グミの実のお味

私はグミの実を食べたことはありません。こちらは双極性障害の主婦、グミの実のブログです。

消せない記憶

2009-06-26 14:28:34 | Weblog
全然、困っていることも悩んでいることもなかったので、
今回のカウンセリングは50分はいらないだろうと思っていた。

10分くらい、スポーツクラブや山のことを話して、
ふとしたことから異変があるとすぐ病気と結びつけてしまう話になったら、
そのことだけで40分が経過した。

睡眠時間とネットへの書き込み。
以上、2点だけを当面の指標とする。
私としては考え方というか思考の流れ方が違うと思うのだが、
それを数値化して客観的に見ることは出来ないし、
経験数が少なくてちょっと当てにならないのでやめる。

今まで、ちょっと気分がよかったり、感動したり、喜ぶことで
「あ、もしかして躁の始まりなんじゃ・・・」と思っていたけど、
「あ、もしか・・・ぬわーんて、訳ないんじゃ!」と訂正する。

私はどうも躁が嫌みたい。
躁の何が嫌だったんだろうと思い起こしてみたが、
笑い飛ばせるようなことは思い出せても、核心が見えてこない。
未だに、その封印を解くことが怖い。

なぜ、怖いのだろう。
その体験を潜り抜けてきたから、今の私があるのに。
時間にして、0.5秒ほどの映像なら思い出せるのにな。
まあ、チラチラよぎるその映像だけで、ダメージはあるのだけど。

なんであんなことしたんだろう!
それは病気だから!!
病気といえど許せない!!!

ああ、一つ思い出してしまった。
私は母を殴ったのだ。平手で。
小さな母は吹っ飛び、気を失う前に言った。
「殺して・・・」

ガーーン!!!!!
産んで育ててくれた人に「殺して」と言わせた私。
母は全く記憶にないらしいが、私には傷が残った。
手を出したのは私なのに。
謝っても覚えていないというし、救われない。
いっそ、責めてくれと思う。
苦しいからまた封印する。

封印するから、思い出す度に新鮮なままで、
また苦しくなる。
だから考えないようにするのに、時々湧いてくる。
消せない記憶、なかったことにしてはいけないような気がする。

どうなりたいかといえば、全て受け入れた上で平常心を保ちたい。
過去の話だけでない。
これから再びそうなりえる可能性も受け入れたい。
受け入れられたら、何が変わるのだろう。
今の何がいけないのだろう。

「よっぽど、躁のとき嫌なことがあったんだね」
「はい、そりゃもう・・・嫌ですね」

人には、必要以上に怖がらないでと言えるが、
自分に対しては納得していない。
でも、このままでは居心地が悪い。
何とかしたいのに方法が分からない。

母が加藤先生に聞いたそうだ。
娘が「躁が怖い」「躁になりたくない」って言うのはどうすればいいか。
「それでいいんですよ」と言われたそうだ。
こんなに嫌なのに、いいんだって。
初めて聞いたときはそりゃあ治療につながるからマシなだけでしょと思ったが、
今はそれが自然な気持ちだから否定しなくてもいいということかなと思う。
持ち続けつつ、必要なときだけ出せばいいのだと。
私の場合、睡眠時間が極端に減った時とネットへの書き込みが急激に増えたとき。