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思考の基準

2011年07月19日 | 日記・エッセイ・コラム
110710_170900
 
思考の基準は自分なんですよね
 
至極当たり前の書き出しですみません
 
僕自身、自意識過剰なのを自覚するほど、
周りの視線が気になって仕方が無いんですけど、
それって、自分が周りの人を見ているって事も
多聞にあると思うんですよ
 
人間観察ですよね、早い話
 
スーパーなんかで買い物してると、
同じタイミングで入店して、
出るタイミングも同じ人って、結構いるもんなんですよね
 
まぁ、当たり前っちゃ当たり前で、
スーパーでの買い物は、あんまり入念な吟味も
しませんし、必要以上に迷うこともありませんし、
ましてや、ウィンドウショッピングって事もありませんから、
必要なものを必要なだけ買って、
レジに並んで、はい帰る!って流れで、
同じタイミングで出ることも
さして不思議なことではないですよね
 
でもね、これが2~3日に続くと、
それは少しニュアンスが違って来るはずです
 
しかし、向こうが気付いているかは、
また別の話です
 
だって、誰もが人間観察を生業としているとは
限りませんからね
 
そう思ってみていると、スーパーに限らずですけど、
人が集まる所では、
様々な人に出会うことが出来ます
 
昨今の個人情報保護の観点からも、
ここで個別のエピソードを書き記すことはしませんが、
スーパーの買い物ひとつとってもみても、
独り言を言いながら刺身盛りを選んでいるお爺さんやら、
豚肉のパックを片手に微動だにしないマダムやら、
ずっと見てても飽きない日もあります
 
他にも、
忘れっぽい人は、他人が連絡してこないのは、
自分との約束を忘れてるんじゃないのか?って、
余計な心配をしてみたりすることが
あるんじゃないですかね?
 
また自分がされて嫌なことを他人にしてしまった場合、
 
(怒らせたかな?)
 
なんて心配しているのに、当の本人は
なんとも思ってなかったり
 
とは思ってもみても、基準を他人の求めるのは
もっとおかしいし、それ以外の基準なんて
ないんですからね
 
 
 

 


コメント
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