言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

粗債務と純債務

2010-03-24 | 日記
高橋洋一 『日本は財政危機ではない!』 ( p.26 )

 財務省は「日本は八四三兆円もの債務を抱えている。これはGDPの一六〇%にもあたる危機的数字だ」と財政危機を盛んに喧伝し、増税の必要性を強調している。しかし、これは財政タカ派の増税キャンペーンであり、数字の扱いには注意が要る。裏にはトリックが隠されているからだ。
 私から見れば二つの点でおかしい。第一点は、債務だけを強調し、日本政府が保有する莫大な資産については、触れていないことである。
 財務省のいう八三四兆円は「粗債務(あらさいむ)」と呼ばれるもので、民間企業に置き換えれば、銀行などから受けている融資や取引先への原材料費の未払い金などの負債である。
 確かに八三四兆円の債務は国際的に見ても群を抜いて多い。この額だけを見れば、日本は世界一の大借金国という見方も成り立つ。
 だが、粗債務の大きさだけでは、財政は評価できない。粗債務の数字にも意味はある。ただし、国際的にしばしば使われている、もうひとつの指標「純債務」のほうがはるかに重要だ。
 企業は内部留保や土地などの資産を保有しているので、必ずしも負債の総額がそのまま債務とはならない。そうした金融資産を差し引いた数字が「純債務」だ。
 たとえば、一〇〇〇億円の負債を抱えている企業があったとしよう。この企業が、一方で五〇〇億円の資産を保有しているとしたらどうか。普通、企業の財務内容は、粗債務ではなく、純債務で見るので、この企業の負債は五〇〇億円となる。
 日本過府も、現金・預金や有価証券のほか、特殊法人などへの貸付金や出資金、および年金資金運用基金への預託金などの金融資産と、国有財産や公共用財産(道路、河川など)などの固定資産を保有している(図表1参照)。
 しかも、日本ほど政府が多額の資産を持っている国はない。政府資産残高の対GDP比で先進諸国と比べてみるとわかる。日本は一五〇%程度なのに対し、アメリカは一五%程度。一桁違う。EU諸国と比較しても、イギリス三〇%台、イタリア七〇%台と、日本の政府資産は桁外れに大きい。
 二〇〇五年末に発表された額では、日本の政府資産は五三八兆円にも上っている。これを粗債務から差し引くと、純債務は約三〇〇兆円まで減る。
 ところが、財務省の発表する数字は常に粗債務で、これら政府が保有する資産を差し引いてはいない。
 たとえ膨大な政府資産を保有していても、換金できない性質の(あるいは処分する気がない)ものなら、粗債務がそのまま借金の額になるから、粗債務という概念もまったく無意味だとはいわないが、約五〇〇兆円のうち、換金できるものは相当ある。財務省が粗債務だけを強調するのは、「保有している資産はすべて手放す気がありません」といっているに等しいのだ。


 財務省は財政危機を盛んに喧伝しているが、裏にはトリック(増税キャンペーン)が隠されている。日本は、桁外れに膨大な政府資産を抱えており、実質的に意味をもつ「純債務」でみれば、日本は財政危機だとはいえない、と書かれています。



 この主張は、「財務省の財政赤字削減スタンス」と結びついて、「日本は財政危機ではない」という著者の主張となっているものと思われます。

 たしかに、この主張には説得力があります。



 通常、この種の見解に対しては、「売れない資産」を持っていても意味がない、といった批判が存在します。「売れる」資産であっても、いざ売ろうとすると、(取得時に比べ)価格が著しく下落してしまうものもあると思います ( たとえば旧国鉄の線路用地などは、土地が細長い形状をしているため、あまり高くは売れないでしょう ) 。

 この批判にも、説得力があるのですが、

 諸外国も、同様の資産を有しているはずであり、それらの「総計」を比べたとき、日本が桁外れに大きな資産を抱えているのであれば、それなりの評価をしてもよいのではないかと思います。

 つまり、資産は「やや少なめ」に見積もるとしても、相当の評価額になるのではないか、と思います。



 とすれば、日本の純債務は、公表数字の半分、とまではいかなくとも、3 分の 2 くらいと考えてよいのではないか。現在、1000 兆円ならば、3 分の 2 として 666 兆円くらいと見積もってよいのではないか。とすると…、

 日本は財政危機ではない、とまでは言えないとしても、マスコミ等で喧伝されているほどの危機ではなく、実際には少し余裕があるのではないか、と考える余地があるのではないかと思います。