銀の人魚の海

日々の思いを好きに書いています。映画、海外ドラマ、音楽、本。
スヌーピー、ペコ、NICI、雑貨グッズ画像。

能登の仮設住宅 瓦屋根

2024-05-13 | 2024年能登地震

能登は壊れた各住宅の撤去作業も、なかなか進まない。

理由はいくつかある。

ボランティア、GWには学生がきていた。

田舎では、皆一緒が生きる道(笑)、

あのお家だけ、綺麗になっているは、タブーなのだろう。

遅れる理由は心にもあるのか・・

笑ってしまった。

今後の取り組み。

新築など重い瓦屋根をやめ軽いスレートに変えるとあった。

仮設住宅、TVで映ったのは瓦だった。

瓦も家の象徴がある地域(^_-)-☆

瓦に限らず、高い墓石、⛩、石製の灯籠など。

都内には多くはないが、地震がきて、石グッズのそばにいたら、

まず逃げよう。


能登の今は

2024-04-19 | 2024年能登地震

大竹まことゴールデンラジオ、青木氏の話。

能登へ、2回目、行った。3か月半経過。

「はっきりいうと変わってない。ひどい状態。

ツナミではないので、個人所有物を勝手に片付けることは

できないにしても、何も変わっていない。そのまま。

ボランティアが、ほぼ入っていない。」

片づけてあった家の人はボランティアにしてもらったというが

それを言えない感じがある。

ボランティアが来にくくなっている。

~何だかな~朝イチ再開のニュースはあるが、

現実はそうなのだろう。

発生時、あの馳知事か・・

対応遅く無理と感じた通りになっている。

多分、田舎の風習、一目を気にし、世間体も。

あの家だけ綺麗にはダメ。噂にならないように、こっそりと。

都市部の地震、災害と違うことを考えた。

暑い夏になる前に早く撤去作業を追えないと

衛生面など他の問題もでてきそう。

被災者も、知事、自治体に要望をドンドン言えばいい。

人手が足りないもある。自治体も国へ要望をだそう。

 

 


能登 ハイカラな夕食

2024-02-19 | 2024年能登地震

まだ断水が継続地域もある。

土を掘っての普通配管は時間がかかるので

道路の上に管を出す方法で作業をしていた。

水だけが遅れている。

夕刊。「食がつなぐ能登の明日」

各地域の食事風景写真。一般家庭もあった。

珠洲市横山地区では地域の食材、支援物資で、

発生直後から温かい食事を食べていた。20人くらい。

「力」になった。高齢者が多い。

情報交換のため夜だけ炊き出しを継続。

夕食は、ミートソースパスタ、ほうれん草のポタージュ。

高齢女性は「ハイカラな味で初めて食べる」1月18日

~そうなのね。パスタ自体もほとんど食べていないのかな・・

かなり量があるパスタ。果物も。皆、毛糸帽子をかぶり

2つのテーブルで食べている。

灯油ストーブの上にはやかんが。


132年分

2024-02-08 | 2024年能登地震

珠洲市のごみは132年分になる。これほど多いとは。

元々、小さい市、この地地域では一番多い。

全壊が多く古い家も多かったのだろう。

自力での片づけは到底無理。

ケガをすることもある。

能登地震のTVはできるだけ録画でみている。

近くの仲間とビニールハウスなど自分たちの避難所が

意外と多い。

物資は届きにくいが、さすがにもう1か月以上。

届くようになっている。

公式避難所ではないので、そこへ運ぶ手間も増える。

もう能登を去る、と言う決断が早い高齢者もいる。

絶対動きたくない、と言う人が多いか?

