あの食べ物が悪かったのではないか?
これをしたのが悪かったのではないか?
ガンになる以前の生活と、どこを変えればいいのだろうか?
などと不安になってしまうのではないかと思います。
私の場合、それは全くありません。
なぜなら、私には「この時にガンができた」と明確に感じた時期があるからです。
教育委員になって以来、私は仕事にやりがいを感じていました。
そこから広がる人間関係を楽しみ、また
より良い教育について考え、話し合うことに無上の喜びを感じていました。
昨夏、それが打ち砕かれる事件が起きてしまいました。
それ以前の私は、
自分が仕事や生活を楽しみ、人と生きる喜びを分かち合うことが
教育を通して人を幸せにすることにわずかながらでも繋がっている、と
無邪気に信じていました。
しかし、子供が不幸になってしまっては何の意味があるのか。
何のための仕事なのか。楽しみなのか。
これまでやってきたこと、すべてを否定された気がしました。
そこから日をおかずして、
所属していた合唱団の先生が急逝されました。
その歌声同様、とてもパワフルかつアクティブな先生だったので、大変にショックを受けました。
隔年のイタリア演奏旅行が、これからの夫婦の楽しみになりそうだね🎵と夫と話していた矢先のことでした。
これが大きな追い打ちとなり、生きる意欲にとどめを刺されてしまったようでした。
この時期は、ガンが判明する前後よりもひどい精神状態でした。
酒量が増え始め、眠れない日が続き、
これではいけない!と飲まないことを決めたのに
それを破ってしまい、
それでも眠れず、
禁を破ってしまったという自己嫌悪に苛まれました。
日中は心ここにあらずで、
深呼吸をしても何をしても息が苦しく、
歩いても地に足が着いていないかのようなふわふわした感じでした。
振り返ると、「自己嫌悪」が最も良くなかったのではないかと思っています。
自分が「頑張っている」「頑張ってきた」ということに、全く目を向けられなくなっていました。
これを読んでくださっている人、すべてに言いたいことは
何はともあれ「自己嫌悪」を全力で回避してください、ということです。
逆に言えば、自己嫌悪に陥らないように、とりあえず何でもやる(あるいは何もやらない)べきです。
自分を勇気づけてくれる言説だけを読み、
自分を元気にしてくれる人とだけ付き合う。これで全然かまわないと思います。