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日々思うこと

日常と、
日常につながるもの。

op.30 ガンになった理由

2020-08-19 | 闘病記に名を借りた自分語り
ガンになると、たいていの人はその原因を知りたいと思うのではないでしょうか。
あの食べ物が悪かったのではないか?
これをしたのが悪かったのではないか?
ガンになる以前の生活と、どこを変えればいいのだろうか?
などと不安になってしまうのではないかと思います。
私の場合、それは全くありません。
なぜなら、私には「この時にガンができた」と明確に感じた時期があるからです。

教育委員になって以来、私は仕事にやりがいを感じていました。
そこから広がる人間関係を楽しみ、また
より良い教育について考え、話し合うことに無上の喜びを感じていました。
昨夏、それが打ち砕かれる事件が起きてしまいました。

それ以前の私は、
自分が仕事や生活を楽しみ、人と生きる喜びを分かち合うことが
教育を通して人を幸せにすることにわずかながらでも繋がっている、と
無邪気に信じていました。
しかし、子供が不幸になってしまっては何の意味があるのか。
何のための仕事なのか。楽しみなのか。
これまでやってきたこと、すべてを否定された気がしました。

そこから日をおかずして、
所属していた合唱団の先生が急逝されました。
その歌声同様、とてもパワフルかつアクティブな先生だったので、大変にショックを受けました。
隔年のイタリア演奏旅行が、これからの夫婦の楽しみになりそうだね🎵と夫と話していた矢先のことでした。
これが大きな追い打ちとなり、生きる意欲にとどめを刺されてしまったようでした。

この時期は、ガンが判明する前後よりもひどい精神状態でした。
酒量が増え始め、眠れない日が続き、
これではいけない!と飲まないことを決めたのに
それを破ってしまい、
それでも眠れず、
禁を破ってしまったという自己嫌悪に苛まれました。

日中は心ここにあらずで、
深呼吸をしても何をしても息が苦しく、
歩いても地に足が着いていないかのようなふわふわした感じでした。

振り返ると、「自己嫌悪」が最も良くなかったのではないかと思っています。
自分が「頑張っている」「頑張ってきた」ということに、全く目を向けられなくなっていました。

これを読んでくださっている人、すべてに言いたいことは
何はともあれ「自己嫌悪」を全力で回避してください、ということです。
逆に言えば、自己嫌悪に陥らないように、とりあえず何でもやる(あるいは何もやらない)べきです。
自分を勇気づけてくれる言説だけを読み、
自分を元気にしてくれる人とだけ付き合う。これで全然かまわないと思います。

op.29 便りのないのは

2020-08-11 | 闘病記に名を借りた自分語り
久しぶりの投稿となります。😅
便りのないのは良い便り、とはよく言ったもので😅
味覚異常も消え、免疫低下の時期も抜け、
第二クール開始前のつかの間の平和をかみしめる日々です。

抗がん剤治療中は定期的に歯科検診を受けなければならないのですが、診察前の問診でも
「体調はいかがですか?」
「おかげさまで良いです」
「それはよかったです」
...
「吐き気で歯が磨きづらいということは?」
「ありません」
...
「口内炎などは...」
「ありません」
...
こんな調子で話も続かないので少々気まずい(笑)
次回は3か月後くらいで大丈夫でしょう~ということになりました(笑)

最近は、友人にも会わなくはないのですが、
家族と過ごす時間の気楽さ、有難さをしみじみ思います。

そうそう、
娘から「よく頑張ってるぞ🎵」と思いがけずご褒美をもらって感激しました。
その幸せたるや、もう思い残すことはない✨レベル!?(笑)
反面、この幸せを支えに生きていける✨とも思いました。

私は
子育てを、仕事を、治療を、頑張ってきた(いる)んだ。
それが報われたと感じ、自分で自分を誇りに思いました。
もしもガンになっていなかったら、こんなふうにあらためて思う機会はなかったかもしれません。
まだ治療途中だし、これからのことは分かりませんが、
記憶と記録にとどめておきたいと思った出来事でした。

op.28 抗がん剤4回目(第1クール最終回)終了

2020-07-28 | 闘病記に名を借りた自分語り
前回同様、何事もなく終了...と思ったら、今回は点滴中からちょっと吐き気が...
病院に向かうときは、これで一区切りだ♪と、どちらかというと気分はよかったんですが、やはり手術は必要になりそうだとドクターからお聞きして、ちょっと気分が落ちてしまいました。そのせいかも?(笑)
まあ、なるようにしかならないと腹をくくって、目の前のことを一つずつこなしていくしかないですね。

少しの中休みをおいて、8/25から第2クールが始まります。
第1クール同様、副作用少なめ&効果多め(笑)を期待しつつ、今日はゆっくり休みたいと思います。😊

op.27 終活

2020-07-18 | 闘病記に名を借りた自分語り
ちょうど息子の就活が区切りを迎えた頃から、自分の終活を考えるようになりました。

そんなオオゲサな~(笑)とか、
まだ早いでしょ~(笑)とか、
そんな滅相もない~(←「縁起でもない」と言いたかったらしい、娘の誤用w)とか、
いろいろご感想はあろうかと思いますが、
多くの人が人生の終わりを意識する病を得た今この時、それを考えられるようになるのは自然な成り行きなのだと感じています。

