mimi-fuku通信

このブログを通して読み手の皆様のmimiにfukuが届けられることを願っています。

【世界最高のオーケストラ/ ロイヤル・コンセルトヘボウ】 :番組感想。

2009-03-11 21:45:00 | クラシック・吹奏楽

 
 
<世界最高のオーケストラ>
 ロイヤルコンセルトヘボー演奏会(生中継)
  ~ BS20周年特別企画 ~

 放送日時 :NHK-BShi 2009年3月8日(放送終了)  
 

 
<番組の感想:3月11日夜。>

 良い番組になっていました。
 ハイビジョン放送の音(響き)の良さに驚きます。

 印象に残ったの話題として、
 ハイティンク自身が語っている、
 メンゲルベルクのバッハ:マタイ受難曲の想い出。
 
実は今日このアルバム(CD3枚組)を、
 名古屋のタワー・レコードで買ってきちゃいました。
 なんと5250円のオーパス復刻(国内盤)が1050円。
 ラッキーの一言に尽きます。
 お近くにタワレコがあればお問い合わせください。

 『マタイ』の録音が1939年の4月2日。
 1929年3月生まれのハイティンクは、
 このコンサートを聴いていたのでしょうか?

 嫌々バイオリンのお稽古をしていた10歳のハイティンク少年は、
 偶然連れられたこのコンサートをオーケストラを背にした席で観覧。

 目の前でタクトを自由に操るメンゲルベルクの存在に感化され、
 運命的な衝撃として少年の心に刻まれました。
 少年のその後の人生が決定付けた、
 一期一会の出会い。
 
 もう一つ気になった件(くだり)は、
 司会の高橋美鈴アナウンサーが紹介された、
 ハイティンクのリハーサル風景の証言。

 「あまり多くの言葉を発せず最初はギクシャクしていた演奏が、
 何度か合奏を続けるうちに音楽として成立していく不思議。」
 みたいな言葉だったと記憶していますがこの言葉の意味は、
 <指揮者の明確な指示が無いことでメンバーが互いの音を聴き取る。>
 に結びつきます。

 つまり、
 ハイティンクが創り上げたコンセルトへボウは合奏集団。
 <互いの音を聴き取りながら、決して自分達が主役に躍り出ないよう、
 緊張感を持って調和された響きを目指す団員主導のアンサンブル集団。> 
 そんな感じでしょうか?

 今回放送された2曲は正にそんな感じの演奏でした。
 多分この演奏をお聴きになった方々にも好き嫌いが存在するでしょうし、
 音楽表現に着目すると感動し難い部分も多々あったように感じますが、
 調整のとれた立派な演奏でした。

 ブルックナーの音楽は、
 ベートーヴェンやブラームスのような親しみやすいメロディに乏しく、
 音楽愛好家の中にも苦手意識を持つ方が多くいます。
 
 シューマンのピアノ・コンチェルトも、
 チャイコフスキーやラフマニノフのコンチェルトが持つ、
 強いドラマ性(劇的要素)を感じることが難しい楽曲であり、
 凡そ理知的な演奏が多く、感情移入しにくいと感じます。

 そうした通好みの選曲の中で、
 オーケストラの響きや膨らみに重点をおいて、
 視聴することができるならば相当に達者な、
 クラシック・ファンに違いありません。


 私も今回は徹底的に音と響きにこだわって鑑賞しました。
 特にff(フォルテシモ=ごく強く)の決して、
 <がなりたてることのない美音>は魅力的でした。
 *大人の音楽=大人しい=燻し銀?

 先ほど既述しました、
 <自分達が主役に躍り出ない>の意味は、
 各パート(楽器群)が飛び抜けた音量によって、
 バランスを崩さないことにも通じます。
 
*ただし最近の世界のオーケストラ表現の中で、
 指揮者主導の音創りであってもその音楽表現の中で、
 バランスを崩すほどのff(フォルテシモ)を要求することは少ないのも事実で、
 これも大指揮者(巨匠)の時代の終焉を物語っているのかも知れません。


 今回放送された演奏会の演奏は両曲ともに、
 私が好む音楽表現とは隔たりがありました。

 シューマンのピアノ協奏曲は、
 ぺライアの持つ優しく柔らかいロマンティックなタッチに対して
 オーケストラ伴奏の反応は叙情感が乏しく、素朴で重く感じました。
 *このオーケストラ伴奏をアバドのルツェルンで聴いてみたいと感じました。

