日々思うこと

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セミの行方…

2004-08-12 | 堅めの話
子どもって、本当にいろいろである。
今ビーバースカウトにいる子どもたちも、ホントにバラエティーに富んでいる。

ところで、人は他人に接するときは無意識のうちに「自分の感じ方」を基準にしていると思う。

例えば、私は命令口調でモノを言ったり言われたりするのが大嫌いだ。(まあこれは女性はほとんどそうかもしれないが…)
正直未だに「気をつけ!」の一言を言うのにも非常に抵抗がある。
それから、言い訳がましいことを言ったり言われたりするのも嫌いである。
一方、人の自慢話を聞くのはなぜか好きだし、楽しそうなことにはとりあえず首を突っ込まずにはいられない。

で、子どもたちに接するときにも上記の自分の感じ方が知らず知らずのうちにベースになっているのだが…

例えば、団体行動のときに勝手に遠くに行ってしまうような子どもには、キチンと理由を説明しようとしていた。
そのほうが大勢の前で怒ったりするよりも効果的だと思っていたし、何より自分だったらそうしてほしいと思うから…
…しかしどう工夫して言って聞かせても、効果がない子には一向に効果がないのだ…(-_-;)

ところが、男性リーダーに容赦なく怒鳴られたりしているうちに、だんだんそれなりに落ち着いてくる、という子どもが結構いるのだ。
本当に子どもっていろいろである。

また一方で、何度こっぴどく怒られてもシュンとするどころか、スキあらばまたトンボを追いかけてふらふらと行ってしまったり、「空想の世界」?からナカナカ戻ってこない子どももいる。
こんなに様々な子どもをまとめて一緒に活動をしていくのって本当に難しい…

実を言うと、私の性格としてはそういう子どもたち一人一人に(団体活動を無視して?!)トコトン付き合ってあげたいという本音もある。
しかしボーイスカウト活動ではやっぱりそうもいかない。


せめて「余裕がないときほど意識して余裕を持つ」ことを心がけている私だが、最後にちょっと後悔してしまう出来事があった。

サマーキャンプ最終日、セレモニーも終わって子どもの荷物をチェックしたり保護者の方とあいさつしたりしているときに、あるスカウトが「Nリーダー、ちょっと来て!」と公園の木を指差している。
見ると、なんとセミの幼虫が、脱皮の場所を探すように木の枝を登っていく真っ最中だったのだ。
セミの幼虫と言えば抜け殻しか見たことがなかった私はいたく感激して、「わ~スゴイ!脱皮するところ見たいね!!」と彼と話しながらしばらく一緒に見ていた。

しかし、そうしている間も雑務がアタマから離れない私は、あっちに行ったりこっちに行ったりしているうちに、いつの間にかそのことをすっかり忘れ、疲れ切って帰途についてしまったのだ。
セミのことを思い出したのは翌日の朝…

あの時私の心にもう少しゆとりがあれば、彼とゆっくり感動を共有できたのに…
あのセミは無事脱皮できただろうか。
そして彼は、どんな気持ちでセミを眺めていたのだろうか。…

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