Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

制作開始。

2015年05月13日 07時50分39秒 | 日記


抱えていた論文用イラストも終わり
制作の準備も整い
やっと絵を描き始めるところまでこぎ着けた。

イメージは4月中からずっとあって
開始できずにイライラしていた。

体調も左手以外はほぼ復活。

結局、絵を描いていなかったから不調だったのかも知れない。
わからない、どっちが先かは。

裏打ちの仕方が悪いとから教わるようにと
お世話になっている学芸員の方から日本画の作家さんを紹介された。

とても魅力のあるその作家さんの作品は
以前から知っていたので、直接話すことができて感激だ。
本人もとてもチャーミングな方だった。

2度ほどディスカッションをさせていただき
方法を全面見直すことに。

改善できたと思う。
大嫌いだった裏打ちの作業がとても楽になった。
コツもつかめたので、次はもっとうまくいくかもしれない。
いつも誰かに助けていただく。
いつもいつも感謝している。






頭の中には絵のイメージが、おぼろげだけれどハッキリあって
というか、放置している間
だんだんはっきりしてくるような気がして、それが怖かった。

妄想は膨らむのだ。

描きもせずに膨らんてしまった妄想を、
そのまま描くのは、実は大嫌い。
描きながら生まれた妄想がいい、というかそれはもう
妄想ではないのだけれど。

だから行動せずに頭ばかりが先行することは恐ろしい。
素直に行動していれば必ず頭がついてこられない事態に遭遇する。

「説明不可能な事態」あるいは「破綻」?

それはチャンス。


この「説明不可能な事態」を絵の中で説明しない。

今までは、この事態が起こるとそれは
自分が未熟なせいだと考えていたので、
そこから何とか脱しようと大暴れしていた。
結果、画面が言い訳がましさで一杯になっていたと思う。


「説明不可能な事態」は実は解決すべき問題でもないと
今なら思える。

その事態をそのまま、ありのまま画面に残すものとしたい。

また、そのなかば偶然の破綻を最初から狙って描くのも違う。
それだと仕組まれた必然になってしまう。

「世の中の偶然は全て必然なのよ」と言い放った人がいたが
なんて浅はかな、嫌な考え方だろう、と思った。


ただただ自然に描いて、出くわす問題に素直に向き合い
その偶然がそのまま画面に残るのがいいのだけど…
まあ難しいですね。

こういうことを書くと、ブログは読んでもらえないんですよ。



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