日々思うこと

日常と、
日常につながるもの。

想像を絶する悲しみの前には…

2006-08-28 | 今日の出来事。(私事編)
福岡・車転落3人死亡 飲酒、追突の市職員逮捕  (産経新聞) - goo ニュース

私事を含め、他にも感想を書きたいニュースがいろいろあったこの週末だが、
やはりこのニュースには胸のつぶれる思いだった。
かわいい盛りの子どもを、理不尽な事故でいきなり3人とも奪われてしまう
なんて…両親の悲しみはいかばかりだろう。

ずっと若い頃…私はなぜかある日突然、
「人の痛みが自分のことのように感じられる、やさしい人になろう」
と決心した。
そして実際にそんな人を目指してきたつもりだった。
しかし、今は思う。私はなんと傲慢だったことか…と。

少し前にドラマ「ER」の中で、
ノア・ワイリー演ずるDr.ジョン・カーターが、死産した恋人に
付き添うシーンを見たときに、あらためてそれを身にしみて感じた。

もちろん死産した本人の悲しみは察するに余りある。
(流産でもあれほど悲しかったのだから筆舌に尽くしがたいだろう…)
しかし私を泣かせたのは、寄り添って涙を流し続けるカーター医師の
表情だった。

もちろんわが子を失ったことは、母親同様に悲しいと思う。
しかし、彼の表情は
「愛するものがこんなにも嘆き苦しんでいるときに、何もしてあげられない」
という苦しみを、痛いほどに伝えていた。

「人は、他人の悲しみを本当の意味で同じように感じたり、
減らしてあげたりすることはできない」
という厳然たる事実…
これに向き合うほうが死産の悲しみよりましだとも、誰にも言えないだろう…彼の悲しみもまた、誰とも分かち合えないものだから。

我が子三人を失った親の悲しみを、自分のことのように感じようとする
(そうできると思う)なんて、おこがましいにも程がある。
私には、その悲しみが文字通り「想像を絶する」ものであることに
愕然とするしかない。
安易に「他人の気持ちになって」なんて“他人事”なセリフは、誰にも
言えないだろう。


こんなときは愛だの思いやりだのでさえ無力に思える。
もしかしたら、こんなときこそ「宗教」の出番かもしれない。
彼らに笑顔が戻る日が一日も早く訪れることを、ただただ祈るだけだ。…

最新の画像もっと見る

コメントを投稿