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Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

亀井三千代 HP/Michiyo Kamei official web site 

https://michika-6.wixsite.com/michiyokamei

ベルリン・天使の詩

2016年05月02日 10時29分11秒 | 映画


夕方の川崎大師
せめて歩かなくてはと散歩しました。

引きこもり、
読書、片付け、プラン立てなど充電中でした。

こんなことばかりしていると肥えてしまう。

それに、こんな本を読んでも
話に付き合ってくれる相手もいない

まぁ、仕方がありません。







録画してあった映画を観る。
ベルリン・天使の詩」(Der Himmel über Berlin 1987、Wim Wenders 仏・西独)
これは20代の頃、映画館に観に行った思い出深い作品…
のはずでしたが、ほとんど忘れていました。

ストーリー
霊的存在(無限)の天使ダミエル(ブルーノ・ガンツ Bruno Ganz)は有限である人間に憧れる。

とうとう天使をやめて人間になり、天使時代から恋い焦がれていた女性と結ばれる
「ラブストーリー」ですが、
ラブストーリーというには、あまりにも詩的で重厚
人間の本質(本質という言葉をわかったように使うのは大嫌いですが、この場合は適切か)に
触れんばかりの作品…でも名画とは、そもそもそういうものかもしれません。


映像
モノクロとカラーとの二重構造

モノクロは天使側の視線、カラーは人間の世界を表している。

物語前半(天使が人間になるまで)
天使は日がな一日、ベルリンで抑圧されたの人々の、夢も希望もない心のつぶやきに耳を傾ける。
多くの人間のあきらめに満ちた言葉が延々と続くそれは
いわば心のぬすみ聞きというか、透明化されて神さまにお見通しなわけです。

そこに、「子供は子供だったころ…」ではじまる 天使の詩* が時折挿入されて全体を繋いでいきます。
思えば、この頃のドイツは自由化のデモが頻繁に起こり
東西の歴史的な統一前夜のマグマを抱えた時期だったのですね。
ミハイル・ゴルバチョフ/ペレストロイカ)参

物語後半
そんな天使に飽き飽きしたダミエルが人間になり、そこから色彩に満ちた世界が始まる。

背後には今はもうない、ベルリンの壁
初めて人間と会話をかわすダミエル(左)


映画公開の二年後には壁が崩壊
結果論ですが、何か預言的な映画に思えます。
天使と人間の次元を超えた恋愛を
東西に分断された人々の再会になぞらえることもできるわけで…
というのは深読みしすぎでしょうか。





ところで
この映画を初めて見た当時は
ダミエル役のブルーノ・ガンツ
20代の私にはおじさんすぎて、
このラブストーリーにどうしても感情移入できなかった(笑)
ヴェンダースは当時人気の監督だったが
私には、微妙な作品として記憶に残っていました。

今この作品を、とても面白く鑑賞できるということは
私も歳をとったということですね。
天使のおじさんも、今ならとても魅力的に見えます!

(余談ですが、自分にとっての天使は誰だったんだろう、
なんて考えたりもする。そうすると、あの人も天使だ、この人も天使だ、
と天使だらけだったりする・笑。幸せなことです)

*「ベルリン・天使の詩」 わらべうた 原詞 ペーター・ハントケ Peter Handke
第1章

子供は子供だった頃
腕をブラブラさせ
小川は川になれ 川は河になれ
水たまりは海になれ と思った
子供は子供だった頃
自分が子供とは知らず
すべてに魂があり 魂はひとつと思った
子供は子供だった頃
なにも考えず 癖もなにもなく
あぐらをかいたり とびはねたり
小さな頭に 大きなつむじ
カメラを向けても 知らぬ顔 

第2章
子供は子供だった頃
いつも不思議だった
なぜ 僕は僕で 君でない?
なぜ 僕はここにいて そこにいない?
時の始まりは いつ?
宇宙の果ては どこ?
この世で生きるのは ただの夢
見るもの 聞くもの 嗅ぐものは
この世の前の世の幻
悪があるって ほんと?
いったい どんなだった
僕が僕になる前は?
僕が僕でなくなった後
いったい僕は 何になる?

