何年か前に、ノートパソコンの液晶画面が
角度によって色合いが違ってみえることを
引き合いに出して、
「同じモノを見ていても、同じモノを見ているとは限らない」
と講釈を垂れて、一応の理解を得たエピソードがあった
このブログでも書き残したはずだから、
記憶の片隅にあるお方も居られるはず
そんな哲学的な光景を
今も毎朝体感している
言わずと知れた僕の原付通勤
峠を越えるほぼ一本道を突き進む道中だが、
通勤の時間帯はそれなりに交通量もある
そんな中、周りへの気配りを慮る僕としては、
自動車の邪魔にならないように
努めて路肩を走るように心掛けている
しかし、車の運転席からは見えにくい、
様々な障害物が路肩には転がっている
車道に比べて危険が潜んでいる路肩だが、
一箇所、何かが下から突き上げているような
“隆起”
した部分がある
気を緩めていると、ハンドルを取られそうな
割としっかりとした突起部分だ
障害物や突起物を避けながらの運転と
なるわけだが、
もちろん、車の往来が無い場合はミラーで確認後、
車道を樋口了一の「1/6の夢旅人2002」を口ずさみながら走る
するとどうだろう!
ハンドルを取られるほどの隆起した部分が
まったく分からなくなるのだ
不思議だが本当だ
最初は気にしていなかったが、
注意していても、その突起部分が見つけられないと
分かったとき、
(これは人生と同じなんじゃないだろうか?)
と、鼻歌を一旦止めてまで、考えた
突起物のある路肩と車道だと、
1メートルほどの違いだけだろうか
それが、光の加減とかあるだろうけど、
まったく気付かないうちに通り過ぎている
この体験を哲学的に説明することは
稚拙な僕にはうまく表現できないが、
そういうことだ
伝わるかな?
角度によって色合いが違ってみえることを
引き合いに出して、
「同じモノを見ていても、同じモノを見ているとは限らない」
と講釈を垂れて、一応の理解を得たエピソードがあった
このブログでも書き残したはずだから、
記憶の片隅にあるお方も居られるはず
そんな哲学的な光景を
今も毎朝体感している
言わずと知れた僕の原付通勤
峠を越えるほぼ一本道を突き進む道中だが、
通勤の時間帯はそれなりに交通量もある
そんな中、周りへの気配りを慮る僕としては、
自動車の邪魔にならないように
努めて路肩を走るように心掛けている
しかし、車の運転席からは見えにくい、
様々な障害物が路肩には転がっている
車道に比べて危険が潜んでいる路肩だが、
一箇所、何かが下から突き上げているような
“隆起”
した部分がある
気を緩めていると、ハンドルを取られそうな
割としっかりとした突起部分だ
障害物や突起物を避けながらの運転と
なるわけだが、
もちろん、車の往来が無い場合はミラーで確認後、
車道を樋口了一の「1/6の夢旅人2002」を口ずさみながら走る
するとどうだろう!
ハンドルを取られるほどの隆起した部分が
まったく分からなくなるのだ
不思議だが本当だ
最初は気にしていなかったが、
注意していても、その突起部分が見つけられないと
分かったとき、
(これは人生と同じなんじゃないだろうか?)
と、鼻歌を一旦止めてまで、考えた
突起物のある路肩と車道だと、
1メートルほどの違いだけだろうか
それが、光の加減とかあるだろうけど、
まったく気付かないうちに通り過ぎている
この体験を哲学的に説明することは
稚拙な僕にはうまく表現できないが、
そういうことだ
伝わるかな?