おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

いのち

2006年06月22日 | 日記・エッセイ・コラム
たまには真面目に語ってみよう。

あるブログに“いのち”について書かれてあった。
読んでいると感じる事があったが、自分には何ができるかわからない。

「一寸の虫にも五分の魂」

全てのモノに“いのち”がある。植物にだってあるはず。

小説だったかテレビドラマだったか、台詞のひとつにこんなのがあった。

 “虫けらのような奴”と悪人を罵る言葉がある。
 虫けらにも劣る人間だと言う意味だろう。
 しかし、この“虫けら”にも当然いのちがあるんだ。
 虫の一生はあまりにも短い。
 人間の生涯と比べた時に、その時間はあまりにも短い。
 そんな虫をつかまえて“虫けら”と言ってしまう人間。
 人にくらべれば短い一生ではあるけれど、
 そんな虫たちも、自分の生涯を全うして死んでいくんだろう。
 そしてその短い生涯は人間が思うよりも、
 ずっと充実しているのかも知れない
 
 “虫けら”と言えるほど、私達は人生を考えながら
 生きているんだろうか?

曖昧な記憶で申し訳ないが、この台詞を聞いた時、
無益な争いや犯罪などで、命を奪ってしまう人間よりも
虫たちの方がよっぽど崇高な生き方をしてるんじゃないかと思った。

生きて行くには、人間だって他の動物の命を奪わなくては行けない。
豚の丸焼きや、魚の刺身を食わないと言っても、
ハムも食べるし、かまぼこだって口にする。

ニュースで「牛が逃げ出し川に飛び込んだ」と言っていた。
画面を観ていると、大捕り物が展開されている。
やっとの思いで捕獲され、その牛は市場に運ばれていった。
あの牛の今後は容易に想像できる。

自然界でも「弱肉強食」の食物連鎖の中で、命を奪い命を永らえる。

ただ、この世界において人間だけが、純粋な「生きる」とは違った
「利益」や「感情」などで、他人の命を奪っていく。

いのちに「大きい」も「小さい」もない。
人間にだって、虫にだって命があり、生きている。

「なぜ人を殺してはいけないの?」

この質問に毅然と答えられるだろうか。







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フーリガン

2006年06月19日 | 日記・エッセイ・コラム
日本代表、勝てませんでしたね。

「可能性」を残すって事で言えば、昨日の試合は正に“大一番”な試合。
中継するテレビ局も「負けられない試合」って気合入りまくり。

かく言う僕も結構気合入ってました。
豪州戦の時と同じように、缶チューハイを片手に観戦することに!
冷蔵庫を覗くと

「ない! 缶チューハイがない!」

キックオフまで時間がもう無い中、あわててコンビニに走る僕。
田舎だけに夜の10時前には車もそんなに走ってないが、
昨日は余計に少なく感じた。

コンビニにつくと、駐車場に車はない。

「みんなテレビに釘付けやな」

車を降りて店内に入ろうとした時、奇妙なモノを見つけた。

「なんじゃ、あれ?」

駐車場の片隅に、宴会でもしているように
乾きモノの肴を中心に、缶ビールが円を描くように並んでいる。
しかし、人はいない。

「宴の跡か?」

訝しく思いながら店内に入って状況を理解した。
店内では、5人程の若者が騒がしく次のアテを選んでいる。

このコンビニ、結構賑わう店である。

冬場はそんなに人出は多くないがが、夏になると何処からともなく出てくる。
サービスも満点で、駐車場は臨時の「品評会場」となる。
いろんな車がエンジンをかけたまま並び、その周りを取り巻く人は
タバコの煙りをくゆらせながら、楽しそうに座り込んで喋っている。

いろんな人が集まるこの店。
若者だけでなく、白黒ツートンに塗り分けた車に乗って登場する人もいる。
ビシッと制服に身を包み、車には赤色灯までついている。

ほとんどの人は遠巻きに見ているだけだけど、
時にはそんな制服おじさんを取り囲んで談笑しているのも目にする。

気弱な僕は、そんな楽しそうな若者の輪に入る事も出来ず、
ただ眺めるだけだ。

昨日の5人組も、ワールドカップの大一番を前にテンションが上がって
いたのだろうか?
ただ、テレビもなく観戦するには、ちょっと不便な場所ではあったが…。

そそくさと缶チューハイを買った僕は、彼等を横目に車のエンジンをかけた。

帰り道、“ボボーボ、ボーボ、ボーボボォォォォォ”と
アフロなエンジン音が前から聞こえてきた。
小刻みにバウンドするその車は、コンビニの前でブレーキを踏む。

「合流されました!」

実況風に呟いた僕は、テレビを見るためにアクセルを踏んだ。

彼等はあの後、どうしたんだろう。









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全米が泣いた?

2006年06月17日 | 日記・エッセイ・コラム
結論から言えば、泣いたのは僕だった。

明日は「父の日」である。とは言うものの、特別何かをする訳でもない。
父の日にプレゼントをしたのは、小学校低学年ぐらいまでだろうか。

うちの家族は、とくに「プレゼント」をするという習慣がない。
弟や妹が入学試験に合格しても、就職・結婚した時でも僕は何もしなかった。

「家族だから」

と思っていたが、周りの話を聞くと結構「祝事」は大事にするようだ。

そんな僕だが、今から3ヶ月とちょっと前、弟と飲む機会があった。
不馴れな東京で飲むことになったので、すべてを弟に任せて飲むことにした。

話題の中心は「両親」の事。長い間会っていないし、
僕よりも家族思いの弟は、熱心にオヤジたちの話を聞いていた。

オカンも愛すべきキャラクターをしているが、
負けずにオヤジのエピソードも沢山ある。
幼稚園の時、はじめてのバス旅行。水族館に行って帰るだけの小旅行だが、
帰って出来事を喋っているとオヤジが怪我をしているのに気付いた。

「お父ちゃんどないしたん?」

言葉を濁したオヤジだったが、オカンが

「あんたの乗ったバスが見えんようになるまで走って追い掛けてこけたんやて!」

子供ながらに、そんなオヤジが誇らしく思ったし嬉しかった。

小さい時に本が欲しいとねだると、たまに連れて行ってくれる事があった。
しかし、決まって本屋はしまっていた。

「あ、あかんわぁ~ 休みやわ!」

何度か続くと子供心にも不信感が募ったが、定休日だと分かったのは
もっと後になってからの事だった。

小さい時には色んな所に連れていってくれた。
物心つく前の写真もいっぱい残っているが、シャッターを切るのはいつも
オヤジだったのだろう。オヤジと写っている写真は少ない。

そんなオヤジたちの話をしながら飲んでいると、しみじみ弟が言った。

「親孝行がしたいなぁ」

僕も賛同した。今まで何もしてこなかった事に後悔を感じていたから。

「旅行なんかええんちゃう?」
「そうやな、どこがええやろな?」

そんな話をしている内に、今迄の事が思いだされて、目に涙が溢れてきた。

「あかん、ちょっと泣いてええ?」

すでに声にならない声で弟に問いかける。

「ええよ、泣き。泣いたらええねん。兄ちゃんも色々思う事あるんやろから。」

もう、ダメ。その声聞いて涙が止まらなくなった。居酒屋で飲んでたんで、
声を押し殺すが、涙は止まらない。

近いうちに、兄弟三人で何かをしようと約束してからも飲み続けた。

明日は「父の日」である。
普段はいっしょに飲む事が少ない。っていうか、正月ぐらいしか
酌み交わす事はない。

少し照れるが明日誘ってみようかな?

「おとうちゃん、いっしょに飲まへんか?」









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継続は力なり?

2006年06月14日 | 日記・エッセイ・コラム
スナックスライスって御存知だろうか?