第3章
子供は子供だった頃
ほうれん草や豆やライスが苦手だった
カリフラワーも
今は平気で食べる
どんどん食べる
子供は子供だった頃
一度は他所(よそ)の家で目覚めた
今は いつもだ
昔は沢山の人が美しく見えた
今はそう見えたら僥倖
昔は はっきりと
天国が見えた
今はぼんやりと予感するだけ
昔は虚無におびえる
子供は子供だった頃
遊びに熱中した
あの熱中は今は
自分の仕事に 追われる時だけ

第4章
子供は子供だった頃
リンゴとパンを 食べてればよかった
今だってそうだ
子供は子供だった頃
ブルーベリーが いっぱい降ってきた
今だってそう
胡桃を食べて 舌を荒らした
それも今も同じ
山に登る度に もっと高い山に憧れ
町に行く度に もっと大きな町に憧れた
今だってそうだ
木に登り サクランボを摘んで
得意になったのも 今も同じ
やたらと人見知りをした
今も人見知り
初雪が待ち遠しかった
今だってそう
子供は子供だった頃
樹をめがけて 槍投げをした
ささった槍は 今も揺れてる 
(日本語版字幕より)


捕獲

2015年12月18日 08時07分14秒 | 映画


何が描かれているのか分からないと思いますが、
この段階がたまらない。

いろんなものが見えてきます。

核となるものが見えたら
消えないうちに捕らえて紙の表面に押し込めます。

走り去るものを全速力で追いかける
そんな感じの作業です。

疾走、という言葉がぴったりだと思うのですが
というか普通に座って描いてるんですけど
そんな時、
ふと気がつくと口が開きっぱなしになっている(笑)

完全口呼吸です。

絵かきが絵を描いてるときって
普通はかっこいいのかなぁ…

床に倒した画面に四つん這いになりながら
筆は口にくわえて、なんてとてもかっこよさそうだけど
私には関係ないですね。





録画してあった
サム・ライミの「スペル」(Drag Me to Hell 2009 米)を見る。
もちろんベタベタのB級ホラーです。
子供の頃「死霊のはらわた」シリーズは大好きだった。
その頃のぶっとんだスピード感が健在で、何だかとても懐かしい。

口から口へ流しこむ
口へ突っ込む
口から出てくる、などなど
見ていて時々おえっとなる
「口」が常に見せ場のポイントだったと思います。

悪霊のおばあさんが
汚い入れ歯を外したり はめたりするシーンが
生々しくてキビシ~(@_@;)


で、その悪霊と、戦う美女の顔と顔が
常にありえないほど近すぎで
(だから口から口へ、となるんだけど)

あまりの接近戦の無茶苦茶さに、時々大声で笑いたくなります。
恐怖と滑稽は紙一重なんですね!

まあ、とにかく口は一番無防備な身体への入口ですよ。

何かが入り込まないよう
気をつけたいと思います…



Drag Me to Hell


『地獄の黙示録』見る

2015年08月18日 14時10分15秒 | 映画

8月14日の夜にBSでやっていた
「地獄の黙示録」を録画した。

溜まっていたアイロンがけをしながら見ることにした。
見終わる頃に、ちょうどアイロンがけも終わった
ということは、2時間半分も溜めていたということで
その量に驚きだ…

それはさておき
子供の頃に父に連れられて
私よりもっと幼かった弟と
3人で一緒に見たのを覚えている。
というか、父が見たかったんだろうなぁ。
私は、ほとんどちんぷんかんぷんで途中寝たかもしれない(笑)

音楽は記憶に残っていて
ドアーズとワーグナー、ヘリコプターの音。

その後もワーグナーを聴くと
ヘリの編隊を思い出すほど
音と画像の記憶は強固だと思う。





ところで
今見ると、ストーリーは単純だ。
欺瞞に満ちたダメ上層部にたてつく天才危険因子を抹殺せよ、
というシンプルな指令を受けた第三者の体験する
舟版ロードムービーといった感じもある。
川旅の先々であらゆる地獄に遭遇する。

戦場の狂気は、テレビで見ていても震えが来るほどで
人間のバカさ加減とわずかな尊厳と
でもどこまでいっても人間でしかないこの人間…
「ありえない」とは思えないから私の中にもあるのでしょう。
私もこの愚かな人間の一人でしかないんですね(;。;)

特に、「恐怖」の描かれ方オンパレードで
こんな恐怖もあるのか、あんな恐怖もあるのかと…
見ているうちに「恐怖」を利用して人を支配するやり方って
現在の日本にだってあるわい、と、こうなる。

