言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

情報の非対称性と金融業

2010-02-23 | 日記
池尾和人|池田信夫 『なぜ世界は不況に陥ったのか』 ( p.155 )

池尾 今回の問題を考える際、インセンティブの問題とかエージェンシー問題、利益相反(コンフリクト・オブ・インタレスト)の問題と並んで、複雑性(コンプレクシティー)という話がキーワードとしてあります。投資家と最終的な買い手の距離が長くなりすぎて、トレースができなくなって価値評価が不可能になってしまっているという話はすでにしました。実は、そういうことを意図的にやっていたということがあるわけです。
 いまは価格が発見できなくて困っているわけだけれど、わざとトレースできないぐらい複雑にしてきたという面があります。金融仲介というか、金融の仕事は本来、情報の非対称性を緩和する、あるいは情報の非対称性に伴う問題を解消するものだったはずなのに、意図的に複雑化することによって人工的に情報の非対称性を作り出し、それによって利益を上げるような仕組みになっていた。情報の非対称性、すなわち自分は知っているけど相手は知らないということを利用して、極端な言い方をすると相手を収奪するような形で利益を上げる。そういうビジネスモデルを展開するようになってしまっていた。
 そこまで変質し、堕落していた。プロとプロの間の取引だったら、騙された方が悪いのだけれども、本当はプロとプロの関係ではない。極悪のプロと、そこまでの悪さのないセミプロとの取引だった。だから、取り付けが起きた。セミプロは、善良でちゃんとやってもらっていると思っていたのが、騙されていることに気づいた。だから、もう二度と付き合いませんという感じになってしまった。


 金融業は本来、情報の非対称性を緩和する、あるいは情報の非対称性に伴う問題を解消するはずだったのに、意図的に情報の非対称性を作り出して利益を上げる仕組みになってきている、と書かれています。



 この記述を読むと、「日米のバブル崩壊における相違点」(…で引用した部分)における池尾先生の主張、すなわち、アメリカの金融業は「市場型間接金融」という、「きわめて高度かつ複雑に発展していた重層的な市場型金融の仕組み」である、という主張の意味合いが、すこし、異なってきます。

 「きわめて高度かつ複雑に発展」しているのであれば、「素晴らしいもの」であるかに思われるのですが、「不必要な程度にまで、わざと、意図的に」複雑化して、利益を上げようとしていた、ということであれば、「好ましくないもの」であるかに思われます。



 著者の評価が正しいのか、正しくないのか (意図的に複雑化してきたといってよいのか) 、それはわかりませんが、正しいと仮定して考えれば、

 おそらく、現状は、不必要なまでに複雑化しなければ利益が出せなくなりつつある、といってよいのではないかと思います。金融危機前に、すでに、金融業は行き詰まっていた、といえるでしょう。「情報の非対称性は(ほとんど)存在しないか、情報の非対称性に伴う問題は(ほとんど)存在しない」状況になっている、といってよいのではないかと思います。



 「情報の非対称性」が消えつつあることは、ネットの存在によって、実感されつつあります。すくなくとも私は、実感しつつあります。

 とすれば、意図的に複雑化してきたといえるかはともかく、(従来の)金融業の役割は消えつつあり、「不必要なまでに複雑化しなければ利益が出せなくなりつつある」ことは、ほぼ確実とみてよいと思います。



 製造業の行き詰まりがささやかれていますが、じつは、製造業のみならず、金融業も行き詰まっているのではないか、と思われます。