「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

憧れの呉・江田島の旅~呉・大和ミュージアム編~

2013年08月10日 | 海上自衛隊
「てつのくじら館」を観た後は、当然こちらです。


「大和ミュージアム」


こちらは、明治維新以降から戦後までの、軍港、造船の町としての


呉の歴史の歩みを見ることができる資料館で、こちらの入場は有料です。


かの、戦艦大和の10分の1サイズの模型があることでも有名ですね。


これです。


ダウンロード


さすがに、なかなか見応えありましたね。


しかし、私は大和よりも、ここで気になるのは、


こちら。


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これは、小さい潜水艦に見えますが、違います。


「回天」という、海軍の特攻兵器です。


私は、以前「海軍」という、まさに太平洋戦争中に書かれた小説を読んだのですが、
(すっごくマニアックな小説で、「読んだ」と言うと、知っている人は必ず驚く作品(笑))


ここで書かれているのが、この回天のことなのです。


回天は、いわば、魚雷型単座式兵器とでもいいますか、


魚雷そのものに一人で乗って、敵艦に向って行き、自爆する、というものになります。


ある青年士官から提案されたもので、


100人もの、平均年齢21歳の若い命が失われました。


彼らの遺書などを目にすると、やはりどうしても目頭が熱くなります。








また、呉は、軍港だったことから、激しい空襲も受けており、


戦時中は壊滅的な打撃を受けた町でもあります。


この、空襲については、一言言いたい。


単に戦争の悲惨さ、悲しさで語られる事が多いのですが、


もちろん、そうなのだけども、


そもそも、戦時中といえども非戦闘民を大量に殺してよいという法はないのです。


にも関わらず、米軍はこれをやったのだということを、少し心に留めて置いてください。


いいですか?


空襲も、原爆投下も、無辜の非戦闘民を大量虐殺した行為なのだという事実を、知ってください。


一方的に虐殺されたのは、日本人の方なのだということに、


そろそろ、もう少し多くの日本人が、気づくべき時だと思うのです。


大量虐殺をしたのは、日本人ではないのです。


南京虐殺でもそうです。


「なかった」といいのは御幣があります。


あれは、日本軍のフリをした中国人が行ったことなのです。


日本軍が行ったことが皆無とは言いません。


ですが、


あれほど残酷なことを、日本人がする民族かどうかは、


過去の歴史を見れば分かります。


日本も長きにわたる戦国時代を経ていますが、


その間に、目を覆うような残酷な仕打ちで敵を殺害したという話はほとんど出てきません。


むしろ、例え敵であっても、その死には尊厳を払ってきていました。


翻って中国はどうでしょう?


日本人には、想像も付かないような残酷な方法で敵や憎む相手を殺害している、


という記述には枚挙に暇がありません。


また、「特攻日誌」などの当時の軍隊の教育のあり方を見ていると、


とてもそのようなことを起こす軍隊とは思えないのです。


この大和ミュージアムでもそうですが、


当時の生の資料に触れることで、


当時の帝国軍人の生き様や、覚悟、どんな思い出その命を捧げて戦ったのか、が


辛いほどに伝わってきます。


その事実を歪曲し、あたかも日本人にこの戦争の全ての罪があるように見せ、


教育し、日本人の尊厳を貶めてきたのです。


それが、現代日本の姿です。


このままでは、日本のために命を捧げていった英霊たちに、


顔向けができません・・・・。






最後に、友人から教えて頂いた、戦艦大和の語り部さんの言葉を。


若者よ、君たちが生きる「今日」という日は

死んだ戦友たちが生きたかった「未来」だ。



私たちは、決してこの事を忘れてはならない…。