Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

絵とアートについて

2018年09月21日 19時31分48秒 | 日記

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このドローイングを今年の残暑見舞いカードにしたら
送った人から電話が来て、褒めてくれた。
作品となると打ち出しが強く、肩肘を張り、
そのイメージが定着するなら抜け出せなくなる可能性がある、
このようなドローイングは息が抜けていて良い、とのこと。

言わんとすることはわかるけれど
息の抜けているものは遠くまでは届かない。

作品をなるべく遠くまで発信しようとするならば
自分の精一杯を凝縮しなくては、届かないと思います。
「うんざりするような作品」
と言って良いかわかりませんが
その「力」がないと既にさまざまなアイデアが出尽くしたこの世界で
きわだつことはできないように思います。

ですので、世に出る作品が必ずしも良い作品とは限らない、
アイデアと技術が売り買いされているのだと思います。





既に「良い」と言われるものに意義をとなえて更新するのがアートの役割だと
私はいまだに思っています。
歴史を振り返るとずっとそのように続いているからです。

で、意義をとなえるには、それは一体何なのかを考えなくてはならず
究極的には「考える」ことに常に立ち返る
ある意味辛い作業の繰り返しだと思います。
絵を描くだけではなくて、考えるのです。
そのアイデアを絵という説明できない技法に委ねるわけで
そこで起こることがすべてなのではないでしょうか。

よく絵は感覚的に描け、考えずに描け、とか言いますが
ただ絵を描くだけならそれで良いと思います。
でも、アートは常に進化しているので
アイデアがなければ模倣にしかなりません。





とすると、こんなこと書いてる私は何なんでしょうね。
イラストレーターと絵描きの中間であり、
絵描きとアーティストの中間
日本画家と水墨画家の中間でもあるわけで
辺縁に生きる者なりのアイデアを、絞り出していこうと思います。



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