色々なパンが売っている。コンビニに立ち寄った時には、
別に食べたくなくてもパンコーナーの前は素通りしてみる。

以前、テレビで見た事だが、パン業界もいろんな「ヒット商品」を狙って
日夜開発に力を入れているらしい。

今迄の最大のヒット商品は「あんパン」画期的な発明品だったらしい。
その後は試行錯誤が続いているらしいが、それでも、

「焼そばパン」「メロンパン」そして一押しの「カレーパン」

などは、誰もが一度は口にしたに違い無い。
「カレーパン」をはじめて口にした時の衝撃は未だに覚えている。

「こんな美味しいモノがあったのかぁ!」

しばらくの間、パンと言えば「カレーパン」だった。

僕がパン好きになったのは、色々な説があるが、
一番有力なのは、

「小さい頃、食べられなかったから」

説が有名である。

保育園の時、昼食時には近くの駄菓子屋がパンを売りに来る。
僕としては、お金を出してそれを買って食べるってのが、
物凄く

「大人な行為」

に感じた。僕も食べたいと思った。
しかし、オカンは一生懸命作った弁当を持たせてはくれるが、
お金はくれなかった。


「ひとつだけ選ぶとしたら、どんなパン?」と言われれば、
僕は迷わずいつもこう言う。

「ハイジが食べていたパンやね!」

“アルプスの少女ハイジ”が食べていたアレね。暖炉(?)で溶かした
チーズを乗せて食べているパンがとにかく旨そうに見えた。
どれくらい旨そうかと言うと、

「ハクション大魔王が食べているハンバーグ」

ぐらい旨そうに見えた。

ハイジがフランクフルトに行った時に食べていた「白いパン」じゃない。
ペーターのおばあさんに食べさせようと隠しておいたのに、
ロッテンマイヤーさんに見つかって取り上げられた「白いパン」じゃないよ。
あれも“柔らかく”て旨そうだけど。

ペーターといっしょに山羊の放牧に行った時に食べる黒いパン。
ペーターが食べていた干し肉も旨そうだったかなぁ~

で、冒頭の「スナックスライス」

食パンにマーガリンを塗っただけの、実にシンプルなパンだ。
僕の中では「カレーパン」と対極にある存在。

味もシンプル極まりないが、これが結構“旨い”

久し振りに食べてみたが、やっぱり“旨い”

ただ、たまに食べるから旨いとも言える。アレだけだとやっぱり飽きるだろう。

でも、ずっと変わらずにあるって凄いと思うし、そのシンプルな容姿が
たまらなく愛おしい。

僕もスナックスライスのような人間でありたい。









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マニュアル

2006年06月09日 | 日記・エッセイ・コラム
ご一緒に“ポテト”はいかがですか?

多かれ少なかれ、どんな事でも“ノウハウ”ってモノがあって
そこから「マニュアル」的なモノが出来上がる。
今迄の蓄積と経験から、

「こうすればいいんじゃない?」

って。

いよいよ開幕するW杯サッカー。
連日、日本代表に対する報道が過熱しているが、「太鼓判」を押す報道は少ない。
まぁ、優勝候補でもないんで必要以上に持ち上げる事はないが、
不安面を全面に出すのも“いかがなものか”と思う。

また、同じF組のクロアチアや豪州の選手のコメントやら、各国の報道を紹介して、
「日本チームは、なめられている!」って報道をする。

これは僕が思うに、

「負けた時の伏線」

のように感じる。日本代表の事を「強い!」とか「大丈夫!」って鼓舞していると、
負けた時に批判の矢面に立たされる。
だからここで報道マニュアル発動!

勝った時には「日本チームが我々の不安を一蹴してくれた!」と囃したて、
仮に負ければ「我々の不安が現実のモノとなった!」と悲しめばいい。
最悪の事態を伝えておけば、それより印象が悪くなる事はないからね。

大阪の放送局で阪神の試合を聞いていると、
結構相手チームを誉める実況に出会う事がある。
これは、関西向けだけじゃなく、相手チームの地方にも放送されるから。
でも、地元放送局って事で言えば、

「我らが阪神強し!」

の姿勢で実況してええんちゃうって思うこともしばしば。
ただ、負けた時のために、ちょびっと実況マニュアル発動!

阪神が勝てば、
「強い相手に勝った阪神はもっと強い!」と、舞い上がって酒が飲めるし、
万が一阪神が負けても
「今日は相手が一枚上だった」と、ヤケ酒を飲む事ができる。

最初から「阪神一辺倒」で実況するよりは、負けた時のショックが少しは和らぐ。

そして、コンビニの“マニュアル”

コンビニをこよなく愛する僕だが、店員の“マニュアル”はいかがなものかと感じる。

たまに昼飯を買いに行くが、売出しなのかキャンペーン中のなのか
レジの店員が一言付け加える。

「“からあげ”もご一緒にどうですか?」

「はぁ? 僕が“おにぎり”ひとつじゃ不自然なの?」
って不機嫌にもなりかねない状況になるが、そんな事では僕は怒らない。

店員が“男”なら
「要りません!」
っと、キッパリ意思表示!偉いぞ、俺!

店員が“おばちゃん”なら
「えっ? あぁ、今日は要りませんね」
と、次は買うかもよぉ!と曖昧な返事。臨機応変な対応、流石です、俺!

そして、店員が“可愛い女の子”なら

「じゃ、ひとつ」


僕の行動にもすっかり“マニュアル”が出来上がってる。










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