 ブルックナーの交響曲第9番は、
 コンセルトへボウが持つ魅力が堪能できる良い演奏だったと思いますが、
 聴かせ処を捉えられず淡々と曲が進んでいくのに閉口しました。
 個人的に情緒感やメロディの揺さぶりがある解釈(演奏表現)が好みなので、
 ハイティンクの持つ演奏表現(過去の事例)を頭の中に描きながら、
 今回は響きにこだわった聴き方を心がけました。

 個人的に多々あるブルックナー:交響曲9番の演奏の中で、
 一番好きな演奏は、ジュリーニ&ウィーン・フィル。
 
しかし、そのお気に入りの演奏でさえ2楽章の金管表現に不可解な強奏があり、
 曲の全体像を不調和なものにしていると感じます。

 
個人的な話で恐縮ですが私のコレクションの中にある、
 ブルックナーの交響曲9番のCDでは、
 ・ジュリーニのウィーン・フィル(1988年)、
 ・シューリヒトのウィーン・フィル(1961年)、
 ・カラヤンのベルリン・フィル(1975年)
 ・マタチッチのチェコ・フィルがあり、
 映像(DVD保存)では昨年ハイビジョンで放送された
 ・ヴァント:ベルリン・フィル(1998年)
 ・朝比奈隆:NHK交響楽団(2000年)
 があります。

 お気に入りのジュリーニの演奏は、1楽章と3楽章の緊張感が素晴らしく、
 ウィーン・フィルの持つ演奏能力が最大限に発揮された名演。
 同じく、ウィーン・フィルの演奏でありながら真逆の名演奏がシューリヒト盤。
 多くの推薦本の中に素朴な演奏とありますが、この演奏の素晴らしさは表現。
 オーケストラの各セクションがまるで会話でもするかのように、
 楽器群が表情を変えながらストーリー性を持って進行します。
 ジュリーニの重量感ある演奏とは違い軽妙な語り口で主張する旋律と伴奏。
 一番飽きがこない演奏の最右翼と言われる所以(ゆえん)が理解できます。
 カラヤンの演奏は、短いメロディでもしっかりと歌わせる美意識が健在で、
 大衆が何を自分に望んでいるかを熟知している?カラヤン・スタイル。
 マタチッチの演奏は大味ですがマタチッチらしい熱演で別の面白さがあります。

 このようにひとつの演奏を聴くにあたって過去に聴いた楽曲に対する、
 印象付け(イメージ)によって聴衆は過去の記憶との比較を試みます。
 この試みこそがクラシック音楽の楽しみ方の一つで、
 自分にどれだけの経験を与えるかによって聴き方が変わります。
 <多くの経験(情報と知識)を自分に与えることによって楽しみが増える。>
 趣味の世界の奥の深さは、そうした経験によって生まれます。   


 一期一会。
 一つの楽曲や演奏に感じる個人個人の心の動きは、
 自分の好みと性質を知る手がかりになります。
 <嫌いだから聴かない。>
 では、成長するチャンスを逃します。
 嫌いなものの何が嫌いなのか?
 嫌いな理由の本質は何処に所在するのか?
 その自分の中の真実(比較対象)を見つめることで、
 苦手意識への対処の仕方を身に付けていく。
 クラシック初心者のブルックナー体験は、
 こんな感じで始まるはずです(笑)。
 と同時に芸術表現の良否を判断する基準を
 好き嫌いで判別する幼さにも気付くはずです。

 自分にとってのブルックナーは、
 そんな作曲家の一人でした。


  <関連記事>
 
*ロイヤル・コンセルトヘボウ演奏会、~mimi-fuku番組情報。
   http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20090306


 【資料】

 *オーケストラ・ランキング(グラモフォン2008)
 
 
1:ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(オランダ)
   
~旧:アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団
 2:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(ドイツ)
 3:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(オーストリア)
 4:ロンドン交響楽団(イギリス)
 5:シカゴ交響楽団(アメリカ)
 6:バイエルン放送交響楽団(ドイツ)
 7:クリーブランド管弦楽団(アメリカ)
 8:ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団(アメリカ)
 9:ブダペスト祝祭管弦楽団(ハンガリー)
10:シュターツカペレ・ドレスデン(ドイツ)
   
~旧:ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(旧・東ドイツ)


 <興味深い・関連記事>
 
*オーケストラ・ランキング2008
  ~geezenstacの森さんのブログから ~
 http://blogs.yahoo.co.jp/geezenstac/43594775.html

  *リンク先のグラモフォンのランキングは2007年のもののようですが、
 各国のオーケストラ・ランキングが記載されており楽しめます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする