言語空間+備忘録

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政府の信認と中央銀行の信認

2009-11-16 | 日記
リチャード・クー&村山昇作 『世界同時バランスシート不況』 ( p.103 )

 本来、民間のリスクアセットを買うというのは財政政策であって金融政策ではない。したがってトマトケチャップを買う、あるいはCP ( コマーシャルペーパー ) を買うのだったら財務省が買うべきなのである。それでバランスシートが膨らんだ財務省を中央銀行が国債の購入増などでサポートするというのなら、まだ一つクッションがあって、購入したリスクアセットが発行体の破綻などで不良債権化しても中央銀行のバランスシート自体は毀損されない。
 レーガン時代のアメリカや九〇年代以降の日本が膨大な財政赤字を出しながらも通貨の信用を失わずに、これまでやってこられたのは、金融政策と財政政策が分離されていたことで、どんなに政府が財政赤字を出しても、中央銀行が国民の信認に値する行動をとってきたからである。つまり中央銀行さえしっかりしていれば財政赤字はそれ以上の問題にはならない。ところが両者が一体で運営されてしまったら、中央銀行は国民の信認に応えられないこともやらされることになりかねず、そうなると第一次世界大戦後のドイツとかオーストリアが経験した悲惨な状態になってしまう可能性が高いのである。
 中央銀行の独立というのは、人類の知恵の産物である。三権分立ということはよく言われるが、私は実は四権分立だと思っている。司法・立法・行政に加えて四つ目が中央銀行なのである。立法・行政府と司法は同じ政府といえば同じ政府に違いないが、分かれているから人々は信用しているのであって、分かれていることにこそ意味がある。同様に財務省と中央銀行が分かれているから、中央銀行は国民の信認が得られているのである。
 ところが実際に財務省のバランスシートで民間のリスクアセットを購入しようとすれば、すぐにその財源をどこから持ってくるかという政治問題が起こる。つまりこれは本来、財源がいる話であり、そこにはどうしても政治という時間のかかるプロセスが不可欠となる。ところがいまの金融危機は一分一秒を争う世界であり、何週間も何か月も与野党が救済策を立法化するまで待ってくれない。つまり財務省のバランスシートには機動性がないのである。その一方で、中央銀行はやろうと思えばすぐにできるから、いまのような局面ではどうしても機動性ということで中央銀行のバランスシートを使わざるを得ないところがあるのである。
 もしこの問題が短期的に片付く問題ならば中央銀行がやっても目をつぶれる。しかし、今回のバブル崩壊でダメージを受けた銀行のバランスシートをきれいにするためには何年もかかる。下手をすると十何年かかるかもしれない。ということは緊急避難的に中央銀行のバランスシートを使うだけでは不充分であり、できるだけ早い時点でこれらのリスクアセットを政府のバランスシートに移すか、または政府の保障をこれらのリスクアセットにつけるという処置が必要だろう。
 バーナンキに代表される学界の金融政策万能論者には四権分立という発想は全くなく、中央銀行のバランスシートは無限に拡大してもそれで景気が回復すればよいと考えている人たちが多い。しかしこの考え方は、それこそ一つ間違えて国民の信用を失ったら通貨が大暴落に陥る恐れがあるのである。


 政府 ( 財務省 ) と中央銀行の分離は、通貨の信認を維持するうえで、不可欠である。金融政策万能論者は、通貨が暴落するリスクを考えていないのではないか、と書かれています。



 政府 ( 財務省 ) と中央銀行の分離は、不可欠である。いまの通貨は、国民の信認によって成り立っている、というのは、その通りだと思います。

 しかし、政府債務が増え続けるなかで、国家に対する信認が失われてしまえば ( 国債が暴落すれば ) 、やはり、通貨に対する信認も失われてしまうのではないかと思います。

 つまり、四権分立 ( 中央銀行の独立 ) が重要である、とはいっても、それは、国家に対する信認が失われていない場合の話であり、国家そのものに対する信認が失われてしまえば、その時点で、( その国が発行する ) 通貨は暴落すると考えられます。国家が危機にさらされれば、四権分立など、維持されていても、なんにもならないのではないかと思います。



 しかし逆に、通貨に対する信認が失われてしまえば、国家に対する信認も失われてしまうでしょう。したがって、

   政府の信認と中央銀行の信認は、じつは、一体となっている ( 密接に結びついている )

と考えるのが、適切ではないかと思います。

 もちろん、だからといって、政府 ( 財務省 ) と中央銀行の分離、四権分立が重要ではない、ということにはならないのですが、平時はともかく、危急時においては、「政府の信認と中央銀行の信認は、一体である」 という部分が、クローズアップされてくるのではないかと思います。



 したがって、「いまの金融危機は一分一秒を争う世界であり…(中略)…財務省のバランスシートには機動性がないので…(中略)…中央銀行のバランスシートを使わざるを得ない」 ことはもちろんですが、

 そもそも、中央銀行の信認のみを考えても意味がないために、中央銀行のバランスシートを使うことが許容されるのではないかと思います。

 このように考えた場合、著者の考えかたに比べ、「やや積極的に」 中央銀行のバランスシートを使うことが許容されることになります。



 私は上記のように考えますが、中央銀行の独立性も重要だと思いますので、「できるだけ早い時点でこれらのリスクアセットを政府のバランスシートに移すか、または政府の保障をこれらのリスクアセットにつけるという処置が必要だろう」 とは思います。

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