新型コロナウイルスは、この1年間で私たちの研修や学習のもち方を大きく変えました。
たとえば、講演会やライブがオンラインで行われるようになったのは大きな変化です。
教職員の研修会もオンラインで行うことが増えました。
私は、教員、校長時代にたくさんの研修に出席しました。
とくに教職に就いて16年目以降は、学校全体や箕面市の教育全体の仕事にかかわっていたので、たくさんの研修会や連絡会議に参加することが多くありました。
それらは関係者を一堂に集めて校外で行われていたので、出かける機会も多くありました。
いまも、教職に関係する研修会や講演会に参加しますが、その多くが「リモート」や「オンライン」で行われるので、会場に出かけることがぐっと減りました。
テレワークは、研修講師と受講者が離れていても、画面上で研修を受けることを可能にしました。
また、一方的に講師の先生の話を聴くだけでなく、Zoomの「チャット機能」で質問ができます。
研修会の中で、参加者同士が意見を交流しあうグループ活動も、Zoomの「ブレイクアウト・セッション」を活用すれば一定程度の話し合いはできます。
今まで、会場を往復する多くの時間と交通費を使っていたのが、何だったのだろうと思います。
このように、新型コロナウイルスは、研修会や講演会では、参加者を一つの会場に集める、研修を受ける者はみんなが参集するものものという固定的な考えをみごとに覆したのでした。
しかしながら、便利になればなるほど、「遠隔」では難しいことがあることもはっきりとしてきました。
たとえば、いま合唱や合奏は感染防止のため、制限されていますが、学校の合唱コンクール・合唱発表会や演奏会では、「遠隔」には限界があります。
音楽は、場所・空間を発表側・演奏側と聞く人(児童生徒、保護者等)が共にすることと、それに思いを寄せることで成立します。
わたしには、先日、このことに気づく機会がありました。
卒業生が、プロの吹奏楽団に入り、人数を減らした有観客でコンサートをしたので行ったときに、その思いを強くしました。
演奏者の発する音が、その場の空間で聴く人に受け取られて変化するという「想像」のなかに、音楽が位置づくという感覚は、なにものにも代えがたいのです。
オンラインで演奏や合唱をやった後の演奏家や歌い手がどういう状態になるかを考えてみればよくわかるのではないでしょうか。
発表後、鳴りやまない拍手や声援がない中で、発表者はどんな気持ちになるでしょうか。どことなくむなしく、いたたまれないような気持ちになるのではないでしょうか。
すぐれた演奏家であっても、広い大野原で演奏したら、青い大空、大自然に吸い込まれてしまい、音はほとんど響かないのです。
ホールや体育館という建物があり、目の前には聴く人がいる。これが音楽を発表する側が渇望するシチュエーションなのだと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます