
4月6日(木) 曇
新潟の大島光子さんのご長女との電話のやり取りで、「母が亡くなりました」と聞いた。
さくらと同い年の大島みっちゃんは、会創設当初、毎日新聞の全国版に大きく紹介してくださった記事の読者で、金つなぎの活動には毎回熱心に通ってこられた。
北海道、九州、新宿御苑、大阪、名張、あ、四国八十八か所の温泉山安楽寺さんと龍頭山金剛頂寺さんに癒しの陶額をお届けした折には、新潟から深夜バスで来阪され、大阪第一ホテルの人目につかないソファで仮眠を取り、金つなぎのお仲間とツアーバスを乗り継いで阿波から高知の札所に向かわれた。
足弱になられる前までは、必死で金つなぎを求め、得意のクロッキーで金つなぎのピンクの法被を色紙に描き、私の口ぐせであった「ご一緒に、頑張りましょう♪」を書き添えた、その色紙が断捨離・終活で見つかり、お仏壇の前に飾った1週間後に、大島みっちゃんは安らかに逝かれたそうだ。
一人娘のめぐみさんから、LINEが届いた。
4月2日の午前2時に病院から電話があり、急ぎ駆け付けましたが間に合わず。でも、とても安らかなお顔でした。3月28日に「広野みっちゃんへお礼を言いたい」と言うので動画撮ったのを送ります。母は乳がんになってから1人で気持ちを抱えきれず、金つなぎの会の広野さんに沢山助けられてきました。 本当に、今までありがとうございました。
「ご一緒に、頑張りましょう!」と、いったい幾度繰り返したことだろう。
大島みっちゃん、めぐちゃん。
ありがとうございます、私も励まされていたのですよ。
急遽、原稿を差し換えている。
私も、広野さんに!金つなぎの会!に救われて今が
あります。
大島さん有難うございました。またお会いしましょうね。合掌
私も、広野さんに!金つなぎの会!に救われて今が
あります。
大島さん有難うございました。またお会いしましょうね。合掌