土曜日のゴンチチ、世界の快適音楽。
後半、サティの3つのジムノペディのアレンジ。
アコーディオンで。リシャール・ガリアーノ。
アコーディオンだけで、あの有名曲は珍しかった。
サティ。59歳で逝去。まだ生家が残っている。
ヨーロッパは地震、空襲、災害がないと残っている。
生涯未婚、アルコール依存症、肝臓悪化で死去。
〇仏: Éric Alfred Leslie Satie、1866年5月17日 - 1925年7月1日)は、フランスの作曲家。オンフルール生まれ、オンフルールおよびパリ育ち。
「音楽界の異端児」「音楽界の変わり者」の異名で知られる。ドビュッシーやラヴェルに影響を与えた。

1866年5月17日、海運業を営むアルフレッド・サティ (Alfred Satie)、とその妻のジェーン(Jane Satie、英語発音音写ではジェイン)
との子(長男)としてフランス第二帝政時のオンフルールに生まれる。
1870年、父は海運業を辞め、一家はパリに移住する。幼少期からエリックの家族はオンフルールとパリとの間を往き来していた。
1872年、母が亡くなり、エリックはオンフルールにある生家で暮らす父方の祖父母に預けられた。
それまでイギリス国教会の信者として育てられてきたエリックは、この時カトリックに改宗している。
パリ音楽院在学中、指導教授から才能が無いと否定され、1885年に2年半あまりで除籍になった。~~