
1月22日 (土) 晴
明るくやはらかな日差しの暖かさが悲しい、今日の好天である。
北のOちゃんこと、北海道のganbarumanさんが、卒然と逝かれた。
平成23年1月19日、12時1分。
ご結婚3年目の33歳。
小学校教員の彼は、生きる目的も自信も、夢も希望も、たくさんたくさん持っておられたというのに!
命を司どっておられる【天】は、なんと無情に無慈悲に、かくも無残な不条理を敢えてなされるのか!
「元気になったら、子どもたちに【命の大切さ】を一生懸命教えて生きます!」
携帯電話の向こうから聞こえる元気な声が耳朶に甦り、今もOちゃんのご逝去が信じられない私である。
Oちゃんとご縁が出来たのは、昨年秋のことだ。
『NHKラジオ深夜便 特選集』に採録していただいた上野重喜ディレクターとさくらの対談を読んでくださり、「広野さんの元気をボクにも分けてください」と、資料請求の手紙を頂戴したのがきっかけである。
そのころスケジュールが詰まっていた私は、北のOちゃんと名づけた彼への資料送付が遅れていることが気になって、記されていた携帯電話に連絡を入れたのだった。
当初、突然の電話をいぶかっておられた彼は、金つなぎの会の理念やモットーをお伝えし、「OK,大丈夫ですよ! あなたより過酷な病状の白血病のお仲間が、今もお元気ですよ。 ご一緒に、明るく強く前向きに、頑張りましょうよ♪」と呼びかけた。
彼はとつぜんに、激しく慟哭された。
発病以来心にわだかまっていた、ご自分の病気の重さがほどけた瞬間であったろうと思う。
その後、院内患者会「七転び八起きの会」を立ち上げ、機関紙を作って院内でプチ・パーティを開いたりしておられ、治る希望に胸を膨らませておられたのだ。
11月18日には、「さくらブログ」に下記のカキコを残し、喜んでも居られたのだ。
翌朝にはあずきさんからエールも贈られ、他の病友がたからも喜びの直メや電話がさくら宛てにも届き、Oちゃんの携帯電話に報告したりもしていたというのに…
☆おかげさまで完全寛解です! (O)
2010-11-18 21:06:02
いつも応援ありがとうございます。
昨日の骨髄の検査で、さらに悪い細胞が減って完全寛解となりました!
化学療法終了直後にはまだ3,8%残っていた悪い細胞が、今回は消えていました!
気持ちを前向きに変えて、「非日常」を楽しんだ結果が出たのかなと思っています!
このまま2度目の骨髄移植です!
今度は臍帯血移植です。
しっかり治して花火大会参加を目指します!
さくらさんはじめ、皆さんの応援のおかげです!
僕も同じ病棟のみんなと励まし合うことができてきました。
早く、金つなぎのあつまりにも参加したいです!
とにかく、最後の治療と思って、しっかりやります!
☆『完全寛解』おめでとうございます!! (あずき)
2010-11-19 09:51:30
良かったですねえ\(^o^)/\(^o^)/
金つなぎのお仲間の皆さんをはじめ
ここへきてOさんの事を我事の様に思って応援見える大勢の皆さんもきっと\(^o^)/\(^o^)/
私も仲間の応援は闘病中のパワーに何よりなると信じています。
今日はこちら三重は秋晴れですよ!!
◆
その後、少し体調を崩されたOちゃんの体をウィルスが虎視眈々と狙っていた。
それでも、Oちゃんは、ご自身のブログ「ganbarumanの闘病記」に、昨年12月28日に下記のカキコを残しておられる。
『 <前略> 「金つなぎの会」はじめ、このブログだけでなく、白血病という病が色々なつながりをぼくらにもたらしてくれているのも事実ですよね、
それをしっかりプラスに受け止めていい感じで病気で克服していこうと思います。』としっかり記しておられた、…あぁ、それなのに!
