「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

歴史に触れて~特別編~   「忘れてはならない島」

2015年01月06日 | 陸上自衛隊
昨年、北海道に行ってから、


実は、ずっと書きたかった記事です。


北恵庭駐屯地を訪れた際、


戦車資料館を見学させて頂いたことを、


記事でも書きました。
(北海道まで行ってきました  北恵庭駐屯地後編)


この記事の中で、


「後日改めて書きます」


と書いていたことが、


今回の記事の内容です。


なお、記事を書くにあたって、


戦車博物館にあった資料を参考にさせて頂きました。







恥ずかしながら、私がこの時まで、まったく知らなかったことがありました。


不勉強な私が知らないだけで、


ご存じの方も多いのかもしれませんが…。


「日本人が忘れてはならない島」


といえば、


「硫黄島」


をすぐに思い浮かべる方は少ないと思いますが、


実は、もう1つ、


日本人が絶対に忘れてならない島…いえ、


知らねばならない島があるのです。


それは、占守島(しゅむしゅとう)での、帝国陸軍最後の戦いです。



上部の矢印の先が、占守島で、


見て頂ければお分かり頂けると思いますが、


日本領の最北端でした。


当時、スターリンが北海道占領計画を企図し、


参戦の見返りとして、ルーズベルト大統領から


樺太と北方領土を占領する約束を取りつけました。
(ヤルタ会談)


ですが、スターリンの狙いは樺太と北方領土だけでなく、


ここを足がかりにして北海道北部を占領することだったのです。


(↑オレンジの部分)


…私はこの図を見ただけで戦慄が走りました。


日本は敗戦国となったので、こうなることは現実的にあり得ない話ではないからです。


これを目論んでいたスターリンは、


結局、ルーズベルトの死後、トルーマンによって北海道北部の占領を反対されたので、


ならば力づくでと、


日本の無条件降伏のどさくさにまぎれて、火事場泥棒を決め込み、


大軍を送りこんできたのです。


…近代史を読んでいていつも思う事なのですが、


ロシアや中国のような共産国家は、


どうしてこうも、人道に外れたことが平気でできるのでしょうか???