終盤カーツ大佐が繰り返す「恐怖には顔がある」という台詞

どんな顔なんだ!と思いつつ
映画を見終わると何となく分かっていることに気づきます。

あ~やだやだ、うっかり洗脳されそうだ。
ほんとに凄い映画です!
ちんぷんかんぷんな
記憶が塗り替えられて良かったです。
(特に名シーンの、沼からぬーっと出てくる人、あれをずっとカーツ大佐だと
思い違いをしていました・笑。修正できて良かったです(^_^;)

地獄の黙示録』( Apocalypse Now)1979 米 フランシス・フォード・コッポラ
http://www.bing.com/videos/search?q=%e5%9c%b0%e7%8d%84%e3%81%ae%e9%bb%99%e7%a4%ba%e9%8c%b2&qpvt=%e5%9c%b0%e7%8d%84%e3%81%ae%e9%bb%99%e7%a4%ba%e5%bb%8a&FORM=VDRE#view=detail&mid=920EEB13C3A114A1C13A920EEB13C3A114A1C13A


インターステラー 観る

2015年06月05日 14時07分00秒 | 映画



ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」という論文の中に

映画がいかに人を洗脳しやすいものか、それが絵画の比ではなくて
ゆえにプロパガンダに利用もされてきた云々…

DVDで「ニンフォマニアック1,2」と「インターステラー」* を観た。

「ニンフォマニアック1,2」はこれは決してポルノではなくて
大まじめに「性」と「依存症」に向き合った映画。
(借りるときはちょっと微妙)

監督はラース・フォン・トリアー 
この映画の宣伝があまりにもポルノを強調しすぎではないでしょうか。
日本では、メジャーなヒット映画にはなりえないかもしれませんが
人のダークで滑稽な一面が、時々挟まれる神秘的な映像に裏打ちされながら進行
5時間はあっという間です。
苦悩に満ちた美しい映像詩だと思います。

「インターステラー」は2度観てしまったが
2度目は筋がわかっているため、はじめからほぼ涙目で(笑)

というのは、筋があまりにも奇天烈すぎて
1度目は面食らうストーリー展開についていくのがやっとだった。
宇宙のことを考えるのは好きで
多次元、ワームホール、ブラックホール、時空のゆがみなど
興味があり本も読んだが難解で、
それが力わざで映像化されている。
だから正直無理があるなぁと思いつつも
(ドラえもんの机の引き出し的な)
これは凄い先取りで
将来はあり得ると思えてくる
壮大な地球脱出劇です。

筋的には、地球からの脱出なんだけど
別の見方では「愛ある者の勝利」

「ニンフォマニアック」の方は愛なんか、こっぱみじんにしていますが

結局どちらも愛がテーマなのかもしれません。
愛はどこにでも忍び込んでくるんだなぁ…

*インターステラー http://wwws.warnerbros.co.jp/interstellar/


ウィルソン考ーキャスト・アウェイ

2014年05月28日 09時26分34秒 | 映画


この人の名はウィルソン。

録画してあった映画
「キャスト・アウェイ」* を見る。

飛行機事故に遭った男(トム・ハンクス)が
無人島に流れ着き
4年間そこで生活をして無事生還するという話。

4年の間に、国ではもちろん死んだことになっており
死体のないまま葬式も済み
恋人は結婚、出産していた…

が、そんなことは全くどうでもよくて
この映画の一番の見所は
無人島で、どう生き抜くかというところ。

島に一人しかいない、ので
まず台詞が極端に少ない。
ほとんど、無声映画というか
トム・ハンクスがジェスチャーで見せてきます。
波の音と、作業の音ばかり。

何の作業かというと
まず、あたりを散策し、食べ物と住居を探す。
食べるために、石を割ってナイフを作る。
そのナイフを利用して狩猟をし
そして火をおこすが…

うまく火がつかなくて、
手に怪我をおい、癇癪をおこす。
一緒に流れ着いたバレーボールに八つ当たりをしたところ
ボールに血の手形がついて
何故かそこに
丁寧に、丁寧に顔を描いてしまう。ウィルソン誕生。

