言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

金融危機の打開策

2010-02-04 | 日記
池尾和人|池田信夫 『なぜ世界は不況に陥ったのか』 ( p.27 )

池尾 住宅ローンバブルが起きて崩壊した。それは単純な事実で、日本でも経験した事実かもしれないけれども、それが起きた金融制度が全然違うというところをしっかり押さえておくべきだと先に述べました。その二点目について、これから説明します。
 モーゲージバンクが貸し出しをして、その貸出債権を証券化する。その第一次証券化商品をRMBSと呼んでいます。それは、いくつかのクラスに分けて証券が発行されます。そのうちのシニア ( 優先 ) の部分と、それから逆に一番劣後するエクイティの部分は、わりと買い手がいます。

池田 エクイティの部分もいるのですか。

池尾 エクイティの部分はヘッジファンドが買っていた。ヘッジファンドがエクイティ部分のリスクをテイクしていた。シニアの部分は、当初はトリプルAの格付がつくように作っているので、これは普通の機関投資家が買うわけです。
 ところが、ミドルリスク、ミドルリターンを好む投資家というのはあまりいないみたいで、シニアとエクイティはさっさと売れるけれども、真ん中のメザニンの部分は売れ残るというか、売りにくい。そういう事情があるから、メザニン部分をかき集めてきて第二次証券化商品を作る。第二次証券化商品は、CDOと呼ばれているものです。
 これもシニアの部分とメザニンの部分とエクイティの部分に分かれ、これも同じ理由でシニアとエクイティは売れるのに、メザニンはなかなか売れない。だから場合によっては、さらにメザニンをかき集めてきて、CDOスクエアード ( CDO二乗 ) と言われる商品を作ったりもしていました。
 そういうCDOを誰が最終的に買っていたかというと、マネー・マーケット・ミューチュアル・ファンド ( MMF ) が買っている場合もあったし、大手の金融機関がスポンサーになってつくっていたSIVが買っていたりしていました。そして、SIVはCDOを買うための資金を、CDOを担保にする形のCP ( ABCP ) の発行とか、CDOを担保としたレポ取引とかで調達していました。
 このように最終的な資金の調達者から最終的な資金の提供者までの距離が非常に長い構造になっていた。そこが、日本の経験と比較するときの相違点になります。日本の場合は、銀行が直接貸しているので、貸し手と借り手の距離はすごく短かった。資産価値を再評価するとき、日本の場合だとDCF法で貸出債権を評価し直せばできた。借り手と銀行の関係だけですから。
 ところがアメリカの場合は、キャッシュフローを提供する人と、それを受け取る投資家の間の距離が非常に長いので、資産価値を再評価しようにもトレースしきれない。だから、最初は格付を信用して、格付だけを頼りにして投資家は買っていた。それが、格付が一斉に引き下げられたりして、格付が信用できなくなると、自分の持っている投資商品の価値を確認しようと思うのだけれども、大元のキャッシュフローの出所まで遡ることができない。トレーサビリティーが確保できないので、値段の付けようがなくなってしまった。DCF法で評価するといっても、そのためのデータが得られないという問題が起きたわけです。
 こうした理由で、「適正価格が見いだせない」 という問題が、アメリカの金融危機を考える際には、問題の本質だということを理解してほしい。


 今回の金融危機の特徴が、具体的に述べられています。



 「日米のバブル崩壊における相違点」 を具体的に述べると、上記の説明になる。つまり、米国の場合は ( 日本の場合とは異なり ) 「適正価格が見いだせない」 ところに、問題の重点がある。

 とすれば、今回は、日本のバブル崩壊の経験は参考にならない、とも考えられますが、共通する部分もある以上、「まったく」 参考にならない、とまではいえないでしょう ( 「日米のバブル崩壊における相違点」 参照 ) 。



 ここで考えたいのは、「いまの問題を」 どうすればよいのか、「いまの問題は」 どうなるのか、です。

 「いまの問題」 が 「適正価格が見いだせない」 ことなのであれば、「適正価格が見いだせれば」 問題はなくなります。それでは 「どうなれば」 適正価格が見いだせるのか、といえば、

   価格が ( あまり ) 動かなくなったとき

ではないかと思います。

 今回の金融危機も、危機が発生する前は、なんの問題もなかったわけです。潜在的には問題があったかもしれないけれども、すくなくとも、表面上はうまくいっていたわけです。それが急に問題になってきたのは、「価格が急激に動いた」 からではないでしょうか。

 価格が急激に動いても、単純な金融システムであれば、資産価値の再評価は ( 比較的 ) たやすいけれども、高度に複雑化した金融システムの下では、おそろしく難しい。トレーサビリティーの問題もあるでしょうし、また、人間の理解力の問題もあるでしょうが、ひとことで言えば、

   要するに、わけがわからなくなった

わけです。

 とするならば、価格変動が緩やかになり、落ち着いてくれば、問題はほぼ、消えてなくなります。そのときの価格、落ち着いてきた時点における価格が、( おおよその ) 適正価格です。

 したがって、政府がとるべき政策は、「価格変動を緩やかにする」 政策、「適正価格を見いだしやすくする」 政策ではないかと考えられます。



 本来、適正価格とは「自然な」 価格であり、( 放っておいても ) 「自然に」 付く価格だと思います。

 真下を指すはずの 「振り子」 が、なんらかの理由で揺れて、真下がわからなくなったときには、「計算で」 真下を決定しようとしたりせず、振り子の揺れを小さくして ( 減衰させて ) 、真下を決定するのが賢明です。誰でもそうすると思います。

 それと同様に、適正価格を示すはずの 「市場」 が、なんらかの理由で動揺し、適正価格がわからなくなったときには、「計算で」 適正価格を決定しようとしたりせず、市場の動きを小さくして ( 減衰させて ) 、適正価格を決定する ( 市場に適正価格を決定させる ) のが賢明だと思います。

 DCF法だとか、トレーサビリティーだとかいったところで、所詮は計算にすぎず、そうなる 「はず」 というにすぎません。本当にそうなるのか、本当に計算が正しいのかは、「結局のところ、わからない」 のではないでしょうか。

 そもそも、計算がどうであろうと、市場でついた価格で取引が成立するのであり、計算 ( 論理 ) は、市場の前には無力です。計算結果が市場価格と異なっているなら、( まず間違いなく ) 計算 ( 論理 ) が間違っているのであり、市場が間違っているのではありません。

 学問として経済学を捉えるなら、論理を見直し、あらたな理論を構築しよう、となるのでしょうが、現実の問題に対処するにあたっては、市場の価格変動を小さくすることこそが、肝要です ( そうなれば、値段のつかない商品にも値段がつき始めると思います ) 。



 上記の理由で、私は、

   市場の 「価格変動を小さくする」 政策をとることこそが肝要で、
   最終的に市場が落ち着いてくれば、適正価格が判明し、今回の金融危機は終わる、

と考えます。他に、手はないと思います。