2012年5月21日:午前7時33分頃。
石川県では金環日食に伴う部分日食が観測された。
2009年7月22日には皆既日食に伴う部分日食が見られたが、
私が生まれてから最大の部分日食は晴天に恵まれ多くの方々が観測。
多くの人々の記憶に刻まれる1日となった。
昨晩、
「4時30分位から太陽が昇り始め(月の位置を確認)」。
と文字にした。
私なりのトラップだったのだが“月の位置”を確認された方はいるだろうか?
今日は新月の1日。
月は太陽の位置の逆光に入り確認することはできない。
日食は皆既日食、金環日食ともに新月の日に起きる現象。
月の位置で金環、皆既に分かれることは、
月の軌道が円ではなく楕円で動いていることの証明になる。
また、
「8~90%は太陽が月に隠れる部分日食の闇の世界も期待」。
の言葉も、
私自身はイメージがわかず皆既日食と金環日食の違いを知りたかった。
石川県では部分日食も日食が始まり風が冷たく温度も幾分低下。
皆既日食ではないので闇に包まれることはないが、
夕暮れ30分前ほどの明るさに光の影は薄くなった。
*金環食の地域でも映像を見る限り思ったよりも暗さは感じられない。
朝5時起床時は茜色の太陽も時間が経つにつれ眩しい光。
*もしも朝日とともに金環日食が観測されれば肉眼でも確認できるものの。
雲に遮れれない青空は太陽光も強く手持ちのカメラでは撮影できず残念。
前回の2009年7月22日には薄雲に見え隠れする太陽は、
仕事中パチリパチリと3種類のフィルター(手作り)で日食撮影。
・ 9時58分:晴れ・一番厚いフィルターで太陽が欠けた事を確認。
・10時36分:薄曇・3種の内中間のフィルターで撮影。
・10時58分:晴れ・一番厚いフィルターで撮影。
・11時13分:曇天・フィルターなしで撮影、肉眼でも確認できた。
・11時15分:雲が取れ一番薄いフィルターで撮影。
~この3分間は仕事もせず日食観測、肌寒い風に変化。
~暗闇も75%の食では厚い雨雲の闇よりも明るいくらい。
・11時28分:一番薄いフィルターで撮影。
~その後雲が厚くなり撮影が困難になる。
とブログ内で記録している。
今回は日食の総ての時間が晴天で、
個人的には残念な結果となり、
外での観察は断念し自宅の窓をすべて開放し家族で観察。
東から昇る朝日に南東上部から北東下部に移動した月の軌跡。
記憶すべきは朝の6時30分~8時30分頃までのの東の空。
向かって右上から左下に移動した月の位置と昇る朝日の位置。
私たちは気付かないだけで日常的に多くのニアミスがあるのだろう。
出勤前の慌ただしい時間の中で、
午前7時40分には観測を終えた。
金環日食を観察しながら、
平安時代の人たちは果たしてどれだけの人が金環日食に気付いたのだろう。
もしも誰もが金環食に気付く場合には光の強さから晴天では無理な気がする。
5月19日付に毎日新聞コラム(余禄)では、
安徳天皇を奉じて西海に逃れた平家が備中水島の城にたてこもった時だ。
海陸から攻めてきた木曽源氏の軍に城中から軍鼓とともに平氏が打って出ると天がにわかに暗くなった。
やがて夜のようになると源氏の軍兵は方向を失って逃げ散った。
ご推察通り日食である。
面白いのは驚いて算を乱した源氏に対し平氏はかねて日食が起こるのを知っていて攻め立てたと、
「源平盛衰記」が記していることだ。
京にいた平氏は暦博士による日食予測を手にしていたのだ。
1183年11月17日のこの日食は金環食だった。
だから夜のように暗いと書くのは大げさだと斉藤国治著「星の古記録」はいう。
そういえばコラム子が子供時代に経験した部分日食も暗さの記憶は薄い。
それよりも窓に映る三日月状の木漏れ日に驚いたのを覚えている。
実際の金環日食の明るさのほどが分かるのは、あさって21日の朝である。
は興味深く読んだ。
そのコラムを読んでいたからこその、
「8~90%は太陽が月に隠れる部分日食の闇の世界も期待」。
につながる。
もしも石川県で、
2009年7月22日と同じような気象条件であれば、
平地が開けた場所(潟沿い)での観測を考えていた。
加賀南部地方では太陽が昇る方向は白山連峰を目印にすれば良い。
しかし、
遮るもののない強い直射日光の撮影は眼にもカメラにも悪影響を及ぼし、
何よりも総ての物体を黒い世界に導いてしまう。
20日の夕暮れの見事な夕日。
もしもその時間に、
金環食が起きていれば見事な景色を撮影することができただろうに…。
2012年5月21日:午前7時30分前後の日本各地に起こった歓声。
その瞬間誰もが、
平素の日常を忘れフィルター越しにうつる小さな小さな太陽に歓喜した。
多感な好奇心は日常の不安や鬱憤を一瞬でも取り除く。
その気持ちの所在を誰もが気に留めるべきだろう。
*日常な小さな積み重ねにクヨクヨしても仕方がない。
自然が民に与えた偶然の神秘。
前日の曇天予想に反して多くの地域で確認できた天体ショー。
神様の贈り物(プレゼント)は多くの人々の記憶に強く残った。
~以下個人的な記憶のためのWeb記事を転載。
【金環日食:国内25年ぶり】
太陽の手前に月が重なり太陽が金色のリング状に光って見える金環日食が、
21日午前7時半前後に九州南部から東北南部の太平洋側で観測された。
他の地域でも太陽の一部が欠けて細い三日月のようになる部分日食が午前6時すぎ、
沖縄から始まり同9時半ごろには北海道東部で終わった。
国立天文台によると国内で金環日食が観測されたのは1987年9月23日の沖縄以来約25年ぶり。
日本の広い範囲では平安時代の1080年以来932年ぶり。
金環日食は最長で約5分間、部分日食は同3時間弱続いた。
金環食の前後には月面の凹凸でリングの縁が途切れ途切れになる「ベイリービーズ」も見られた。
21日は朝から全国的に雲が広がったが切れ間からリング状の太陽を観測できた地域も多く、
各地の学校や公園などで日食グラスを手に東の空を見上げる姿が見られた。
インターネットでは各地の日食の様子が中継されたほか、
全地球測位システム(GPS)の付いたスマートフォンで観測報告を募り、
全国的な日食観測マップを作成する試みなども行われた。
(時事通信:2012/05/21/12:02)
【太平洋側で金環日食:石川でも部分日食に歓声】
太陽と月が重なりリングのように見える「金環日食」が太平洋側の広い範囲で観測されました。
石川県内では太陽の一部が欠ける部分日食でした。
石川県庁では午前6時から19階の展望ロビーが一般開放され早朝にもかかわらず230人が訪れました。
石川県金沢市での日食は午前6時20分過ぎから始まりました。
そして午前7時34分。
太陽が最も隠れる時間を迎えます。
金沢市では太陽のおよそ9割が欠けた状態で観測されました。
一方、外に出ると仕事の手を休め空を見上げる人の姿が見られました。
また木洩れ日が日食で欠けた太陽を映し出し三日月の形になっていました。
なお金環日食が日本で次に見られるのは18年後で場所は北海道だそうです。
(北陸朝日放送:2012/05/21/14:45)