでいただきたい、という願いからでした。
もちろん、人間には各人に自由意志が与えられていますから、
何事もご本人が判断して行動されるべきものです。
ただ、人間誰しもがそれぞれ内なる良心を持っていますから、
やがて神我に目覚められるであろうということを信頼し、
また一人でも多くの方に神我に目覚めていただきたいと
祈る毎日です。