…前回から、えらく続きを書くのに時間がかかってしまい、
誠に申し訳ございません…。
別にこんなに引っ張るつもりはなかったのですが、
東京に行っている間、
思っていた以上に時間がなく、
なかなかブログの更新ができませんでした…。
本当にごめんなさい…
さて、
叔母様とかなり久しぶりの対面をした私は、
仏様である大叔父様に御挨拶をと、仏壇の所にすぐに行きました。
手を合わせ、お礼や今自分がやっていることへのご報告を述べて、
ふと、頭上の遺影に目をやると…
凛々しいです。
そして、ん?これって陸上自衛隊の制服では???
叔母様に聞いてみた。
「叔母ちゃん、叔父ちゃんって、陸上自衛隊だったの??」
「そうよ。戦後は先に陸上自衛隊ができたから、陸自に入ったのよ。
あとで、海上自衛隊ができた時は、移るかどうするか、かなり迷っていたみたいだけどねぇ…」
「ん??ってことは…?」
「そう、戦争中は志願兵で海軍にいたから」
来た
「そこなんだけど、叔父ちゃんは何に乗っていたの?」
つい興奮気味に質問。
「潜水艦に乗ってたのよ」
まぢですか
まさかの潜水艦
では、その潜水艦は、伊号なのか呂号なのかということが気になるわけだけだけども、
それから先は叔母さまに質問したところで無意味だということは、
重々承知していたので、
「アルバムある」
と鼻息を荒くして尋ねると、いろいろ出してくれました。
そして、
大叔父が聞いていた通り几帳面で厳しい人だったので、
アルバムにも事こまかにコメントが書いてあったため、
とても貴重なことが分かりました。
「波号第203潜水艦上で(佐世保)」
…波号…????
えぇ、この時点で私、波号潜水艦の存在を知りませんでした
ウィキペディアで調べてもあんまり出てこないのですが、
日本初の国産潜水艦ということは分かりました。
もともと、大叔父はあまり仕事のことを話さない人だったようで、
叔母さまは、聞かされていないことも多いようです。
ですが、
15~6歳くらいで志願して海軍に入り、
戦後も自衛隊ができるとすぐに入隊した叔父は、
間違いなく愛国心に満ちた人だったと思われ、
「終戦直後の放心状態」
というコメントがなんとも切ないです…。
この短いコメントに、
どれほどの想いが込められているのか…。
ちなみに、海軍時代の大叔父さま。
あ、よく言われるんですが、似てます???(笑)
「…どこだったかしら…潜水艦の中の写真もあったのだけど…」
と言って探してくれた写真がコチラ。
貴重な当時の潜水艦内の写真です。
「…爆破前日」
と書いてあります。
この時の乗組員の方々の忸怩たる思いは、いかほどかと思わずにはいられません。
この波号は初の国産だったということで、
実践配備には使われていないという話を、
詳しい方たちから教えて頂きましたが、
「魚雷がすぐ側をかすめて行ったって言ってたわよ」
とのことだったので、危険な事ももちろんあったようです。
ちなみに、海軍時代の写真がかなり少なかったのですが、
それは、
「佐世保の空襲で他の写真は全て燃えてしまった」
という記載がありました。
返す返すも残念でなりません。
その後、
機雷掃海の任についていた模様です。
掃海部隊は、戦後まで海軍の歴史を細い一本の糸のようにつなげてきてくれた存在です。
その中の1人に大叔父がいたとは、
いや~びっくり。
その時の掃海艇がコチラ。
その後、自分で商売をして失敗したり、
民間で仕事をしていた時もあったようですが、
潜水艦 ⇒ 掃海部隊 と海軍にいたにもかかわらず、
陸上自衛隊が発足するや否や、直ちに入隊したところを見ると、
とにもかくにも国防に従事したい、という想いが、
相当強かったのだろうと推察します。
それにしても、元海軍で陸上自衛隊に入隊する、ということは、
それ相応の苦労があったろうとも思いますが、
それでも、
海上自衛隊が発足した時、かなり悩んだにも関わらず、
そのまま陸上自衛隊に居続けたというあたりに、
大叔父の矜持を垣間見た気がしました。
一度きめたことだから、と、
筋を通したのでしょう。
大叔父がもっとも長く勤務した駐屯地が、
私が今、防衛モニターを務めさせていただいている、
久留米の第四特科連隊です。
私が住んでいる地からすると、
なぜここの防衛モニターに?
とずっと不思議だったのですが、
こじつけすぎかもしれませんが、
縁というものを感じずにはいられません。
それにしても、
大叔父が、実の娘以上にかわいがっていた姪っ子の娘が、
今、これほどまでに自衛隊に傾倒していることを、
あの世で大叔父は、一体どんなふうに見ているのだろうと思います(笑)
ですが、
この世界にのめり込んでからというもの、
不思議といいご縁にたくさん恵まれ、
楽しい日々を満喫できているのは、
大叔父が導き、見守ってくれているからだろうなぁと思うのです。
海軍のご縁、自衛隊のご縁を繋いでくれて、
いつも応援してくれているであろう大叔父さまに、感謝です