愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

松平記(63) 松平記

2024年05月20日 16時21分20秒 | 松平記

松平記p63

翻刻
半蔵、同半十郎、同養右衛門、久世三四郎、浅井善三郎、同小吉、
同五郎作、波切孫七、近藤新次郎、黒野孫左衛門、同金七、本多
喜蔵、加藤善蔵、浅岡新十郎、安藤次郎右衛門、佐野小大夫、加
藤源太、浅岡新八、犬塚七蔵、加藤伝十郎、同源蔵、同市三郎、成
瀬新兵衛、坂部又六、同庄之助、同相之助、坂部酒之助、同又兵
衛、八十余人籠、上和田衆と日夜合戦す。
一 野寺にも一揆共籠りしかども、終に切て不出。此押へに松
平勘四郎取手をいたし守りけり。
一 家康御方に酒井左衛門尉、酒井雅楽助、石川伯耆守、石川日
向守、内藤喜一郎、同三左衛門、同平左衛門、本多肥後守、同平

現代語
(針崎勝鬘寺に籠る者は、さらに渡辺)半蔵、同半十郎、 同養右衛門、久世三四郎、浅井善三郎、同小吉、同五郎作、波切孫七、近藤新次郎、黒野孫左衛門、同金七、本多喜蔵、加藤善蔵、浅岡新十郎、安藤次郎右衛門、佐野小大夫、加藤源太、浅岡新八、犬塚七蔵、加藤伝十郎、同源蔵、同市三郎、成瀬新兵衛、坂部又六、同庄之助、同相之助、坂部酒之助、同又兵衛等、八十余人籠り、上和田衆と日夜合戦している。
一 野寺(本證寺)にも一揆たちが籠っていたけれど、打って出ることはなかった。野寺本證寺の押さえとして松平勘四郎が砦を作り、守っている。
一 家康の味方としては、酒井左衛門尉、酒井雅楽助、石川伯耆守、石川日向守、内藤喜一郎、同三左衛門、同平左衛門、本多肥後守、(続く)

コメント
読者の中にこれらの武将について知っている方も多いと思われますが、私は渡辺半蔵ぐらいしか分かりません。槍の半蔵として有名で、父である渡辺高綱とともに勝鬘寺に籠りましたが、父高綱はこの一揆の中で負傷し亡くなってしまいます。
家康の味方の武将は有名な武将ばかりです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする