BSエンターテインメント
「大いなる明日へ」
~復活!吉田拓郎~
放送局 :NHK-BS2
放送日 :2009年8月14日(金曜日)
放送時間 :午後10時30分~午前0時(放送終了)
放送局 :NHK-BS2
放送日 :2009年3月22日(日曜日)
放送時間 :午後7時30分~午後9時(放送終了)
<mimifukuから、一言。>
吉田拓郎さんをヒーローと位置付けるのは、
1950年代生まれの方々になるのだろう。
1946年(昭和21年)4月5日。
鹿児島県で生まれた吉田拓郎さんは、
幼少の頃から広島に移り住んでいる。
そのため私には、
吉田さんが広島出身の歌手との印象が強い。
広島で(生まれ)育ったの歌手として、
1949年(昭和24年)生まれの矢沢永吉さんや
1952年(昭和27年)生まれの浜田省吾さんがいる。
1945年8月6日に世界で初めて原子力爆弾が落とされた都市で、
その後の日本の音楽界に多大な影響を与えた3人の歌手達が、
同じ時代の広島の地で育ったことに大きな必然を感じる。
浜田省吾さんが、
1972年にデビューしたグループ“愛奴(あいど)”が、
広島フォーク村出身と言うこともあって、
吉田拓郎さんのバックバンドを務めた事は有名で、
浜田さんは、バンドメンバーとしてドラムを叩いた。
広島で育った3人に共通する私のイメージはメッセージ色の強さ。
私はリアルタイムではないのだが、
特に70年代前後のフォーク・ジャンボリー最盛期の頃の、
吉田拓郎さんの強い主張や行動は、
日本のポップス史のエポックとなっている。
ただし、
当ブログ内の岡林信康さんの記事
【 岡林信康 in 日比谷2007 】でも触れている、
<ファンに植えつけられたアーティストへの強いイメージ>
は“その後の拓郎さんの音楽人生”にとって強い足枷(あしかせ)になっていく。
1975年つま恋&1979年篠島。
での野外コンサートで歌われた伝説の歌唱、
『人間なんて』や『イメージの歌』で見られる、
何かに取り付かれたような熱唱を
その後の拓郎さんの人生に重ね合わせることに、
無理があることが承知の上で、
ファンは、何かを期待し続けた。
私も吉田拓郎さんのコンサートを、
1984年10月15日に金沢市観光会館(現:歌劇座)で拝見しているが、
譜面台にある楽譜を見ながらのスケジュール進行に違和感を覚えた。
ビデオ映像等に記録されている映像記憶が自分のイメージの中で増幅され、
実際目の前のライブに力強さは感じられずガッカリした思い出がある。
しかし、
それは拓郎さんの持つ<強いイメージ>を、
自分勝手にリンク、比較することで、
コンサートの進行をイメージした自分の
幼さを今は感じる。
勿論、
最強のロック・バンド:ローリング・ストーンズのミック・ジャガーや
史上最高の女性エンターテイナー:マドンナのように、
自分を律して年齢と戦うと姿勢を示すアーティストも数多い。
しかし、
昨年~今年になってNHK総合やBS2で放送された、
B'zの稲葉さんのようなストイックな取り組みを見ても分かるが、
自分を律することを実践できる人物は限られていると思う。
ボブ・ディラン:『フォー・エバー・ヤング(Forever Young)』。
吉田拓郎:『旧友再会フォーエバーヤング』。
<いつまでも若く>に対して、
新曲『ガンバラないけどいいでしょう』は、
現状の拓郎さんからのファンへのメッセージだろう。
2006年のかぐや姫とのジョイント・ライブ:つま恋2006で語った、
「朝までやらなくてイイじゃない。」
との言葉をファンの方々はどのように受け止めたのだろう。
このコンサートでの拓郎さんとかぐや姫との運動量の差を見て、
拓郎さんがファンに求められていることの重さ(過去との比較)、
を感じたのは決して私だけではないと思う。
この言葉にこそ私は、
<吉田拓郎の苦悩>
の一端を垣間見る言葉として記憶に焼き付けた。
年齢を重ねても多くの人々が願う、
「いつまでも若く」との気持ちに、
疑問符を投げかけた拓郎さんの言葉。
期待されることの大きさと、
実際に提供できる現実とのジレンマ。
年齢との戦いだけでなく病魔との闘い。
良いものを提供し続けることへの限界。
不安と葛藤の中で示した決断は、
最後の全国ツァー。
ファンの持つ拓郎さんへのイメージ(ゼネレーション・ヒーロー)が、
永年に渡る活動に対してもっと柔軟なものであったならば、
この決断はなかったかも知れない。
椅子に腰掛けながらフォークギター1本で好きな歌だけ歌うコンサートを楽しむ。
ファンとアーティストの関係は老いた夫婦にも似た慈しみがあってもいいだろう。
一方的なファンの期待やアーティストの思い込みは、
それまで築かれていた良い関係を台無しにすることもある。
尾崎豊さんやカート・コバーンの死は、
その象徴的出来事だったようにも感じる。
逆に、
岡林信康さんのような開き直り(変化)や、
ボブ・ディランのような突き放す姿勢(唯我独尊)は、
永く音楽と携わり続けるコツなのかも知れない。
(提供)できることと、
できないことへの葛藤。
それを明確にするかしないかの選択は、
誰の身にとっても肝要な出来事であり、
その決断を迫られる時に、
自分の健康や自分の立場を主体に置くことが、
不安のない人生を送るひとつの基準となるようだ。
と同時に、
鑑賞者(本人以外の他者)は、他力本願的な過度の期待を
本人(歌手やスポーツ選手、あるいは家族や友人)に求める事の無責任が、
本人にとってどれだけの重圧や苦痛になるかを考える心の余裕。
愛しいと思う心と、慈しむ心。
下記に転載した拓郎さんについての新聞社の記事を読みながら、
応援する者の身勝手な振る舞いについて考えてみた。
それは誤りかもしれない。
提供すべき者の絶え間ない努力。
人は、それに感動することも理解できる。
しかし、
いつまでも若くはいられないし、
動的な若さとは違った老獪な仕事もまた、
プロの成せる業なのだろう。
若さだけでは及ばない味や粋。
年齢(経験)を重ねる事で身に付く、
大人としての精神的な余裕。
「ガンバラなくてもいいじゃない。」
拓郎さんの久しぶりのテレビ出演。
リラックスした気持ちで見たいと思う。
~下記、NHKホームページより転載。
1970年代以降の日本の音楽シーンを変える最大のヒーローとなった吉田拓郎。
今年(2009年)63歳になる今もなお世代を超えた影響力を持ち続けている。
この番組は、
一昨年(2007年)に体調不良でツアーを中止して以降、
初めて公の場に復帰する貴重な番組。
NHK101スタジオでのライブ演奏は、
4月にリリースが予定されている、
新作アルバム収録曲の初公開の意味もあり、
(*アルバム・タイトル『午前中に・・』)
彼自身の心境や再起に賭ける想いが反映された、
万感の想いのこもったものになることは間違いない。
彼の音楽に支えられて生きてきた大人達を元気づけ、
続く世代にとっては力強い希望を感じさせる、
メッセージとなる音楽を越えた音楽番組である。
【 放送が予定される曲目リスト 】
「HAVE A NICE DAY」吉田 拓郎
「祭りのあと」吉田拓郎
「ウィンブルドンの夢」吉田拓郎
「KAHALA」吉田拓郎
「親切」吉田拓郎
「伽草子」吉田拓郎
「白いレースの日傘」吉田拓郎
「夜霧よ今夜もありがとう」吉田拓郎
「街角のタンゴ」吉田拓郎
「真夜中のタクシー」吉田拓郎
「唇をかみしめて」吉田拓郎
「ガンバラナイけどいいでしょう」吉田拓郎
「歩こうね」吉田拓郎
「春を待つ手紙」吉田拓郎
<関連記事:朝日新聞3月12日>
*拓郎“最終章”スタート、久々の歌声。
http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK200903120022.html
~下記、記事転載。
歌手・吉田拓郎(62)の「最終章」がスタートした。
NHK衛星第2(BS2)で、3月22日:午後7時半から放送される、
「大いなる明日へ~復活!吉田拓郎~」の収録を同局スタジオで行った。
すでに6月から始まるコンサート・ツアーが、
最後の全国ツアーとなることを宣言している。
同番組は、
その前に「ファンに元気な姿を見せたい」と自ら企画したもの。
2007年に体調不良でツアーを中止して以来1年5カ月ぶりの歌声だった。
23人編成のビッグバンドをバックに拓郎は歌い続けた。
