恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第二章 必要なのは正しい生命観の確立
◆マクドナルド・ベインに入ったイエスの霊◆
先の続き・・・
「心身の神癒」を読むと、
そこには私たちの命そのものは永遠に死なないということが、うかがえます。
肉体は時間の中で成長し、衰え、ある時間が来ますと、
この世界から消えていきます。
物質だからです。
ところが、生命そのものは死にません。
魂は天上界に帰って、何回も生まれ変わるうちにいろいろなことを学んで、
それぞれの心の癖や欠点を修正していきます。
やがて、完全に成長すればこの世に生まれることはありません。
「如来は再生されないだろう」という仏典の言葉もあります。
イエス様はあの世に帰られたけれど、
ベインさんの体を通して説法をしている。
この死んでも死なないというのは、命そのものです。
生命のことなのです。
本当は生かす力と言うほうがよく、一なる神の御命だけが存在し、
私たち一個の命はそれにより生かされているだけです。
どんな聖者でもその肉体は滅びます。
ですから、「私を信じる者は私の中に生きる」という言葉の意味は、
イエスの教えの中に生きるということです。
花々を通し、動物たちを通し、人間と天使たちを通し、愛が全宇宙の中心、
神の御心より泉のように流れていると言っておられます。
神の愛とは命そのものであり、常に私たちの内なる意識へとそそがれています。
「神、我とともにあり、我、神とともにあり」という言葉の
意義深さもここからわかってまいります。
あらゆるものを生かそうとするその愛と生命の力こそは、
形なき神様から発せられるものです。
そして、人に嘘をつけても自分に嘘をつくことのできない心、
これが神のささやきです。
これにいつも耳を傾けることです。
世の宗教家の中には、過去の聖者が自分の中に入ってきたと言って、
その言葉を述べる方がいらっしゃいますが、
証拠がなければそれが本当にイエスやお釈迦様などの
語られているものなのかどうかもわかりません。
外なる言葉と内なる言葉を識別すべきです。
ところが、このマクドナルド・ベインにイエスが入った時には、
この世では聞いたこともないなんとも言えぬ美しい音楽が説法の期間中
その会場に鳴り響いたり、ご本人よりも一回り大きな姿に身体が伸長したり、
誰が見てもイエス様がのりうつっておられるとわかるほどに
お顔が変貌されたりしたそうです。
霊的なものはこのように証拠がない限りは信じてはなりません。
これも身体に現わされた心の現象の不思議の一例です。