銀の人魚の海

日々の思いを好きに書いています。映画、海外ドラマ、音楽、本。
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PASSION ★★

2024-06-24 | wowow鑑賞19年6月から た行~は行

08年日本。濱口竜介監督。つまらない。

カンヌで賞など、これまでにない演出は認める。

実験的映画か・・

「ドライブ~」もつまらなかったので、

この監督とは合わないと知る。

wikiにある、父が官僚、うん。そんな感じもする。

父の仕事でイランに3年は珍しい。父が大使館勤務だった。

黒沢清「スパイの妻」ホンを担当、これもつまらなかった。

本作は芸大制作の院修了作。低予算。即興性。

芸大院までの経済力、好きなことができる環境があった。

5人の男女が、好きだ嫌いだ、急に結婚するなど

ごちゃごちゃ話していく物語。時代に反し、喫煙が多い。

演劇の方が似合う。ほぼセリフ劇、

セリフが理屈っぽく全く笑えず、あきる。

「典型的なB型気質」というまじなセリフで、あきれた。

血液と性格は関係ない。

音楽はガーシュウィン、2曲。2時間、寝ないでみられるか・・

今後、どんな映画を撮るか・・47歳。

1978年12月16日神奈川県川崎市に生まれる[4][5]

父は建設官僚国土技術政策総合研究所所長などを務めた濱口達男。

祖父は洋画家の浜口喬夫[6]

祖父・喬夫の叔母・寛子は寺田寅彦の二番目の妻にあたる

父親の仕事の関係で幼少期は転校が多く、3歳から5歳までイランで過ごしている[11][12]

千葉県立東葛飾高等学校を経て東京大学文科三類に入学した当初は映画への関心はなく、

当時総長を務めていた蓮實重彦が映画批評の分野で重きをなしたことも全く知らな

かったという[12]。しかし、映画研究会に所属すると急速に映画に傾倒し

文学部では美学芸術学研究室に進学[12]。この頃から8ミリフィルムで自主製作映画を撮り始めている[13]


熱いと献立が・・

2024-06-24 | 日々の雑感

東京、12時前に、30度超えていたと思う。

湿度も57%。これが30%くらいならな~

昨日より9度上昇。30度近いと、ずっと窓を開けていない。

6月から真夏になってきた。都心部は4末~10月半ばまでが夏。

毎日ではないが、就寝時、冷房を使用するから。半年。

世界は沸騰期に入っていると読んだ(笑)

インドで51度。

熱い日の献立、オーブンは使えない。

なるべく熱くなくできるように・・

ただでさえ、考える力がいるのに。

これも頭の訓練になるか・・一人暮らしの方、

熱い時こそ、アルコールは減らし、

しっかり栄養をとろう。

アルコールは脱水するので飲んだ分だけ、

水分をとらないと体に熱が残る。

 


最後の日は自分で決める 安楽死のない国で

2024-06-24 | ドキュメンタリー NNN、Nスぺ、ガイア、BS世界のドキュメンタリー~など

BSフジ放映。右寄りTV会社。縁故入社8割(笑)

よくこれを放映と思う。

1時間40分くらい。前にNNNドキュメントでも、安楽死は見ている。

スイスが世界で一番安楽死制度を法律化している。

NNNもスイスだった。

1942年合法化され、85%が容認。

2%が安楽死を選択。

いくつか条件ももちろんある。

日本では、90年頃だったか、自殺ほう助罪の医師、その他4件くらい

医師が罪に問われている。難しい問題だ。

世界で安楽死容認は、スイス、オランダ、ベルギー、オーストリア

オーストラリア、スペイン、ドイツ、カナダ、一部のアメリカ

ニュージーランドなど。

北欧が入っていないのは意外だった。

放映では日本人、4人くらいの人が出る。

ある女性、二人の子供、小学生、高校生。夫。

仲良く暮らしているが、子宮頸がんが体中に転移し、治療がもうできない。

痛みもあり目も片目は見えない。家事ができない。

夫に話し、スイスでの死を希望。

子供たちにも、よく話し納得してくれた。

スイスに夫と行き、安楽死した。

子供たちが強かった。2人、娘たち。中学受験、大学受験を控えていた。

ママともに多数の手紙をかいた。

なくなり、おわかれの会で

ママ友から、二人を見守っていくと娘たちは言われた。

夫ははじめは驚きだったが、医師の診断も通り

まだ若いが、死を待つだけの人生なら、妻の気持ちを尊重した。

一人暮らし、都内の女性、離婚、子供はいない?

パーキンソン病がひどくなり、一人での生活ができない。

医師も全くわかってくれない。薬も効かない。

スイスへ行くことだけが頭にある。

レマン湖で散骨。ある日、取材が途切れた。

他の医師に書いてもらい亡くなっていた。

希望通り、レマン湖に散骨された。

男性、難病、外見は普通。40代。

80代の母と二人暮らし。東北か?

スイスの安楽死を思い調べていた。同居していないが、

外国人のパートナーがいて、電話で話している。

はじめはもう苦しい、安楽死をと思った。

パートナーは反対。母ももちろん反対。

彼は考え、新しい治療法を試していくことにした。

他に、外国の女性80代も映った。

シャンパンを家族でのみ、お祝いのような安楽死。

スタッフの様子なども映る。

NNNドキュメントは前だった。

今は、ここまで海外の人も安楽死を選択していた。

スイス最大のNPO法人エグジッド。3万人の会員がいる。

日に電話が50本かかることもあり、

明日安楽死したいなど、急なこともある。

書類4通くらいと、注射1本だから可能。

ゴダールはレマン湖の近くに住み

この方法での安楽死と思う。

つらい日々を老衰まで待て、といえるのは元気な人だけ。

安楽死論は日本ではおきそうもない。

生があるなら、死もある。