先日上京した時に、あるご縁のおかげで、
チャンネルNipponの方とお会いしました。
この「チャンネルNippon」は、
自衛官OBの方たちによって運営され、
国防に関する、様々な情報を発信されているWEBサイトです。
お会いした時に、
実は、私は横須賀は、ほぼ基地内しか行ったことがないことを話すと、
案内して頂けるということで、ご厚意に甘えさせていただきました
JR横須賀駅で待ち合わせして、
ヴェルニ―公園を歩きまます。
…すると、
おお~ひゅうががいました
このブログでは何回も取り上げている通り、
いせは、何度も乗艦させていただいていますが、
ひゅうがには、お初にお目にかかりました
「私、いせは何度も乗っているのですが、ひゅうがは見たの初めてです」
と、興奮気味に言うと
「見た目は同じでしょ?艦番号が1か2の違いだけで(笑)」(←よく言われる)
とごくごく当たり前のことを言われます(笑)
…なんですが、私にとっては、
恋人と赤の他人ってくらいの違いがあるんです
この時は、ほんっとに初めまして~~
ってかんじでした。
それにしても、
ここのロケーションは、海自ファンにはたまりませんね
JR横須賀駅なんて、ホームからあんなに間近で護衛艦が拝めるのですから、
もう、駅に降り立った瞬間からテンションがダダ上がりです(笑)
うふ幸せ~
さて、
ヴェルニー公園を歩き、
こちらに案内して頂きました
海軍碑です。
「ヴェルニ―公園について」というWebサイトの中で、
この海軍碑について、以下のような説明文がありました。
浦賀に黒船が現れ鎖国の夢が破られた幕府は、横須賀に製鉄所を建設し、
近代海軍の創設を企画しました。明治維新により明治政府が樹立され、
政府は我が国の近代化に着手しました。
特に海軍の整備が重要視され、日清・日露両戦役を経て次第に整備充実され、
世界三大海軍国のひとつとしてその地位を占めるに至りました。
近代海軍の創設及び成長という歴史の流れの中において、
横須賀はその最枢要基地として我が国屈指の軍港都市となり発展を遂げましたが、
昭和20年の太平洋戦争終結と共に海軍は80年の歴史を閉じました。
(建立趣意より抜粋)
…う~~ん、なんだか、ぺらっぺら(笑)
「鎖国の夢が破れた」ってなんだ???(笑)
なんかこう、もうちょっと書きようがなかったのかなぁ…。
「太平洋戦争」という記述にもツッコミを入れたいところではありますが、
「海軍は80年の歴史を閉じました。」
の後に、
「その伝統は海上自衛隊に受け継がれています。」
くらい書いてほしいと、私は思うのですが。
ちなみに、この碑の右後ろに、
「建立趣意」
があるのですが、その中に、ちょっと気になる一文も…。
「我が国の永遠の平和を希求するため」
…もちろん、平和が悪いわけではないのですが、
この碑は、帝国海軍を偲ぶものでしょう?
海軍があったから、横須賀が発展したのでしょう?
そのことを後世に伝えるものですよね?
なのに、なんでわざわざこういう、
「憲法9条」を臭わせるような一文を盛り込ませる必要があるか、
と、ちょっと気になりました。
…これに関しては、言いだすと長くなりそうなのでこの辺にしておきます。
このあたりは、
このように、海軍に関する碑がいくつかあります。
戦艦山城の碑です。
老朽艦ながら、かのレイテ沖海戦に投入され、
無残な最期を遂げた艦です…。
戦死者1400名…もう、言葉になりません。
そして…長門。
私、この長門の最期について、
一緒にセイルタワーを見学していた、ある海自さんから初めて聞いた時、
すごく悔しい、やるせない思いでいっぱいになりました。
ご存じの方も多いことと思いますが、
長門は、戦後米軍に接収され、核実験の標的にされています。
感情的には、どうにも納得しかねるのですが、
しかし、技術的データを取得する貴重な機会だと捉えるなら、
仕方のないことなのだ思うしかないのでしょうね…。
悲しいですが。
ちなみに、実験後4日間沈まなかったそうです。
「国威発揚の碑」
軍艦の艦橋をかたどった碑です。
…が、碑分がはがされています…。
誰がこんなことをしたのかは分からないようですが、
こういう事を平気でする人って、
靖国神社に放火したり、池に放尿した輩と同じ精神構造なのでしょうね。
そして、正岡子規の和歌。
彼は、坂の上の雲を見たかどうかで、
インパクトが、かなり変わる人なのではないかと思うのですが…。
正直、私はもともと、彼の和歌にも彼自身にもさほど興味はなかったのですが、
彼の生き方は、少しだけ共感を覚えるところがありました。
様々なことに興味を持って、熱意を傾けるものが変わっていき、
やや軽薄に見えながらも、
最期には、その命を注ぎ込む対象をみつけ、打ち込んだところに…。
次にどぶ板通りを抜けて、
三笠公園に向かいました。
以外に思われるかもしれませんが、
ここを訪れるのは初めてです。
歩いていると、海軍関係の場所ですから当然…
こんなところにも、錨があります。
私はこれだけでも、ニヤニヤしてしまうのですが、
この時に、チャンネルNipponの方が、
「錨に錨鎖が絡まっているのはなぜだか知ってる?」
と尋ねられました。
「そういえば、私、ずっとそれが疑問でした。
必ず鎖が絡まっている絵なので、なぜだろう?って…」
「錨に鎖が絡まるというのは、「絡み錨」といって、
出航する時に、錨を収容できず、極めてみっともないんだよ。
なので、船乗りにとって絶対あってはならないことで、
そうしてはならない、という戒めのためなんだよ」
と教えてくださいました。
そうだったんだ
なので、海上自衛隊の桜と錨も…
はい、絡まっています。
…が、
私が聞いたところによると、
実は民主党政権時代に、このマークが変えられたらしく、
…錨鎖がなくなっています
そもそも、変える必要なんかないものを、
わざわざデザイン料を払って、
変える必要性ってなんでしょうかね???