わずか3日後の大晦日にはOちゃんの父上が、「集中治療室に入りました」と代筆カキコをなされ、年が改まった…
◆
新年早々、病友の優子さんがあずきさんにOちゃんの変事を知らせ、私はあずきさんからのメールでそれと知った。
Oちゃんのブログに飛んで月日を遡り、なぜか釈然としない急転直下の病状悪化ではあったけれど、経過もはっきりとは分からないし、ただひたすら祈るしかないのだった。
病友がたとお会いするたびに、「Oちゃん、頑張って~!」と呼びかけ、ありったけの拍手で応援してきた、金つなぎ流のエールを贈ろうにもOちゃんの携帯電話は無常にも「電源がつながっておりません」と繰り返すばかりである。
とにかく、Oちゃんにメッセージなりとも届けたい。
まだ、33歳。
まだまだ、生きてしなければならないことがたくさんたくさん、あるはず!
Oちゃん、頑張って。
1月12日の夕方、Oちゃんのブログに下記のカキコをお届けしたのだった。
☆Oちゃん、こんにちは!
日々慌ただしく生きていて、あなたのこのたびの急変に気づくのが遅れて、ごめんなさいね。
金つなぎの仲間は、みんなあなたの快癒・安寧を祈っています。
私たちの実践情報によれば、眠っていても耳は聴こえていると信じます。実際の声や音は聞こえなくても、骨伝導の効果によるのかどうか、反応してくださるケースが多くあります。眠っておられても、分かるようなのです。
Oちゃん♪
これまで、病友がたと集まる度にあなたの携帯に電話をかけ、皆で応援の大拍手をして喜んでもらったのでしたね!
もう、ずっと電源の入っていないあなたの携帯電話に、私は毎日電話をしてつながらないことを残念に思っています。
いま、北大病院に電話をし、「あなたのお父上に連絡を取らせていただきたい…」とお願いをしたのでした。
「それをお願いすることは、個人情報の漏えいにはならないでしょう?」
30分ほどの間、電話を受けてくださったナースは、たびたび上司に伺いを立ててくださり、最後には看護士長さんが応対してくださいました。
やさしく応対してくださいました。
けれども、Oちゃんが慕っておられる賢次郎氏に電話を綱でいただきたいとのお願いもむなしく、私は不覚にも泣いてしまいました。
「個人情報漏えい」だなんて、冷たい社会の産物なのに、ね。
Oちゃん、いま夢を見ながら眠っているOちゃん♪
あなたの夢が、明るく強く前向きでありますように!
Oちゃん、Gamba!
投稿: 広野光子 | 2011年1月12日 (水) 17時00分

Oちゃんは「金つなぎ」と出会って、さっそく院内患者会を立ち上げ、パソコンで機関紙『七転び八起き』を創刊された。
トップ写真では、母上と一緒にファイティングポーズをとり、生きる希望に燃えておられた。
明るくやはらかな日差しの暖かさが悲しい、今日の好天である。
北のOちゃんこと、北海道のganbarumanさんが、卒然と逝かれた。
平成23年1月19日、12時1分。
ご結婚3年目の33歳。
小学校教員の彼は、生きる目的も自信も、夢も希望も、たくさんたくさん持っておられたというのに!
命を司どっておられる【天】は、なんと無情に無慈悲に、かくも無残な不条理を敢えてなされるのか!
「元気になったら、子どもたちに【命の大切さ】を一生懸命教えて生きます!」
携帯電話の向こうから聞こえる元気な声が耳朶に甦り、今もOちゃんのご逝去が信じられない私である。
Oちゃんとご縁が出来たのは、昨年秋のことだ。
『NHKラジオ深夜便 特選集』に採録していただいた上野重喜ディレクターとさくらの対談を読んでくださり、「広野さんの元気をボクにも分けてください」と、資料請求の手紙を頂戴したのがきっかけである。
そのころスケジュールが詰まっていた私は、北のOちゃんと名づけた彼への資料送付が遅れていることが気になって、記されていた携帯電話に連絡を入れたのだった。
当初、突然の電話をいぶかっておられた彼は、金つなぎの会の理念やモットーをお伝えし、「OK,大丈夫ですよ! あなたより過酷な病状の白血病のお仲間が、今もお元気ですよ。 ご一緒に、明るく強く前向きに、頑張りましょうよ♪」と呼びかけた。
彼はとつぜんに、激しく慟哭された。
発病以来心にわだかまっていた、ご自分の病気の重さがほどけた瞬間であったろうと思う。
その後、院内患者会「七転び八起きの会」を立ち上げ、機関紙を作って院内でプチ・パーティを開いたりしておられ、治る希望に胸を膨らませておられたのだ。
11月18日には、「さくらブログ」に下記のカキコを残し、喜んでも居られたのだ。
翌朝にはあずきさんからエールも贈られ、他の病友がたからも喜びの直メや電話がさくら宛てにも届き、Oちゃんの携帯電話に報告したりもしていたというのに…
☆おかげさまで完全寛解です! (O)
2010-11-18 21:06:02
いつも応援ありがとうございます。
昨日の骨髄の検査で、さらに悪い細胞が減って完全寛解となりました!
化学療法終了直後にはまだ3,8%残っていた悪い細胞が、今回は消えていました!
気持ちを前向きに変えて、「非日常」を楽しんだ結果が出たのかなと思っています!
このまま2度目の骨髄移植です!
今度は臍帯血移植です。
しっかり治して花火大会参加を目指します!
さくらさんはじめ、皆さんの応援のおかげです!
僕も同じ病棟のみんなと励まし合うことができてきました。
早く、金つなぎのあつまりにも参加したいです!
とにかく、最後の治療と思って、しっかりやります!
☆『完全寛解』おめでとうございます!! (あずき)
2010-11-19 09:51:30
良かったですねえ\(^o^)/\(^o^)/
金つなぎのお仲間の皆さんをはじめ
ここへきてOさんの事を我事の様に思って応援見える大勢の皆さんもきっと\(^o^)/\(^o^)/
私も仲間の応援は闘病中のパワーに何よりなると信じています。
今日はこちら三重は秋晴れですよ!!
◆
その後、少し体調を崩されたOちゃんの体をウィルスが虎視眈々と狙っていた。
それでも、Oちゃんは、ご自身のブログ「ganbarumanの闘病記」に、昨年12月28日に下記のカキコを残しておられる。
『 <前略> 「金つなぎの会」はじめ、このブログだけでなく、白血病という病が色々なつながりをぼくらにもたらしてくれているのも事実ですよね、
それをしっかりプラスに受け止めていい感じで病気で克服していこうと思います。』としっかり記しておられた、…あぁ、それなのに!
わずか3日後の大晦日にはOちゃんの父上が、「集中治療室に入りました」と代筆カキコをなされ、年が改まった…
◆
新年早々、病友の優子さんがあずきさんにOちゃんの変事を知らせ、私はあずきさんからのメールでそれと知った。
Oちゃんのブログに飛んで月日を遡り、なぜか釈然としない急転直下の病状悪化ではあったけれど、経過もはっきりとは分からないし、ただひたすら祈るしかないのだった。
病友がたとお会いするたびに、「Oちゃん、頑張って~!」と呼びかけ、ありったけの拍手で応援してきた、金つなぎ流のエールを贈ろうにもOちゃんの携帯電話は無常にも「電源がつながっておりません」と繰り返すばかりである。
とにかく、Oちゃんにメッセージなりとも届けたい。
まだ、33歳。
まだまだ、生きてしなければならないことがたくさんたくさん、あるはず!
Oちゃん、頑張って。
1月12日の夕方、Oちゃんのブログに下記のカキコをお届けしたのだった。
☆Oちゃん、こんにちは!
日々慌ただしく生きていて、あなたのこのたびの急変に気づくのが遅れて、ごめんなさいね。
金つなぎの仲間は、みんなあなたの快癒・安寧を祈っています。
私たちの実践情報によれば、眠っていても耳は聴こえていると信じます。実際の声や音は聞こえなくても、骨伝導の効果によるのかどうか、反応してくださるケースが多くあります。眠っておられても、分かるようなのです。
Oちゃん♪
これまで、病友がたと集まる度にあなたの携帯に電話をかけ、皆で応援の大拍手をして喜んでもらったのでしたね!
もう、ずっと電源の入っていないあなたの携帯電話に、私は毎日電話をしてつながらないことを残念に思っています。
いま、北大病院に電話をし、「あなたのお父上に連絡を取らせていただきたい…」とお願いをしたのでした。
「それをお願いすることは、個人情報の漏えいにはならないでしょう?」
30分ほどの間、電話を受けてくださったナースは、たびたび上司に伺いを立ててくださり、最後には看護士長さんが応対してくださいました。
やさしく応対してくださいました。
けれども、Oちゃんが慕っておられる賢次郎氏に電話を綱でいただきたいとのお願いもむなしく、私は不覚にも泣いてしまいました。
「個人情報漏えい」だなんて、冷たい社会の産物なのに、ね。
Oちゃん、いま夢を見ながら眠っているOちゃん♪
あなたの夢が、明るく強く前向きでありますように!