気持ちはわからなくはないが、健康を考え、

お金があれば、半年でもどこか近い場所に移動が

身体にはいい。病院体制も限界に近い。

職員が辞め、他地域への住み替えで

勤務ができない。介護施設も同様。

地域の情報を知っていけば

短期間の移動はできると思う。

それそれ家族の事情があり違う。

より良い方法を選択する時はきている。

仮設住宅も何世帯か入居した。

県外になることもある。


石灯籠での死

2024-02-03 | 2024年能登地震

夕刊掲載。能登は07年3月、震度6の地震。

覚えていない。輪島市在住、Mさんはこの地震で

町で唯一の死者になった妻を亡くした。

なんと、庭の石灯籠が胸にあたりが死因。

こんなこともある。

今回も判定で家は「危険」仏壇も倒れたとある。

石の門、お墓、⛩、塀など全て危ない。

亡き西村賢太、もうすぐ1周期のお墓も倒壊していた。

お墓を低くしよう。庭に高い石をおかない。

都心では普通ないが、地方だと気にせず設置、

家族がその石で死ぬは、あってはならないと感じた。


苗字

2024-02-02 | 2024年能登地震

能登地震の記事を読んでいて、地震とは関係ないこと。

発生時の様子が書かれ苗字が変わっている、余りない方が多い。

全て覚えていないが、道貫、惣頒、保蔵、外、谷内下、車多など。

どう読めばいいのか・・海がつく苗字もあった。

読めない方も。

地方独特で地域での意味がある姓なのだろう。


集団避難 三宅島

2024-01-21 | 2024年能登地震

能登地震で生徒たちが、避難した。

250名以上。春までの予定。

忘れていたが、新聞に掲載された。

三宅島でも学生集団避難があった。

00年の噴火で8月から350名が避難。

都立秋川高校へ。

早ければ年内と思っていたが何と4年半!

泣き出す小学生もいて、皆ストレスがたまった。

転校した生徒もいた。

当時の教師は「がんばりすぎないこと」

能登の学生さんたち。

今、どうしているか・・少しずつ慣れていこう。


水道管耐震適合率 石川県平均以下

2024-01-18 | 2024年能登地震

断水が継続中。新聞にすべて復旧は年単位ともあった。

けさの羽鳥さん。

水道管を新しいものへの交換率。

都道府県が図でのった。東京が1位68%くらいだったか

2が神奈川。

石川県は平均以下で30%代だったか・・低かった。

傷みが多い所にきた大地震。

自治体に予算があるかどうかによる。

わが区はお金があり、たまに、水道管大工事をしている。

見た時、こんな方法なのか・・と。

全国的に小さい町、村、過疎地化増加、

どこまでできるかが問題。国から支援はないのか・・

地震が増えている事が一番の災難。

地震、火山爆発のない国、いいなと思う。

地震で新年、ウィーンフィルの放映が延期になった。

録画でみたが、ほぼ地震のないヨーロッパ地域、

ゆとりある新年のライブだった。

地震はいつくるかわからないことが、一番恐怖。

東日本大震災、能登も千年、2千年に1度というが、

真実はわからない。


災害の備え

2024-01-18 | 2024年能登地震

15日の投書、声に、和歌山の主婦、61歳。

「29年前、家が大きく揺れ、3人の幼い子がいても何も備えはなかった。

以来、保存食、水、着替え。枕元に置き家具も固定した。

~必要な物も変化した。

家に入れない事も考え、屋外の倉庫にも準備。

テントなど大掛かりな物も加えた。

食べ物のストックも必須。5年ごとの交換も忘れない。

~70年前の紀州大水害では1つの集落が消えたそう。防災を見直そう、

ぜひ、備えを」

全くこの通り。

うちは屋外には備えてないが、

テントを買おうかと思ったことは

何回もあるが、まだ。

この家がつぶれるようでは、車のない車庫にも置けない。

1~3階に、大き目リュックに色々入れおいてある。

老眼鏡も必須に。飲料は箱で買い、分けて置き

期限を大きく書いておく。少しすぎても大丈夫。

その頃飲み、足す。少し場所がないとできない。

地方、一軒家ならできる。費用もいざと言う時、必要と思えば

出せる。ギリギリの生活では無理だが・・

備えが個人であれば、行政の手も他に回せる。

日本はもう、どこで地震が起きるか誰もわからない。


29年 250名

2024-01-17 | 2024年能登地震

阪神淡路大震災から29年。

あの地震で、高速道路上のバスが今にも転落の写真を覚えている。

そして能登では、250名の学生が今朝、白山市へ避難した。

戦争中の学童疎開のようだと感じた。

災害だが戦争に近いような・・

政治も多々おかしい。

親子ともに考え決断した。長いと2か月位。

そこで新しい友人もできるかもしれない。

寒い時期は続く。元気でと思う。

 


