「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

呉・江田島日記~江田島は聖なる墓所~

2013年08月12日 | 海上自衛隊
私が、ずっとずっと行きたかった場所が、ここです。


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江田島といえば、この海上自衛隊第一術科学校、


そして、旧海軍兵学校の事を指すといっても過言ではないでしょう。


ちなみに、アメリカの合衆国海軍兵学校、イギリスの王立海軍兵学校と並んで、


世界の三大兵学校でもあります。


どうしても、一度は行ってみたかった場所です。


行きたかった理由は、


特攻隊員(これは陸軍ですが)の手記や前記した獅子文六の「海軍」などを読んでから、


「こんな人達がもし、現在にも少数なりといるとするなら、それは、

 江田島で教育を受けた人以外にはいないのではないだろうか?」


となんとな~く、感じたからです。









サヨク的な教育や情報の中では、「洗脳」として忌み嫌われる戦前の教育…


特に幼年学校や士官学校などの兵学校での教育ですが、


この時代に生きた方々の手記や手紙を読むにつけ、


否応なしに感じるのは、当時の教育水準の高さです。


美しい文字と教養に裏打ちされた美しい文章、


もしくは、覇気と英気に満ちた力強い文字…


そして何より、当時の人達の責任感の強さや人を思いやる気持ち


現代の日本から急速に失われていっている「生き方」に対する


美意識や品格を、そこには確かに感じることができます。


私の祖母は、戦時中、高校生だったのですが、


祖母が通っていた高校の先生方は、みんな軍人で、軍服を着て授業をされていたそうで、


それはそれは厳しかったそうです。


茶道の授業もあったそうで、お茶の先生は男性で、


いつも綺麗に袴をはいて、袱紗(ふくさ)を腰につけていらして、


キリッと立ち振る舞いが美しい方だったとか。


このように、規律や美意識を教え伝えることができる教師は、


現代ではなかなか望むべくもないでしょう…。


間違いなく、教育の質の低下と共に、日本人の質が低下していると感じます。








ですが、ここ江田島には、戦後に日本が失ったなんたるかが、


日本で唯一、残っているような気がしていたのです。


それは、実際にここで教育を受けた海上自衛官の方々と


お会いするにつけ、徐々に確信になっていきました。


それは、やはり「伝統墨守」の言葉のとおり


最も色濃く戦前の文化や教育が残っている風潮があるからだとは思いますが、


私は、そこが好きです


どんなものか、海軍初級士官心得というものがありますので、こちらをご覧下さい。


こういう精神が、いくらかなりとも残っている、と感じさせる方は、


民間人ではあまりいなかったのではないかと…。


やはり、戦前の方や、そこに近い生まれの方や、その方から教育を受けられた方、


くらいだったように思います。










旧海軍兵学校から数えると、ほぼ一世紀近くも、ここにあるのですが、


同じ場所に同じ建物、同じ使用目的で、現代まで使われ続けている所というのは、


世界でもそう多くはありません。


ですので、歴史的にも非常に価値が高い場所で、


なんといっても、ここは単なる資料館や歴史的建造物がある場所なのではなく、


今なお、海上自衛官が日々訓練に励まれている所です。


帝国海軍の精神が息づいているのを、肌で感じることができます。


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どうみても、美しい歴史資料館や美術館、迎賓館のようにしか見えませんが、


やはりそこは、


毎日、自衛官の方々が、お掃除をしてこられたことで、


維持されているのでしょう。


聞くところによると、この手前の砂利も毎朝みんなで掃除し、


熊手できれいに筋をつけるのだそう


掃除といえば、それこそ、戦前から日本軍は陸・海を問わず、やたらと掃除・洗濯をします。


掃除が徹底されているかどうかは、


その組織(官・民問わず)の規律や生産性、士気の高さを測る指標になると考えます。


会社でも、実が伴っている会社は、


とても掃除が行き届いています。


余談ですが、


私は20年前、一度、中国は上海に旅行に行った時、


なぜか中国共産党軍の宿舎に泊まることになったのですが、


まぁ、汚いのなんのって…。


特にトイレの汚さたるや、筆舌に尽くしがたいものがありました…。


どんな状態だったか、絶対書けないくらい(笑)


ちなみに、なぜ泊まることになったのか、未だによく分からない・・・。


これについては、そのうち記事にする予定です(笑)


で、翻って、我が国の自衛隊は、艦船でも建物でも、本当にいつもきれいです。


掃除の徹底っぷりは、随一ではないのでしょうか?


この江田島は、博物館級の建物が現役で使用されているわけですが、


人が日常的に利用しているとは思えない、美しさです。

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こちらは、廊下です。


本当に美術館か博物館にしか見えません…。


上部のランプシェードは、よく見ると碇のマークが描かれており、


こちらの階段のてすりにも、碇のマークがあります。


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この階段も、見れば見るほど、実際に使用されているとは思えないです…。


なんともいえない艶感と色合いが、歴史を感じさせます。


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こちらは、大講堂です。


平成10年に大規模な改修が行われています。


そして、こちら…

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教育参考館です。


こちらには、海軍の英霊方の遺書などが展示されている資料館のような場所ですが、


ここは、資料館というより、聖なる墓所という方が相応しい気がします。


エントランスに立つと、正面に階段があり、その階段上の奥には、


海軍の東郷元帥、山本五十六元帥、イギリスのネルソン提督の遺髪が安置されています。


その入り口に立つだけで、なんともいえない荘厳な空気を感じました。


ここでは、まず、一礼してから中に入り、出る時も一礼します。


そういうところからして、やはり、ただの資料館とは一線を画していると感じます。


ここで、最後に一番印象に残ったのが、


壁一面貼ってあった、


太平洋の地図上に、どこでどの艦艇や部隊がどれだけ人命を失ったかを、


記してあったものです。


館内は撮影禁止ですので、図として出すことができないのが残念ですが、


ひと目で、太平洋戦争の規模の大きさ、その被害の大きさが分かります。


北はアリューシャン列島、南はオーストラリアのすぐ近くまで、


戦線が延びきって拡大してしまっており、


当然、


補給が限界に達している…いや、


限界を超えていることが一目でわかります。


これまで、様々な文献や資料で、各所での局所的に凄惨な戦いの様子を、


知識として知ってはいましたが、


一面にあらわされているものを、マクロな視点で見ると


改めてその激戦さを感じます。


地図上に無機質に、ただ、部隊名や艦隊名が、戦死者数と平記してあるだけの、


簡素なものでしたが、言葉を失うばかりです。


これを見るだけで、あの戦争がどれ程の負担を国民に強いたのか、


どれほどの兵士が、下士官が、士官が、司令官が、命を落としたのか、


その凄惨な状況が容易に想像できました。


勝てないと分かっていながら、否応なしに引きずり込まれたこの戦いの、


悲しい足跡に見えました。


この教育参考館には、


先に述べたように、東郷平八郎元帥、山本五十六元帥はじめ、


数多の戦死者の遺品が安置、展示されていますが、


だからというわけではなく、


ここは、英霊たちの聖なる墓所だと感じました。


そして、


この場所で、


その伝統と意志、精神を受け継いだ方々が、


海を守ってくださっているのだと、


一層頼もしく感じることができるのが、


江田島の魅力の1つだと思います。