というか、目鼻口を描いただけなんですけどね

もちろん、子供向けファンタジーではないから
ボールが話し出したりはしません。

で、ウィルソンがそばにあるというだけで
ウィルソンを見つめ(ウィルソンも見ている)
ウィルソンに話しかけ(ウィルソンも返事をしている)
住居である洞穴の壁に手形をばんばんつけて、ウィルソンの顔を描きまくります。

ボールが唯一の他者になり、
友人、神、自分を映す鏡にもなる。
それは生きていなくてもいいらしい
顔がそばにあるだけで、人は孤独から逃れることができるのか

人間が初めて洞窟に絵を描いた、
その動機はわからないけど
この映画を観ていると
何もないところから、生きること
そのプロセスを再体験することが出来る気がします。

4年後のウィルソン。

髪の毛?がはえています(笑)

トム・ハンクスはほとんど原始人みたいになっていて
台詞も爆発的に増えて
というか、全て独り言なんですけどね
ウィルソンと普通に喧嘩をしたり、仲直りしたり
脱出計画を相談したりします。

映画が描きたかったことは
もっと違うとこにあると思う。
人生について教えるところも多いのでしょうけど

私にとっては
ウィルソンとトム・ハンクスとの関係が
一番の見所でした。

当たり前のことですが
人間が複雑な精神を持った動物だってことが
実感できます。

是非観て下さい。

*キャスト・アウェイ(cast away 2000)

http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id162818/



インビクタス/負けざる者たち

2014年04月27日 05時58分06秒 | 映画


昨年12月
ネルソン・マンデラ氏が亡くなったすぐ後に
テレビ東京の午後のロードショーで
「インビクタス」* が放映された。

録画してあったのを
最近やっと見た。

クリント・イーストストウッドが監督
マンデラ役をモーガン・フリーマン
ラグビーチーム「スプリングボクス」の主将をマット・デイモン



この映画のタイトル「インビクタス」は
英国の詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの同名の詩より用いられた。
この詩は獄中、マンデラ氏が支えとしていたといわれている。
劇中でも読まれているので、紹介したい。


「インビクタス」
夜より出でて私を覆う
奈落のごとき漆黒の闇
どんな神であれ感謝する
征服されざる我が魂に

過酷の魔の手に落ちてなお
私はひるみも叫びもしなかった
運命に打ちのめされ
こうべが血にまみれようと決して屈しまい

怒りと涙つきぬこの地のかなた
死の影が恐怖をほのめかす
だが幾としつき脅威にさらされようとも
私は何一つとしておそれはしない

その門がいかに狭くとも
いかなる苦しみをおおうことになろうとも
私が我が運命の支配者
我が魂の指揮官なのだ

Invictus、2009
http://wwws.warnerbros.co.jp/invictus/#/synopsis


「ハンナ・アーレント」観る

2014年01月31日 08時38分23秒 | 映画


制作から離れられなくなり
良くない状態に陥っている、と感じる。

こんな時、
視野がどんどん狭くなり
そのことしか考えられなくなり
画面に対しても細かい部分しか見えなくなって…

その状態から自分を引き離すのはとても難しい。

昨日は
絵のためにも
もう家にいてはいけないと感じ
前々から気になっていた映画を見に行こうかと…
見に行こうかと思ったが

午後から雨
家を出るまで何十分も うろうろ迷う。

というか、原因は雨ではなく
自分を作品から引き離すのが困難なのだ。

しまいには、そんな自分に嫌気がさして
思い切って外出
外出することができました。

気になっていた映画は
「ハンナ・アーレント」*

描かれている要素がてんこ盛りで
一言で感想なんて書けない。
決して過去に他国で起きたこと、なんて
突き放して見ることはできません。
これはものすごく身近な問題です。

ユダヤ人感情を逆なでした記事を書き
大バッシングを受けてなお、毅然として持論を撤回しない強さは
その人格の強さではなく
「思考する」ことの強さだと思う

同時にどれだけかみ砕いて説明しても
対する聞き手の反感(感情)が強いとき
感情に邪魔をされて理解不能になる、それも人間。

理解不能は硬直
それを動かすのは思考
そして「思考は知識ではない」と繰り返し語られる。

絵画も思考の場であるはず




* もうすぐ終わっちゃう、お見逃しなく。
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/

Hannah Arendt
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88


関連事項

アドルフ・アイヒマン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%92%E3%83%9E%E3%83%B3

ミルグラム実験
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%AE%9F%E9%A8%93