力づくで他人の物を奪いにかかり、


ルールや人道というものをまるきり無視するような人間が、特に多いように感じます。


その背景には、


当時の日本人は、海外と比べて識字率も高く教養が高く、


教育がしっかりしていたので、国民のモラルがたかったのに比べ、


共産国家だと、知識階級を忌避するきらいがあるので、


指揮官レベルでもモラルが低いという事があるのだと思います。


いうまでもありませんが、


これは、マイノリティに関しては言及していません。


極端であることは認識しつつも、これは私のブログなので、


自分の意見を書いているだけです。






話を戻しますが、


スターリンは、その北海道侵略の手始めに、


占守島占領を狙います。


これに際して、


「占守島など1日で占領できる」


と、スターリンは豪語していたようです。


当時、日本軍は、米軍のアリューシャン列島侵攻に備えて、


戦車隊を擁する精鋭守備軍2万5,000を、占守島に配備していました。


アリューシャン列島といえば、


アッツ島、キスカ島の激戦が有名です。


私もこの2つの事は知っていましたが、占守島のことは知らなかったのです。


8月15日にポツダム宣言を受諾し、無条件降伏した日本は、


当然、武装解除を行います。


占守島では電波状態が悪く、玉音放送はほぼ聞こえなかったようですが、


16日に大本営より、


「一切の戦闘行動を停止す。ただしやむを得ない自衛行動を妨げず。

 その完全徹底の時期を18日16時とする」


という命令があり、武器の処分を行うなどの撤退準備を開始していました。


…ところが、8月18日未明に、事態が急変します。


ソ連軍が突如として侵攻してきたのです。


無条件降伏し、武装解除を行い、撤退準備をしているところに、


ソ連軍は侵攻してきたのですから、


いかにやり口が汚いかが分かると思います。


占守島対岸のロパトカ岬から、長距離射程重砲による攻撃が始まり、


現場の通信所からの


「海上にエンジン音聞ゆ


という急報を受け、


第91師団長:堤不來貴(つつみ ふさき)中将は、


解除した武装を急遽整え、戦闘することを決断します。


それから、


「的輸送船団らしきものを発見!」


「敵上陸用舟艇を発見!」


「敵兵上陸!数、数千!」


と、急報が続々ともたらされ、


不意打ちを喰らった日本軍は、


充分な戦闘準備が整わぬまま、各個戦闘を余儀なくされたのです。


ただこの時点では、


ソ連の侵攻ではなく、米軍の侵攻だと考えていたようです。







ソ連軍の上陸地点である


島北部、竹田浜の独立歩兵第282大隊村上大隊わずか600名が、


圧倒的多数のソ連軍2万を迎え撃ちました…


…が、圧倒的な兵力差の前に、全滅する部隊も続出し、


ついに、ソ連軍の上陸を許してしまった、


その時に、


濃霧の中駆けつけた、援軍の戦車隊が間一髪で間に合い、


日本軍は、ソ連兵を押し返すことに成功します。


この戦車隊は、


戦車の神様と呼ばれた池田末男大佐を指揮官とした、


第十一連隊(97式中戦車と95式軽戦車を装備)で、


「十一」を合わせて「士」とし、


通称士魂戦車隊と呼ばれた精鋭部隊でした。


出陣に際して、池田大佐は戦車隊の部下にこう問うて曰く。


「緒氏は今、赤穂浪士となり、恥を忍んでも将来に仇を奉ぜんとするか、

 あるいは白虎隊となり、玉砕を以って民族の防波堤となり、後世の歴史に問わんとするか。

 赤穂浪士たらんとする者は一歩前に出よ。

 白虎隊たらんとする者は手を挙げよ!!」



その場にいた全員が、喚声と共に諸手を挙げて大佐の想いに応えました。


「ありがとう…」










完全撤退期限である、18日16時を、


50分すぎた時、


池田大佐より、師団司令部宛に打電があります。


「池田連隊はこれより敵中に突入せんとす。

 祖国の弥栄を祈る」



この言葉を最後に、


約40両の戦車で攻撃を開始します。


池田大佐は、敵の戦車砲によって戦死、


連隊長以下、96名と27両の戦車を失いながら、


士魂戦車隊は奮戦し、


ソ連軍をあとわずかで日本軍が殲滅、というところまで追い詰めたものの、


停戦命令が届き、21日に停戦となったのです。


周知の通り、終戦記念日は8月15日なのですが、


その後も、日本を護るための戦いが続いていたのです。


…もし、この占守島にいた部隊指揮官が、


民族の防波堤となることよりも、


大本営の撤退命令に従う事を是とするタイプの人間であったなら…


北海道がソ連の手に落ちていたのは間違いありません。


命令に背いてでも、命をかけて


日本を守ってくれた士魂戦車隊には、


どれだけ感謝をしてもし尽くせないものがあります。






そして、この島には若い女工員が約400名いました。


この女工たちが、ソ連兵に見つかるとどうなるかは、


今さら言うまでもないことと思います。


ソ連兵は、血眼になって女工を探していたようですが、


占守島司令部は、女工たちをさっさと離島させていたのです。


島を死守し、民間人を保護し、祖国を護りぬいた彼らは、


英雄として奉られてしかるべきなのですが、


悲しい事に、彼らは戦闘終了後は、


シベリアに抑留され、多くは命を落とされたのです。


…なんともやりきれない気持ちになります。


この話だけにとどまらず、


終戦後、捕虜となった日本の軍人は、


筆舌に尽くしがたい凌辱を味わった方たちが多くいらっしゃいます。


ソ連兵からだけでなく、米兵からも、英兵からも、豪兵からも…。


日本とアジアの尊厳のために、命がけで戦われた


多くの誇り高い軍人が、


生き残った後になお、辱めと苦しみの中で過さねばならなかったことを知った時、


苦しみとも怒りともつかない感情が襲ってきました。


英霊となられた方はまだ幸せだったように、思ってしまいます。


称えられるべき人が称えられず、


苦しみながら生きねばならないような、


そんな世界に、なぜなってしまっているのか…


そう思わずにはいられません。


今さら何をしても、彼らが安んじられるようなことがあろうとは思えません。


でも、何かせずにはいられない。


せめて、そういう人達がいたのだ、ということを、


少しでも多くの人に知って頂くために、


伝えることしか、私にはできません。


せめて、


より多くの方に伝わり、彼らに感謝をささげる人が、


1人でも多く増えてくれますように…。




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2 コメント

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このお話しは (よこすか)
2015-01-07 09:26:20
浅田次郎の「終わらざる夏」という小説になって、一昨年、世に出たので今は広く知られているかもしれませんね。
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>よこすかさま (みね姉)
2015-01-07 14:17:40
浅田次郎の作品であるのですね。
「ゴーマニズム宣言」でも取り上げられていたようですので、その手の者が好きな人は知っているのでしょうね。

ごく一般人のレベルでもっと知る人が増えてくれるといいなぁと思います。
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