3時間を超える収録にも疲れは見せない。
演奏後のインタビューでは、
「楽しかった。最終章へ、うまくいってよかった」。
晴れやかな表情で、あえて「最終章」の言葉を口にした
病気との闘いだった。
2003年4月に肺がん手術。
2004年には全国ツアー中に貧血で倒れた。
その後、再復帰を果たすも、
2007年10月に体調不良で再びツアー中断。
画面越しとはいえファンに歌う姿を披露するのは1年5カ月ぶりだ。
がんを告知される直前、同じスタジオ、同じバンドでライブ演奏を行った。
「だからここから(復活劇を)始めることは必然なんです。」
と話した。
今年を最後に全国ツアーから撤退する。
その決断に至った理由も言葉を濁すことなく告白した。
「100%の体調にはもう戻らないだろう。
今の体力を考えると全国という規模でスタッフを組んで行く、
肉体的なリスクにはもう耐えられないと思う。
自分が終わったら全スタッフに迷惑がかかる。
すべて僕の肩にかかってる。
それはちょっともう無理だなって。
精神的にも。」
だからこそ、
けじめの意味も込め最後のツアーにかけている。
6月21日の名古屋を皮切りに9都市9公演。
来月発売するニューアルバムでは、
25年ぶりに新曲10曲すべて作曲だけでなく作詞もこなした。
この日、初披露した、
『ガンバラないけどいいでしょう』などメッセージ色の強いものとなっている。
今年の夏で、
「すべてが終わってしまうということでは全くないし、
僕は音楽のそばにずっといたい。
まだやり足りないものもある。
それをやるためにもツアーはもういいという気持ちなんです。
音楽はやり続けていきたい。
人生終わるまで。」
自ら口にした「最終章」。
それは新しい拓郎の始まりの宣言でもある。
<関連記事:毎日新聞2月10日>
吉田拓郎:生涯最後…つま恋で全国ツアーファイナル。
http://mainichi.jp/enta/music/news/20090210spn00m200015000c.html?link_id=REH05
~下記、記事転載。
フォーク歌手の吉田拓郎(62)が生涯最後の全国ツアーを行う。
デビュー40年目を迎える6月から1カ月あまりで全国9カ所で公演。
慢性気管支炎でツアーを中断した2007年10月以来のライブで、
拓郎はこのツアーを最後に全国規模の公演から撤退する意向だ。
拓郎最後のツアーは70年6月に「イメージの詩/マーク2」でデビューしてから、
ちょうど40年目になる6月21日の名古屋公演からスタート。
7月4日の東京国際フォーラムホールAなど全国9カ所を巡り、
最後は75年に伝説の野外オールナイトライブを行った、
静岡県掛川市・ヤマハつま恋リゾートでの“屋内ライブ”となる。
2007年10月に,
慢性気管支炎などで全国ツアーを中断して以来の“復活ライブ”が、
生涯最後のツアーになった。
日本でそれまでコンサートツアーというスタイルが存在しなかった中、
1972年10月に日本人で初めて全国ツアーを敢行したパイオニア。
2003年に手術を受けた肺がんも克服し「体調は良好」(関係者)だが、
全力で人生を駆け抜けてきた“団塊の世代”の象徴。
「体力が落ちたなあ…。」
とふとつぶやくことが多くなった。
拓郎は昨年の夏にラジオ番組で、
<全国ツアーからの撤退>を表明。
その理由を、
「ツアーは精神力、体力、情熱、エネルギーのすべてがないとできない。
そのどれかが年齢によって足りなくなりつつある。」
と明かした。
ただ、
「音楽のそばは離れない。」
と明言。
不定期なライブは続け、
歴史的不況に見舞われた中で同世代を「元気づけたい」という思いは強い。
全編作詞、作曲した6年ぶりのオリジナルアルバム(4月15日発売)も製作中で、
同世代などへ「頑張らないことも大切」というメッセージを込めた、
『ガンバラないけどいいでしょう』など10曲を収録する。
ツアーのラストを思い出の“つま恋”にしたのは拓郎の強い希望。
「今さらとお思いでしょうが…」
と照れているが、
ラストツアーは、
「ファンへのありがとうの気持ちを込めた締めくくり。」
と位置づけているという。