mimi-fuku通信

このブログを通して読み手の皆様のmimiにfukuが届けられることを願っています。

何気なく、さりげなく、別にこれと言った話題を決めずに・・・。

2009-03-10 22:11:00 | mimifuku

 飛び石でお休み。

 先週の土曜日と昨日の月曜日。
 何があったでしょ?

 正解はWBCでした。
 土曜日の打ち過ぎ~もしや?
 と誰もが感じたとおり、
 月曜日は・・・でした。

 コールドは、観ていて気持ち良いけど再戦があると知った上で、
 昨晩の結果が、試合前から頭をよぎった人も多いはず。
 勝負なんてこんなもんさ。

 野球に詳しい人に言わせると、
 大勝ちした次に試合は、その時(打った)の感触から、
 大振りになったり、緻密なであるべき攻撃が疎かになったり、
 そんな事を言いますけど本当の理由は何なんだろう?

 高校野球なんかでも大量得点の次のゲームは打てないって、
 ジンクスもあるようだけど(力量に差がある地方大会は別)、
 さすがに昨晩は日本中の溜息が聞こえてきちゃった。
 緊張感のある良い試合かもしれないけれど、
 日本チームに勝たせてあげたかったね。

 最近のスポーツ番組をあまり観れていないのに驚き。
 ボクシングも見てないし、相撲も見れてないし。
 さらに、今回のドラマのクールは、何一つ見ていない。
 なんか、このブログを振り返るとNHKの回し者って感じ。
 と言うより、BS放送推進委員会って感じも。

 最近の民放テレビを見なくなった理由は、
 BS放送の視聴がアナログからデジタルに変わったこと。

 それとHDDに録画方式に変わったことで、
 見たい番組が次々とハードディスクの中に
 たまっていくからかな?

 そう言えば、
 民放テレビの収支が悪いとよく聞くけれど、
 選択すべきソフトが急激に増えた。

 PCや携帯での動画探索(有料・無料・個人等)。
 有料のテレビ・チャンネル(ケーブル・CS等)。
 デジタルBSの普及。
 レンタル&セールのDVDや雑誌の附録のDVD等、
 2000年以後、急激にライバル出現。
 視聴率を保つなんて、できっこネェ!
 
 一般的な社会人に与えられた平日の余暇なんて、
 3時間もあれば良い方で、小さな子供がいれば、
 1時間も無理な人も多い。
 その中でアレして、コレして、してるうちに、
 夜なんてあっという間。
 
 自分を見ても以前は、
 テレビ(ビデオ込み)1時間、パソコン1時間、本1時間、音楽1時間
 が基本だったのに、
 最近は、パソコンを3時間くらい開きながら、
 音楽とテレビが同時のことが多く、集中してない。
 特にブログを始めてパソコン開く時間が長くなって、
 どうしたものかと?
 今、テレビで見ているのがショスタコービッチの「ボルト」。
 WBCは、家族と集中してみていたためにパソコンが開けず、
 でも、この方が家庭としては本筋でしょう。

 一人でいる時間が長くならないように週に一度必ず居酒屋に行ったり、
 土曜日の夜は、できるだけ人と合うようにしたり、
 自分だけの時間に疑問を持たないと、人としてどうかと・・・?

 家族との時間は、食事の団欒や休日のショッピング。
 気の合う友人との時間は、金曜や土曜日の夜。
 街の様子を知るためには、行きつけの飲み屋が2~3件。
 勿論、仕事仲間や、出入り業者、顧客の方々との時間配分も怠りなく。
 それに親戚縁者や町の人との交流など、
 スーパーマンにでもならなきゃ、時間が足りないはず。

 そんな中でWBCを集中してみる時間は、共通の認識を共有するため?
 テレビって元々そう言う部分があって、
 出社(登校)して、「昨日のアレ見た?」から
 一日の会話が始まる時ってあるよね。

 それは、世代や性別によっても違うのだろうけれど、
 スポーツで贔屓のチームやアスリートが勝った翌日は、
 話が弾むし、
 男子が格闘技が好きな理由も強さへの憧れから。
 
 でも今はどうなのだろう?
 フラット(平均・平衡)な時代と言われるけれど、
 特定の共通認識を有さない時代なのではないかと思う。
 それは同時に近年、
 個人化へのステップが明瞭であり、
 共通認識の崩壊が起きていると考えるべきなのだろうか?

 男性らしく、女性らしくは、
 前時代的考えであって否定すべきだ(フラット化)。
 男性の中の女性と女性の中の男性の容認(フラット化)。
 個々の人格の尊重=生の尊厳(フラット化)。
 マイノリティ(少数派)の意見の尊重(フラット化)。
 
 男性・女性は、人種(白・黒・有色)や宗教に当て嵌めても良いし、
 あらゆる差別行動に当て嵌めてもフラット化は成立すると思う。

 共通の認識。

 例えば、日本人が日本人として持っていた共通認識としての天皇制。
 ユダヤ人が旧約聖書の中に示された教義に従った共通の行動。
 イスラムに従属する人達が共通して暗証するコーランの教義。
 旧ソビエトや毛沢東時代の中国が手本にしたマルクスの思想。
 
 2つの大戦が終わり、ラジオやテレビが普及し、共通認識の手本が、
 学校の先生や親に成り代わった生きる教本としてのテレビ番組。
 それは、ニュースばかりでなく、健康のためのHow Toや法律まで。
 あらゆる項目をバラエティの中に組み込み教示したテレビ。
 統計学や確率の中で存在する視聴率ではあるけれど、
 20%の視聴率は、10人に2人の共通認識として植え付けられ、
 2人の人間が口コミで広げることで世間の認識に共通点をもたらす。
 新聞で得られる共通認識や雑誌で得られる国家内での共通認識。

 しかし、世界の情報がフラット化していくことは同時に、
 これまでの国や民族等の【括り(くくり)】の中での共通認識が、
 崩壊していくことにも共通する事実なのだろう。

 括りの崩壊。
 注意深く見守りながら誤った主張が往来を行き来する前に、
 それはダメだと押さえつけるのではなく、
 何が誤りであるのかを提示できるだけの知性。
 
 この国の【括り】がどのような方向に進もうとしているのか?
 国際協調での【括り】が、何処に行こうとしているのか?
 そんなことを感じた。

 今回の<思いつくままに。>は、
 こんな結果になった。

 こんなはずじゃなかったんだけれど、
 こんな文書が、ホントは一番好きかも・・・?

 無責任過ぎるって?
 何時ものことでしょ。
 ・・・ほんと、結末にびっくり(笑う)

 日本の株価が7000円割れ寸前ですね。
 今日はそのことについて記事にしようと思ったのに、
 自分の中での約束の時間が過ぎちゃいました。
 明日は、出張なのでもう寝ます。
 おやすみなさい。

 *読み直しをしませんので、誤字脱字失礼します。
 
 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする