昨日は震災関連ニュースなどが多かった。
下、ネット記事にある、絆、という言葉がトレンドになった気がする。
ミュージシャンが、絆、を歌えばそれが一番~
TVは視聴率だから絆でいこうと~なっていたかな~胡散臭い言葉、と私は思う。
簡単に絆、など使えない。愛、も簡単に使えないように。
大災害での混乱、混迷。パニック、記憶が途切れ解離症状がでることもある。
報道特集では、福島双葉町の現状を説明、町長が出て語る。
復興住宅を建設中、戻ってくる家族が多数いるか?そのお金は他に使えないのか?
反対意見もある中、進んでいる。ネット記事から・・石巻は火事がひどかった。
●「被災地」と呼ばれた東北のまちは今、どのような状況になっているのか。
また、あの時、どんな課題があったのか。
兵庫・丹波地域とも縁がある宮城県石巻市の
NPO法人「石巻復興支援ネットワーク」の兼子佳恵さん(50)は、
「『被災地』『被災者』という肩書から脱皮し、誰もが住んで良かったと思えるまちを目指しています」と言い、
「数え切れないほどの感謝がある一方で、決して美談ばかりじゃなかった。
~~同法人の活動と率直な思いを聞いた。
市町村別では最も多い約3500人が命を落とし、
行方不明の人は今もなお400人を超える。
同法人は震災が起きた2011年の12月に設立。メンバーは子育て中の地元の女性たち。
何かの専門家でもない「普通」のお母さんだ。そして、自らも被災していた。
母親たちはなぜ団体を立ち上げたのか。
きっかけの一つは、震災後、人々が身を寄せた避難所での一場面だ。
届いた物資に大人たちが群がり、1枚のせんべいを奪い合って地面に落としたことがあった。
また、自宅は残ったもののライフラインは断たれ、
食べ物もない高齢者が物資を受け取りに来ると、
「お前は家があるからいいだろう」と、
何ももらえずに泣き崩れる姿を見たこともあった。
もちろん助け合いも数多くあった。それは、あのころ盛んに使われた
「助け合い」や「絆」という言葉とともに報じられた。
しかし、優しさや冷静さが失われていた時間もあったのが現実。
それだけ心も非常時だった。
もう一つがボランティアと住民との関係。
内外から駆け付けるボランティアが復旧の大きな力になり、
住民の心の支えになった一方で、被災したまちに来て、
「汚い」「臭い」という言葉を平然と使う人や、住民とトラブルになり、
「せっかく来てやったのに」と不満を漏らす人も少なからずいた。
被災した人のためというよりも、「自分がやりたいこと」をしに来る人も多かった。
住民と「一緒に」ではなく、支援を「する側」と「される側」が明確に分かれ、
住民も支援があることが「当たり前」と考えるようになっていった。
「なんでもっとボランティアが来ないんだ」。そんなことを言う住民もいた。
そんな大人の姿を、子どもたちが見ていた。
「これではいけない」「支援はいずれなくなる。地元住民が頑張らないと~