言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

最高裁、裁判員制度は合憲と判示

2011-11-17 | 日記
東京新聞」の「裁判員制度は合憲 最高裁初判断」( 2011年11月17日 07時00分 )

 裁判員制度が憲法に違反しないかを争点にした裁判の上告審判決で、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博允(ひろのぶ)長官)は十六日、「憲法は国民の司法参加を許しており、憲法違反はない」として合憲とする初判断を示した。裁判員裁判で行われた刑事事件の被告が違憲を主張していたが、上告を棄却した。制度をめぐり高裁レベルでは合憲判断が出ていたが、専門家からは違憲とする見方もあった。最高裁の初判断で、議論に一つの区切りが付くことになる。

 最高裁は裁判員制度の導入が決まった二〇〇四年以降、司法行政の担い手として制度のPRに努めてきたが、自ら裁判で憲法判断するケースは初めて。大法廷は憲法判断などをする場合に開かれ、今回は全裁判官十五人の全員一致の判断。

 判決は、覚せい剤取締法違反の裁判で示された。判決理由で竹崎裁判長は、戦前の憲法下で陪審裁判が実施されたり、国民主権を宣言した現憲法制定時の政府が陪審制や参審制の採用も可能だと考えていたなどと歴史的背景を指摘。「憲法は国民の司法参加を許容している」と判断した。

 その上で裁判員法の規定を検討。法律の解釈や裁判手続きは裁判官が担当し、裁判員は事実認定や刑の重さを裁判官とともに判断すると定めた仕組みは、適正だとした。

 裁判員の選び方は、くじ引きの後に、不公平な裁判をする恐れのある人を除外するなどの手続きによって、適格性や公平性が確保されていると判断。裁判官の独立は「裁判員制度のもとでも、公正中立な裁判の実現が図られており、独立は保障されている」とした。

 制度は、国民の苦役に当たるとする点も「辞退について柔軟な制度がある」と退け、弁護側が違憲とした主張を全て否定した。

 法学者や弁護士からは制度について「裁判官は内閣が任命すると定めた憲法に違反する」などと、さまざまな違憲論が出ていた。

 覚せい剤取締法違反事件の裁判では、覚せい剤約二キログラムをマレーシアから成田空港に持ち込んだとして、フィリピン国籍の女性(45)が同法違反などの罪に問われていた。弁護側は二審段階から裁判員制度の合憲性を争い上告していた。この日の判決で、千葉地裁の裁判員裁判で昨年一月、懲役九年、罰金四百万円とした有罪判決が確定する。


 裁判員制度について、最高裁大法廷は全員一致で「憲法は国民の司法参加を許しており、憲法違反はない」とする判断を示した、と報じられています。



 裁判官15人全員一致で「合憲」だと判示されたわけですが、上記報道文中の
法学者や弁護士からは制度について「裁判官は内閣が任命すると定めた憲法に違反する」などと、さまざまな違憲論が出ていた。
という部分が気になります。



 法学者については多様な考えかたを提示することが仕事、という面もあるのでともかく、

 なぜ、裁判員制度に批判的な弁護士がいるのでしょうか? 「裁判官は内閣が任命すると定めた憲法に違反する」などの違憲論が出ていた、という報道から推測するに、おそらくその背景にあるのは、
「法曹ではない市民(庶民)には、まともな判断をする能力はない」という(一部の)弁護士さん達の感覚
ではないでしょうか?

 とすれば、そこにあるのは、俺達弁護士はプロフェッションだ、俺達は庶民(市民)とは違う、という弁護士の傲慢さではないでしょうか?



 もともと裁判が公開されているのは、庶民(市民)による裁判監視によって、裁判が公正に行われることを担保するためであるはずです。

 したがって、「法曹ではない市民(庶民)には、まともな判断をする能力はない」といった考えかたは、そもそも成り立たないのではないかと思います。



 たしかに裁判員制度にも問題はあるでしょう。しかし、問題があるから(司法制度)改革には反対だ、などと言っていたのでは、話が前に進みません。

 裁判員制度については最高裁による合憲判断もでたことですし、問題点をすこしずつ解決しつつ、よりよい制度にしていけばよいのではないかと思います。