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広い大都会の中に住んでいる人にすれば、自分の街や地域の身近な変化には気がつきます。
新しいお店ができた。
きのうはつぼみだった道端の花が今日は開いた。
行きつけのパン屋さんで、新しいパンを売るようになった。
しかし、その大都会全体の変化やどう動いているのかには気がつきません。
それと同じことが今の社会では起きているのではないでしょうか。
ウクライナで戦争が起こっています。
病院の地下に敵の主要な施設があると報じられても、それを探し当てるための情報など、私たちには、手の届かない「遠い世界」のことです。
私たちにあるのは、世界がこの軍事侵攻をストップできていない。
あるのは、その事実だけです。
そのような、全体や全体の動きが見えなくなっているのは、つまり鳥の目のように全体を俯瞰して見るということは困難になっているということです。
できているのは、虫の目のように近くを見ることだけです。
災害や戦争が起きたら、他人事と思わず自分がその身になったとして、想像力をはたらかせる。
つまり自分に引きつけることは平和を願う際の基本として、よく言われます。
しかしできるのは、せめて起きている事実を正確に把握することではないでしょうか。
自分に引き寄せるのではなく、離れて客観的に事実を正しく見ることが必要だとも言えます。
気の毒とか悲惨だという感情をあえて外してものごとを見ることが、今の時代、全体がわからなくなる時代には、求められるのかもしれません。
災難に苦しむ人の思いに共感してと言われますが、当事者にはなりきれないのです。
社会の動き全体がわからなくなる今だからこそ、そのことを冷静に理解して、その理解のうえに公正に中立の立場に立ち、自分がどう思うかを軸にして意見をもち、行動することがいまという時代には必要なのでしょう。
そして、できるだけ「鳥の目」を駆使して、同時に水の流れがどこに向いているかという「魚の目」も持ちたいのです。
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