Oちゃん、Gamba!
投稿: 広野光子 | 2011年1月12日 (水) 17時00分

Oちゃんは「金つなぎ」と出会って、さっそく院内患者会を立ち上げ、パソコンで機関紙『七転び八起き』を創刊された。
トップ写真では、母上と一緒にファイティングポーズをとり、生きる希望に燃えておられた。
皆様の応援の拍手は彼の妻が、ガンバルマンの耳にあて何度も聞かせていました。御報告させていただきます。
1月13日頃までは混濁状態の中でもガンバルマンと意志の疎通ははかれておりました。
願いもむなしく肺炎は好転せずGVHDと感染症のはざまで体力は消耗をしてしまいました。
ガンバルマンのICU入室前の言葉は暖かいお茶を飲みながら「幸せだ。幸せだ。」とつぶやいていたようです。
「幸せとは、今を幸せと思う心を持つ事なんだ」
ガンバルマンが私にプレゼントしてくれた加山雄三著の本にあった言葉です。
(私は若大将の大ファンなのです)
私も生(携帯電話越し)で金つなぎ応援の拍手を聞かせていただきました。
本当にあたたかく抱擁され自然に今でも涙があふれてまいります。
ガンバルマンに「おっとーも拍手もらったぞ!」って報告をしたのをおぼえております。
金つなぎの皆様の愛情につつまれガンバルマンは幸せいっぱいに旅立ちました。
悲しむまい。泣かないぞって思うのですが・・・
昨夜は家族みんなで泣いてしまいました。
「もう・・泣くべ・・」って。
でも大丈夫です。
ガンバルマンが悲しむといけないので
家族力をあわせ乗り越えます。
金つなぎの皆様方どうかこれからも
ご指導よろしくお願い申し上げます。
合掌 ご家族様どうぞ寒中おつかれでませんように!!
私事ながら、次男が同じ33歳なので、さっそく電話をしてOちゃんの話をし、彼の分まで誠実に生きよ、と話をしました。
広野さんの追悼文を読み、思わず泣きました。謹んで合掌の誠を捧げます。
新年早々にOちゃんのブログをあけた時から思っていました。
そして、『きっと良くなる』とずっと信じて毎日毎日ブログに念をおくって
たまらなくなって、熊野の花火の写真を目を覚ましたら見て欲しいと送ったのでした。
Oちゃんへ
完全寛解→臍帯血移植成功→退院→小学校の先生に復職→さくら様に会ってハグして金つなぎの仲間と一緒に非日常を一緒に…
となるはずだったんですよね。
本当に残念で悔しい想いをいっぱい残して逝かれた事でしょう…。あなたにエールを送っていた全ての方は想っていますよ。
お父様へ
子供が大病になれば内心「出来ることなら替わってやりたい」との想いでずっとOちゃんの闘病を支えておみえになったと思います。
Oちゃんの前では精一杯頑張っていっぱい明るくされてみえたのではありませんか?
ご家族の皆様のお悲しみはいかばかりかとお察しいたします。今までのご心労でお体を壊されませんようにご自愛ください。
今日はずっとOちゃんのブログを読ませて頂いております…。もう暫く読ませていただくお時間をお願い致します。やっとこちらから想いを伝えさせていただきます…。
心からご冥福をお祈りいたします。
言葉しか出ません。
プラス思考+前向き+明るく+人徳があり+ご縁のある人全ての希望の星であった
Oさん ほんとうのお星様になったのですか?
どうぞ安らかに。 天国でピンクの法被の
金つなぎの仲間がやさしく楽しく笑顔で迎えて
くれますから・・・
心よりご冥福をお祈りいたします
それがOちゃんの喜ばれることなのでしょうから…
ご冥福をお祈りいたします。
でもガンバルマンさんは、金つなぎ・天国支部で生き生きとご活躍されていますよ。
命の重みをずしりと受け止め、せめて天国のガンバルマンさんに献杯させていただきます。
ご遺族の皆さん、ガンバルマンさんの分も幸せにお暮らしください。