妙に現代ナイズされた感じのデザインなのも、
個人的にはあまり好きではないのですが…。
ちゃんと意味があって描かれていた錨鎖、
そういう謂れがあるのものは、残していてほしいなぁと思う次第です。
そして、戦艦三笠。
この日は、乗艦はしませんでした。
言うまでもなく、
日露戦争において、日本海海戦でバルチック艦隊を打ち破った、
連合艦隊司令東郷平八郎が乗艦していた旗艦です。
この頃の日本にはまだ、造船技術がなかったんですよね…。
いや、薩摩型が作られていましたが、
日露戦争には間に合いませんでした。
なので、就役した時には…というか生まれながらにして
すでに旧態化していたという…せつない
そう思うと、これからわずか20年後くらいには、
世界最大の戦艦を作っちゃうのだから、
この頃の日本人の熱意と向上心って本当にすごいなと思います。
そして、もちろんこの方、
言うまでもなく、
東郷平八郎元帥です。
どうでもいいのですが、
この方、私が思うに帝国海軍随一の男前だと思います(笑)
ほらっ
お歳を召されてからも、
渋くてすてき~
ショーン・コネリーみたい
ドラマ坂の上の雲は、
そこそこ本人に似た人で、かつ、本人よりも2~3割増しのいい男を
起用してあったように感じるのですが、
東郷平八郎に限っては、演じた渡哲也よりも、だんぜん本人の方が男前です
声は、渡徹也の方がずっと渋くてステキですけどね。
…そう、この方、声が極めて残念なのです
本当にどうでもいい話で、すみません
と、いうことで、
三笠公園を後にして、
馬門山へと向かいました。
…続く。
チャンネルNipponの方とお会いしました。
この「チャンネルNippon」は、
自衛官OBの方たちによって運営され、
国防に関する、様々な情報を発信されているWEBサイトです。
お会いした時に、
実は、私は横須賀は、ほぼ基地内しか行ったことがないことを話すと、
案内して頂けるということで、ご厚意に甘えさせていただきました
JR横須賀駅で待ち合わせして、
ヴェルニ―公園を歩きまます。
…すると、
おお~ひゅうががいました
このブログでは何回も取り上げている通り、
いせは、何度も乗艦させていただいていますが、
ひゅうがには、お初にお目にかかりました
「私、いせは何度も乗っているのですが、ひゅうがは見たの初めてです」
と、興奮気味に言うと
「見た目は同じでしょ?艦番号が1か2の違いだけで(笑)」(←よく言われる)
とごくごく当たり前のことを言われます(笑)
…なんですが、私にとっては、
恋人と赤の他人ってくらいの違いがあるんです
この時は、ほんっとに初めまして~~
ってかんじでした。
それにしても、
ここのロケーションは、海自ファンにはたまりませんね
JR横須賀駅なんて、ホームからあんなに間近で護衛艦が拝めるのですから、
もう、駅に降り立った瞬間からテンションがダダ上がりです(笑)
うふ幸せ~
さて、
ヴェルニー公園を歩き、
こちらに案内して頂きました
海軍碑です。
「ヴェルニ―公園について」というWebサイトの中で、
この海軍碑について、以下のような説明文がありました。
浦賀に黒船が現れ鎖国の夢が破られた幕府は、横須賀に製鉄所を建設し、
近代海軍の創設を企画しました。明治維新により明治政府が樹立され、
政府は我が国の近代化に着手しました。
特に海軍の整備が重要視され、日清・日露両戦役を経て次第に整備充実され、
世界三大海軍国のひとつとしてその地位を占めるに至りました。
近代海軍の創設及び成長という歴史の流れの中において、
横須賀はその最枢要基地として我が国屈指の軍港都市となり発展を遂げましたが、
昭和20年の太平洋戦争終結と共に海軍は80年の歴史を閉じました。
(建立趣意より抜粋)
…う~~ん、なんだか、ぺらっぺら(笑)
「鎖国の夢が破れた」ってなんだ???(笑)
なんかこう、もうちょっと書きようがなかったのかなぁ…。
「太平洋戦争」という記述にもツッコミを入れたいところではありますが、
「海軍は80年の歴史を閉じました。」
の後に、
「その伝統は海上自衛隊に受け継がれています。」
くらい書いてほしいと、私は思うのですが。
ちなみに、この碑の右後ろに、
「建立趣意」
があるのですが、その中に、ちょっと気になる一文も…。
「我が国の永遠の平和を希求するため」
…もちろん、平和が悪いわけではないのですが、
この碑は、帝国海軍を偲ぶものでしょう?
