

日差しは、やはらかなれども風は冷たく、これはこれは、の観梅日和


いつもの場所で、集合写真。 うしろには美麗の大阪城、周囲には八分咲きの梅花。 …背景、いいよね。
それから、”梅花太極拳”。 楊名時太極拳の岩上喜代子師範と同門の方に導かれ、指先の冷たさもものかわ、体内にほっこりと燃える命のほむらを実感しながら、心地よく練成をする。
私が太極拳を推奨する理由は、足腰の鍛錬効果や内臓の強化効果がうれしいのももちろんではあるが、真の願いは、いつか自らが多臓器不全にいたるそのとき、従容と受け入れられる心の強さを養いたいがため。
そのおり、鍛錬した腹式深呼吸とイメージにより、自分らしさを失うことなく明るく強く前向きに、志高く逝きたいがため



死もまた、楽し


86歳の浅田さんから3歳の美緒ちゃんまで、「金つなぎの絆」 うれしい観梅のつどい。 来て死ぬ体なら、来なくても死ぬのよ。 そう、そう、そう

やたら元気な、金つなぎ

岩上先生が、「とても病んでいるヒトたちとは思えないわ。 凄い氣を感じましたよ」 って。
OBP(大阪ビジネスパーク)26Fのアサヒスカイビヤレストランに移動し、いつものようにお弁当昼食会。 金つなぎ・観梅会の最初からこのレストランを利用するには、訳がある。
現役の頃、ほんっと忙しい仕事の合間を縫うようにして、アサヒビールの樋口廣太郎社長を取材した。
『風のように 炎のように ~時代を創ったMr.たち~』を上梓するため、谷井昭雄松下電器社長、宇野収東洋紡会長・関経連会長と樋口社長を”おっかけ”していたのだった。
当時の私は、「サンケイリビング京阪版」 の編集長をしており、休日はすべて、堺の宇野さんのご自宅や谷井さんの交野のご自宅、大阪府の図書館、関連取材先などを回り、守口プリンスホテルや門真ターミナルホテルに泊りこんで原稿を書いたりしていた。
その年のボーナスを注ぎ込んで、夢中になっている私を、亡夫は何も言わず黙って見守ることで応援してくれたものだった。
樋口さんは、情のある行動力のある熱いヒトで、思い立ったら、すぐやる!というヒトでもある。
いつだったか、友人の典子さんが旅行先のブラジルで、「樋口さんと毎日新聞の記者さんが来ておられたよ。 休暇を利用して来られたんだって!」 と驚いて連絡をくれたことがあった。
取材で知り合って懇意にしていただいた澤井アイさん(アート・遊)からも、キース・ヘリングだったっけ、ニューヨークに買い付けに行き、やっと会ってもらったときに、「日本人では、キミの前に ”AsahiのHiguchi”が訪ねて来たよ」 と聞いて、驚いておられた。
私はこのレストランで、樋口さんに度々ご馳走になった。 いろいろ、教えていただき記者冥利に尽きる思い出もたくさん頂戴した。
初めてのおりは、箸袋になぜか、「呑舟の魚 支流を泳がず」 と書いてくださり、私は今も手筐に大切にしまっている。
出会いを大切に! 報恩謝徳!
ありがとうございます、樋口さん。 おかげさまで、いま、病友の難儀に少しばかりお役に立てているようです。
金つなぎの病友がたは、喜んでこのレストランに毎年集います。 もちろん、来年もまた




ありがとうございます。
明日は、津でがんフォーラム。 お風呂に入って、今日はもう、寝ます。




梅の香りと共に頂きました。
良い出会いと良い思い出、そして数々のわかれと・・・毎年この時期には多くを思わせて頂けます。
ありがとうございます。私の方にも金つなぎ観梅会をしたためました。
お疲れ出ませんように、今日も良い日でありますように!!
草創期の頃の、慌しくも必死だった私たち…
思い出しては、ほろ苦く、たのしく、うれしく!
康子さんのお見送りに皆が浮き足立った日のこと、いまも忘れられないわ。
康子さんにあなたが届けられた丹精こめた心経の美しい文字を、いま鮮やかに思い出しています。
あの頃からすれば、なんと、皆強くなられたことでしょう! あ、私もともに…
目に見えない”おかげの力”に思いをいたす今夜です。