年明けに、
スタッフとして関わっている高齢者サークルで「七福神めぐり」のハイクをしました。
たまたまその行程で、疲れてしまったメンバーが一休みできる場所を提供してくれたのが、とある霊園でした。
社員さんたちの応対が本当に親切で優しくて、私はいたく感激しました。そして今、それを思い起こしています。

調べてみたところ、最近はさまざまなタイプの埋葬・供養法があるのですね。
中でも私が惹かれたのは「樹木葬」。
バラの木の下に眠れるなんて素敵ではありませんか😍
夫の墓に入るという縛りがなく(諸事情ありまして笑)より自由な形を望んでいる私としては、選択肢が豊富なのは有難いことです。

ガンが日に日に大きくなっていくのが感じられた時期、
検査、検査で先が見えなかった時期、
毛髪の始末で気が狂いそうだった時期、
苦しいときは幾度かありましたが(そしてこれからもあるかと覚悟していますが)
終活と向き合い始めてからのほうが気持ちに落ち着きが得られるようになった気がします。
おかしな話ですよね。(笑)

何にしても、あの長閑で楽しかった冬の一日のことを思うと、幸せな気分に浸れるのです。

op.26 嬉しかった一言

2020-07-12 | 闘病記に名を借りた自分語り
私は「対女性」の付き合いにおいて慎重な一面があります。
その理由は、こう言っては語弊があるかもしれませんが
世間的に見れば自分が(女性として)「恵まれている」と自認しているから、かもしれません。
結婚もできて、子供にも恵まれ、
良いことも悪いこともありましたが、それらひっくるめて「いろいろな経験ができている」ことを、心から有難く幸せに感じています。

一方、
そのような女性について、やっかみや妬みのようなものとともに語られる場面を、しばしば目にしてきました。
(時にそれは「弱者への目線が足りない!」という文脈上で語られます。)
そんなわけで私は、余程気心の知れている間柄でない限り、女子トークでは慎重に距離を取るようになってしまいました。
(私生活がよく分からない人や、政治的主張の激しい人に対しては特に。)
どちらかと言うと男性相手に、共有しようがない話題について(笑)話すほうが気楽だったりします。

しかしここに来て、
おそらく女性にしか分からない苦しみを、「女性と」分かち合える幸せを感じることが増えました。

たとえば髪(脱毛)のこと。

脱毛が始まる直前に、かぶり心地が良くてしゃれたキャップを妹が送ってくれたのは有難かったです。
(いずれ必要になることが分かっていても、贈るとなると余程親しくない限り恐らく躊躇してしまう類いのプレゼントではないでしょうか。)

また、化学療法を担当してくださっているドクター(女性)から、
「ウィッグ、自然でいい感じじゃないですか~❤️そんな感じの髪型でしたよね、前から?」と言われたときは、本当に嬉しかったです。
化学療法初日に担当していただいたときに、悩み・苦しみのようなものをちょっと吐露してしまった、その先生だったのですが、私の心身の経緯を分かってくださる方だからこその嬉しい誉め言葉に、とてつもない幸せを感じました。

治療方針全般についてお世話になっている主治医の先生(男性)は、本当に素敵な良い方なのですが、脱毛については「また生えて来ますから大丈夫ですよ」としか言われたことがなかったので...
(いや、もちろんそれ以上何かを言ってくれというのではないのです。
女性の髪についての悩み苦しみを、真の意味で男性と共有できるとは思わないので。)

とりあえず、「また生えて来る」ココが男性にとっては重要なのだな...ということが、よく分かりました。(笑)

op.25 最近の私

2020-07-10 | 闘病記に名を借りた自分語り
そんなわけで、最近の私は
必要最小限の仕事の他は、眠気に任せてダラダラしています。
なぜか恋愛小説をひたすら読みふけったり(笑)
ピアノを弾いたり。
コロナのこともあるので、出歩く時間・場所は極力減らしています。

生まれて初めて(たぶん)「ぬいぐるみ🐶」を買いました!
これがまた可愛くて😍
ちなみに名前は「ワンコ」←まんまやん!笑

ダンナの仕事上がりに合わせてご飯を炊いたり
ちょっと凝った料理を作ったり
新しいスーパーが出来たときは出来合いのお総菜なども試してみたり。
自分にこんな一面があったとは...
それとも、これが本当の私?(笑)

タバコのにおいのするライブハウスや、ワインなど
かつて親しんでいたものたちから離れてしまったのは寂しいけれど、
ある意味新鮮な毎日です。

op.24 抗がん剤3回目投与終了

2020-07-07 | 闘病記に名を借りた自分語り
だんだんパターンが分かってきました。

抗がん剤投与後
一週目...
味覚が変。たまにむかつきはあるけれど(怒ってるという意味ではありません笑)吐くまでには至らず。
だるくて眠い。眠気のピークは、二日後のジーラスタ(白血球数を増やす薬)投与後数日間。
たまに手足にしびれ。しかし日常生活にはほとんど支障なし。
不思議と精神状態は良い。よく寝るせいか?