海軍があったから、横須賀が発展したのでしょう?
そのことを後世に伝えるものですよね?
なのに、なんでわざわざこういう、
「憲法9条」を臭わせるような一文を盛り込ませる必要があるか、
と、ちょっと気になりました。
…これに関しては、言いだすと長くなりそうなのでこの辺にしておきます。
このあたりは、
このように、海軍に関する碑がいくつかあります。
戦艦山城の碑です。
老朽艦ながら、かのレイテ沖海戦に投入され、
無残な最期を遂げた艦です…。
戦死者1400名…もう、言葉になりません。
そして…長門。
私、この長門の最期について、
一緒にセイルタワーを見学していた、ある海自さんから初めて聞いた時、
すごく悔しい、やるせない思いでいっぱいになりました。
ご存じの方も多いことと思いますが、
長門は、戦後米軍に接収され、核実験の標的にされています。
感情的には、どうにも納得しかねるのですが、
しかし、技術的データを取得する貴重な機会だと捉えるなら、
仕方のないことなのだ思うしかないのでしょうね…。
悲しいですが。
ちなみに、実験後4日間沈まなかったそうです。
「国威発揚の碑」
軍艦の艦橋をかたどった碑です。
…が、碑分がはがされています…。
誰がこんなことをしたのかは分からないようですが、
こういう事を平気でする人って、
靖国神社に放火したり、池に放尿した輩と同じ精神構造なのでしょうね。
そして、正岡子規の和歌。
彼は、坂の上の雲を見たかどうかで、
インパクトが、かなり変わる人なのではないかと思うのですが…。
正直、私はもともと、彼の和歌にも彼自身にもさほど興味はなかったのですが、
彼の生き方は、少しだけ共感を覚えるところがありました。
様々なことに興味を持って、熱意を傾けるものが変わっていき、
やや軽薄に見えながらも、
最期には、その命を注ぎ込む対象をみつけ、打ち込んだところに…。
次にどぶ板通りを抜けて、
三笠公園に向かいました。
以外に思われるかもしれませんが、
ここを訪れるのは初めてです。
歩いていると、海軍関係の場所ですから当然…
こんなところにも、錨があります。
私はこれだけでも、ニヤニヤしてしまうのですが、
この時に、チャンネルNipponの方が、
「錨に錨鎖が絡まっているのはなぜだか知ってる?」
と尋ねられました。
「そういえば、私、ずっとそれが疑問でした。
必ず鎖が絡まっている絵なので、なぜだろう?って…」
「錨に鎖が絡まるというのは、「絡み錨」といって、
出航する時に、錨を収容できず、極めてみっともないんだよ。
なので、船乗りにとって絶対あってはならないことで、
そうしてはならない、という戒めのためなんだよ」
と教えてくださいました。
そうだったんだ
なので、海上自衛隊の桜と錨も…
はい、絡まっています。
…が、
私が聞いたところによると、
実は民主党政権時代に、このマークが変えられたらしく、
…錨鎖がなくなっています
そもそも、変える必要なんかないものを、
わざわざデザイン料を払って、
変える必要性ってなんでしょうかね???
妙に現代ナイズされた感じのデザインなのも、
個人的にはあまり好きではないのですが…。
ちゃんと意味があって描かれていた錨鎖、
そういう謂れがあるのものは、残していてほしいなぁと思う次第です。
そして、戦艦三笠。
この日は、乗艦はしませんでした。
言うまでもなく、
日露戦争において、日本海海戦でバルチック艦隊を打ち破った、
連合艦隊司令東郷平八郎が乗艦していた旗艦です。
この頃の日本にはまだ、造船技術がなかったんですよね…。
いや、薩摩型が作られていましたが、
日露戦争には間に合いませんでした。
なので、就役した時には…というか生まれながらにして
すでに旧態化していたという…せつない
そう思うと、これからわずか20年後くらいには、
世界最大の戦艦を作っちゃうのだから、
この頃の日本人の熱意と向上心って本当にすごいなと思います。
そして、もちろんこの方、
言うまでもなく、
東郷平八郎元帥です。
どうでもいいのですが、
この方、私が思うに帝国海軍随一の男前だと思います(笑)
ほらっ
お歳を召されてからも、
渋くてすてき~
ショーン・コネリーみたい
ドラマ坂の上の雲は、
そこそこ本人に似た人で、かつ、本人よりも2~3割増しのいい男を
起用してあったように感じるのですが、
東郷平八郎に限っては、演じた渡哲也よりも、だんぜん本人の方が男前です
声は、渡徹也の方がずっと渋くてステキですけどね。
…そう、この方、声が極めて残念なのです
本当にどうでもいい話で、すみません
と、いうことで、
三笠公園を後にして、
馬門山へと向かいました。
…続く。