恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第五章 心の曇りをとるための反省
子供の問題はまず親の反省から
先の続き・・・
ちょうど、
二月の凍てつくような寒空に冷たいお月様がこうこうと
照り冴え渡っていました。
もう家にじっとしていられなくなった私は、
子がどこへ行ったかもわからないのに、
駅まで迎えに行きました。
地域の役員をさせてもらい、顔が広かったので、
「○○さん、こんばんは」とか、
「何をしているのですか」とか、声をかけて来られる方がいます。
「いや、ちょっと」言ってごまかしているのも辛いので、
電車が来る度にホーム近くに駆けていって、
陰に隠れて電車から降りて来る人々の中に我が子がいないかと探し、
降りる人が一人もいなくなると、線路沿いに駅を離れます。
青少年指導員などもやっておりましたから、
夏休みの非行対策に学校の先生と連絡を取りつつ、
巡回するのです。
「泥棒を捕えてみれば我が子なり」となっては格好がつきません。
私はヒヤヒヤしながら巡回していました。
遮断機の音がチンチン鳴ると、駅のほうに走り寄る。
終電までそれを繰り返していました。
その時、お月様を見ながら、本当に辛いなあと、つくづく思いました。
しかし、この苦しい体験も今にして思えば、自分が反省することにより、
自らのわるい癖、
欠点に気づいてこれを修正するための貴重な試練の機会であり、
子供は私にとってはその意味で有難い恩人であったのでした。
私たちは都合のわるいことはすぐ人のせいにしてしまいがちです。
「自分は正しいのにあの人がわるいからこんなことになるのだ」と、
自分を正当化してしまいます。
そうやっている限りは、なんとかして相手の間違いを改めさせようとして、
抵抗する相手を力づくで自分のいいように変えさせようとしますから、
自分のわるいところには気付かないばかりか、
相手が変わらないと言って嘆き、またイライラしたり、怒ったりします。
結局、自分の心を苦しめることになります。
また、相手の心にも苦しみを与えていることになります。
それを今度は相手の立場になり、また両者を公平に見られれば、
お互いに救われます。