備蓄の大切さ どの地域でも日本人の義務

2024-01-16 | 2024年能登地震

地震関連、まだまだ続きそう。カテゴリーを作った。

何もかも遅い事を、ニュースで改めて知った。

新聞に完全復旧は年単位とある。

災害系学者だったか・・

石川県全体の備蓄があまりに少なすぎた。

前にも書き素人がみてもそう感じた。

近年地震が増加している地域。

全くなかったならまだわかるが、

森喜朗、安倍にべったりの身体だけ大きい馳知事、

政府の責任は大きい。自治体も。

運悪く一番寒い時期に断水、停電、飲料、食品

毛布もない。3日食事も一人分もない状態。

元から孤立集落もある半島。

熊本地震と比較。被災者2万4千人位だったか?

死者は270人位。

仮設住宅の着工、自衛隊のお風呂設置も、

熊本よりかなり遅い。地震規模が能登より大きかった?

熊本も2回目が大きかった。上が動いてない。

さらに住民の意識が低いのか?

家での備蓄がないと買い物へ。

もちろん家が全壊、中から取れない人も多数だろうが

住めて、もう水がない、食品がない。

2日位でか・・今後しっかり備蓄をと思った。

投書に和歌山の方の備蓄歴が出ていたので、また。


被災地 新聞は大事

2024-01-16 | 2024年能登地震

昨日の羽鳥さん。

孤立被災地、集落では情報がない。インフラ系

電気、ネット、電話など全くない状態が長い。

地元新聞店店主が一人で、雪道を歩いて配っていた。

車ではゆっくり。

みな、楽しみに待っている。無料とのこと。

中日新聞。水給水場、食品配布なども詳しく掲載。

新聞は情報だけでなく、身体を包めば温かくなる。

子どもには遊びの紙になる。

外で寒ければ燃やせばいい。読む、意外にも使用が多数。

新聞、資源ごみにすべては出していない。とってある。

店主さん、厳寒期、ごくろうさま。


西村賢太のお墓 言葉がない 七尾 西光寺

2024-01-13 | 2024年能登地震

七尾のお墓、どうなっているのだろう?と思っていた。

画像はコピー不可、アップできなかった。

中日新聞で見られるかな~。

藤沢清造のお墓と2つ並んでいたが、全滅状態。

墓石文字も清造の書からとり、掘ってもらった。

高めの墓石が2つ倒れ、周りもメチャクチャ。来月3回忌になる。

〇2年前に54歳で急逝した芥川賞作家の西村賢太さんの墓がある
 
石川県七尾市小島町の西光寺が、
 
地震で深刻な被害を受けたことが分かった。寺の山門や墓、地蔵堂などが倒壊。
 
2月5日に三回忌の節目を迎えるが、復旧に向けた先行きは不透明だ。
 
あの日、高僧英淳住職(71)は寺で檀家(だんか)と話をしていた。
 
激しい揺れと津波警報に驚き、外に飛び出すと「ぼうぜんとした」。
 
築100年余りの本堂は形を保っていたが、土台がゆがみ、畳がめくれ上がっていた。
 
墓石は崩れ、もともとは七尾城の城門だったと伝わる山門もつぶれていた。
 
境内では、地元の七尾出身の作家、藤沢清造(1889~1932年)の墓もあり、
 
西村さんの墓と寄り添うように並んでいた。しかし、
2人の墓は地蔵堂に押しつぶされるような状態で横倒しに。
 
西村さんは藤沢の「没後弟子」を自任し、藤沢の月命日に七尾での墓参りを欠かさず、生前墓も建てていたが、無残な姿になった。
 
高僧住職は今、弟と避難所で過ごしながら、少しずつ寺の片付けを進める。「賢太さんの墓もつぶれてしまった。再建には3、4年かかるだろう」。
 
跡継ぎはいないが「あと10年くらいは長生きしないと。命があるだけありがたい」と前を向いた。