二週目...
味覚異常はほぼ解消。しかし眠れないときがある。結構辛い。
白血球数が低い時期なので人との接触を減らさざるを得ない。それがまた辛い。

三週目...
「かまってちゃん」になる。(笑)
被害者?は家族(≧▽≦)
出歩けるのは今!とばかりに、家族を食事に誘ったり、どうでもいい用事でLINEしたり...
しかし次の抗がん剤投与が近づくにつれて気分が沈むのはどうしようもない...

困ったときに助けてくださるのは、やはり信頼するドクターです。
抗がん剤がちゃんと効いているということを折りに触れて伝えてくださるので、勇気づけられます。
副作用が軽いことについては驚かれました。(笑)
私は本当に幸運だと思います。

op.23 長期戦の落とし穴

2020-07-04 | 闘病記に名を借りた自分語り

自分がガンだと知ったこと、それ自体について嘆き悲しむということはほとんどなかった私ですが、だからといって毎日を迷いなく過ごしているということはありません。

友人たちが賑やかに楽しんでいる姿を心から嬉しく思い、「そうよ、人生楽しめるときは目一杯楽しんで❣️」と心から幸せに思っていたはずが、ある日

そこに自分はいない、

今後加われるかどうかも分からない、

ひょっとしたらもう二度と...

などと考えてしまい、寂しさと悔しさにとらわれて涙が出ました。

でも、思い直しました。

あまり綺麗なたとえではありませんが(笑)

たとえばお腹の調子にしても、お腹を壊したり便秘に悩んだりするように、「いつも変わらない」ということはありません。

同様に、心の調子も良いときと悪いときがあるのですね。

長期にわたる闘いではそこまで考慮に入れて、一喜一憂しすぎずに過ごすことが大切なのだと思いました。

短期戦と長期戦とでは、戦略も心構えも違うのですね。

とはいえ、いつもなら気にならないことが心をキリキリと締め付けるというのは、自己嫌悪を伴ってなかなか辛いものです。

どうも眠れないときにはそのような状態に陥りやすいようです。今後は気をつけていたいと思います。


op.22 後悔とは違う何か

2020-07-01 | 闘病記に名を借りた自分語り

「芸大は無理だけど、武蔵野音大あたりなら大丈夫ですよ」
ずっと昔言われたことをふいに思い出す。

ピアノは大嫌いだったのに
もし行っていたら...なんて今なぜ思うのかな?
つい先日は、「私は今この場所に至るまで、一つも道の選択を間違えなかったんだな」と感慨に浸っていたのに。

合唱、バドミントン、飲みと
趣味がことごとく封じられ(笑)
残ったのは意外にもピアノ、そして一人のドライブ。
行政道路をあてもなく走っていたら、カーナビに「バッハザール」と見えたので、思わずハンドルを左に切る。
でも車を停めて感慨にふけるほどでもなく、緑に囲まれた赤レンガ造の建物を遠目に一瞥しながら通りすぎる。
こんなことをして、一体何の意味があるんだろう...?と笑いそうになりながら。

もしも、そちらのほうに行っていたとしても、今頃「一つも道を間違えなかった」と感慨に浸っていることを祈りたい。今の私のように。


op.21 脱毛よりも数段辛かったこと

2020-06-26 | 闘病記に名を借りた自分語り

予想外でした。脱毛そのものよりも地獄だったのは「掃除」。

お風呂に入る前、ある程度髪の毛を落ち着かせておこうとブラッシングすると、ブラシにも服にも床にも抜け毛の山。

やっとの思いで掃除して、お風呂に入っていざシャンプーすると、さっき落としたばかりなのに手が見えないくらいに絡みつく。コンディショナーのあとも同様。すすいでもすすいでもきりがない。

ふと見れば、万全に準備を整えたはずの排水口もゴミかごも、キャパからあふれてしまっている。

体を洗うタオル、風呂上がりのバスタオル、バスキャップ、洗面台、床...ものというものすべてに細かい毛がつきまくる。

ドライヤーをかければパラパラと雨のように髪の毛が落ち、風にのって部屋のあちこちまで散乱する...

深夜に一人で抜け毛の嵐と格闘していると、孤独感と徒労感で気が狂いそうでした。

しかも、終わりのないように見えるこの闘いにも終わりが来ることは分かっていて、それは「抜けるものがなくなるとき」なのです...こんなに辛い闘いはありません。

しかし、唐突に終わりは来ました。

ある日を境に、抜け毛の量は以前(抗がん剤開始前)と同じくらいで落ち着くようになりました。

ちなみに髪は、薄くはなりましたがまだ結構あります。どんだけすごいんだ私の細胞たち😅

ともあれ今は、つかの間訪れたこの平和な均衡状態を有難くかみしめています。