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日々の暮らしのなかで

哲学的に考えて

2011年07月13日 | 日記・エッセイ・コラム
何年か前に、ノートパソコンの液晶画面が
角度によって色合いが違ってみえることを
引き合いに出して、
 
「同じモノを見ていても、同じモノを見ているとは限らない」
 
と講釈を垂れて、一応の理解を得たエピソードがあった
このブログでも書き残したはずだから、
記憶の片隅にあるお方も居られるはず
 
そんな哲学的な光景を
今も毎朝体感している
 
言わずと知れた僕の原付通勤
 
峠を越えるほぼ一本道を突き進む道中だが、
通勤の時間帯はそれなりに交通量もある
そんな中、周りへの気配りを慮る僕としては、
自動車の邪魔にならないように
努めて路肩を走るように心掛けている
 
しかし、車の運転席からは見えにくい、
様々な障害物が路肩には転がっている
車道に比べて危険が潜んでいる路肩だが、
一箇所、何かが下から突き上げているような
 
“隆起” 
 
した部分がある
気を緩めていると、ハンドルを取られそうな
割としっかりとした突起部分だ
 
障害物や突起物を避けながらの運転と
なるわけだが、
もちろん、車の往来が無い場合はミラーで確認後、
車道を樋口了一の「1/6の夢旅人2002」を口ずさみながら走る
 
するとどうだろう!
 
ハンドルを取られるほどの隆起した部分が
まったく分からなくなるのだ
不思議だが本当だ
 
最初は気にしていなかったが、
注意していても、その突起部分が見つけられないと
分かったとき、
 
(これは人生と同じなんじゃないだろうか?)
 
と、鼻歌を一旦止めてまで、考えた
 
突起物のある路肩と車道だと、
1メートルほどの違いだけだろうか
それが、光の加減とかあるだろうけど、
まったく気付かないうちに通り過ぎている
 
この体験を哲学的に説明することは
稚拙な僕にはうまく表現できないが、
そういうことだ
 
伝わるかな?
 
 
 
 
 
 


コメント
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