言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

日米のバブル崩壊における相違点

2010-02-01 | 日記
池尾和人|池田信夫 『なぜ世界は不況に陥ったのか』 ( p.22 )

池尾 サブプライムローン問題に関して、私は二つの点を押さえておく必要があると思っています。一つは、言うまでもなく、住宅バブルが発生して崩壊したということです。この点に関しては、われわれが八〇年代後半から九〇年代初頭にかけて経験したことと本質的にあまり変わらない。しかし同時に、もう一点押さえておく必要があります。それは、バブルの生成と崩壊がどのような金融システムの下で起きたのかという点です。
 日本の場合は、比較的単純な金融システムの下で問題が起きた。すなわち、伝統的な銀行中心の間接金融体制の下で問題が起きたわけです。ところが、今回のアメリカの場合は、そうした伝統的な間接金融体制の下で問題が起きたのではない。私などは 「市場型間接金融」 という表現をしていますが、きわめて高度かつ複雑に発展していた重層的な市場型金融の仕組みの下で問題が起きた。その違いをしっかり押さえておく必要があります。
 バブルの崩壊が起きたということで、日本で経験したことと同じような感じでとらえている人がわりと多いように思いますが、バブルの生成と崩壊が起きたこと自体は共通した現象かもしれないものの、それが起きた金融システムのあり方が基本的に違っているという点を見落としてはいけません。


 今回のサブプライムローン問題に関しては、日本のバブル崩壊とは決定的に異なっている点がある。それは、金融システムのありかたである、と述べておられます。



 金融システムの高度さ、複雑さ、といった 「レベル」 が異なっているのは、その通りだろうと思います。

 しかし、共通点もあることは、たしかだと思います。

 したがって、共通点にのみ注目してはならないし、また、相違点にのみ注目してもならない。共通点と相違点とが、ともに存在していることをふまえて、考えなければならないのだと思います。



 ここでは、「バブルの生成と崩壊が起きたこと自体は共通した現象 『かもしれない』 ものの」 と述べておられますが、

 おそらく、たいした意味はないでしょう。「日本で経験したことと同じような感じでとらえている人がわりと多いように思います」 という話の流れで、出てきた言葉にすぎないと考えられます。

 もっとも、「バランスシート不況対策 ( リチャード・クー経済学 )」 に引用した部分に描かれている、麻生総理 ( 当時。以下同様 ) の動き、及び、リチャード・クー氏の言説に対する批判・反論、といった意味合いも含まれているのではないかとも考えられます。

 しかし、共通点もあるならば、麻生総理の動きは肯定的に考えてよいと思います。

 米国に比べて 「比較的単純な金融システム」 であるとはいえ、日本は日本なりに ( 日本のレベルに応じて ) 可能な限りの協力をしようとしたのであり、なんら問題はないと思います。

 アメリカはアメリカで、金融システムの高度さ・複雑さ ( のレベル ) が異なる、ということはわかっているはずです。アメリカ側に、日本の経験を 「参考に」 すべく、話を聞こうという姿勢があった以上、麻生総理の動きは、評価されてよいのではないかと思います。